太田道灌(おおたどうかん)と七重八重 花は咲けども山吹の その3(全3回)


ポン!昨日の続きだよ。

太田道灌(おおたどうかん)も樋口も中村も歌会を開いては、古歌(こか)と言われる歌も勉強していたし、自分でも歌をいくつも詠んでいたからね。古歌とはね、もっともっと昔の人たちが作った短歌のことなんだよ。京都の小倉山(おぐらやま)にいた兼明親王(かねあきらしんのう)は雨の日、蓑(みの)を借りにきた者があった。けれども、貸してあげる蓑を持っていなかった。兼明親王はそばにあった山吹の花の枝を一本折って、蓑の代わりに差し出したという。山吹の花は、花は咲いても実をつけない、一つの実もつけないのだ。蓑とその実を掛けて、「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき」と静かにこの歌を詠んで渡したという。{山吹の花は、花は綺麗に咲くけれども、実のひとつもつけないのです。お貸しする{みの}一つもないのです。みすぼらしくて悲しくごめんなさい}と、そういう歌なんだ。道灌たち三人は胸の中で感じていた。このようなみすぼらしい農家の者でありながら、なんと教養の高い者たちであろうか。教養とは、学問の知識がたくさんある人のことを言うよ。道灌は静かに聞いた。 
「そうか、気にすることはない。娘よこれからも和歌に励むがよい。私は江戸城にいる太田道灌という。そして、、、」 
道灌はにこやかに自分の名前を言うと、二人の家来たちのことを紹介したんだよ。 
このことがあってから、道灌は時間ができるとあの娘が住む林の方へとよく鹿狩りに行ったというよ。 
道灌はね、あの日雨の中であの娘は何も言わずに雨に濡れた山吹の花にあの和歌を歌わせた。なんと奥ゆかしく賢い娘であろうかと、なんと愛しい(いとしい)娘であろうかと、そう思ったんだね。 
 
この有名な七重八重の和歌はね、五七五七七で作られているから、ゆっくり数えてみてね。できたら覚えておこうよ。そんで、皆もこんな風に短歌を作ってみたら面白いよ。 
 
ぼく歴史ぃーも作ってみたよ。 
「いろいろの 話し知ってる かっこいい そんな大人に なっていこうぜ」 
 
ポン! 

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