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ドラゴンクエスト 世代を越えて

「ドラクエ」の愛称で知られ、累計出荷数8000万本超を誇る国民的人気ゲーム「ドラゴンクエスト」

 本編シリーズは、出るたびに爆発的に売れ続けますが、その“魔法”とは何でしょうか。34年間人気であり続けた理由を振り返ります。 


 ドラクエ欲しさに事件も 伝説の熱狂ぶり
「ドラクエ」は、自身が主人公となって世界を脅かす敵を倒すために壮大な冒険物語を繰り広げるRPGです。シリーズ本編は出るたびに数百万本の大ヒットを飛ばしますが、最も世間を騒がせたのは、1988年2月に発売されたファミコン用ソフトの「3」でしょう。当時の新聞には、その熱狂ぶりが赤裸々に書かれています。 


 まず、ソフト欲しさに学校をサボる子供たちが続出したことです。実は前作「2」でもそれは問題になっていて、「3」はそれを阻止するため、東京都教育委員会が通知を出し、その結果多くの子供が補導されています。また購入したソフトを奪う窃盗事件も続発し、新聞記事になりました。何せソフトは店頭に並ぶ間もなく売り切れるわけです。

 そして、ドラクエと売れないソフトを組み合わせて高額で売る「抱き合わせ販売」が社会問題化したことも記事になっています。
 田舎の子供だった当時の私は、あらゆる手を打って「3」を発売日に手に入れました。ウキウキ気分でソフトを受け取るとき、紙袋に入った状態で渡され、店員から「絶対に中身を開けてソフトを見ないで。大騒ぎになる」と忠告されました。ふと店内を見渡すと、同作を入手できなかった結構な数の子供たちが、店内をふらついていました。
 今のゲームの記憶媒体は「ディスク」なので、必要なら即座に大量生産できます。しかし当時はカセットロムで、生産スピードが遅かったのです。「3」はカセットの数が十分そろわず、混乱の可能性を考慮して発売を延期しています。今ではありえない、伝説の熱狂ぶりだったのです。
 

ちなみに少し変わったところでは、発売元のエニックス(現スクウェア・エニックス)の元に上場の打診が続々来て社長が断り続けるとか、週刊誌が「ドラクエ」の謎解きを掲載して、裁判になった記事も残っています。他にも若い社会人が「3」に熱中し、「今どきの若い者は……」的な記事もありました。
 要するにメディアも消費者も巻き込む大騒動でした。「3」の発売当日、東京・池袋に集まったソフトの購入希望者は1万人に達し、寒い2月の中、2キロの列を作ったことも新聞記事として残っています。

 なぜ「ドラクエ」はここまで、多くの人たちの心を魅了したのでしょうか。

 誰でもクリア可能の超親切ゲーム
 「ドラクエ」のすごさとは、徹底的にユーザーの視点に立った分かりやすさの追求と時間さえかけたら誰でもクリア可能という、二つの理由に集約されます。
 表現がうまく、話も面白く、かつ分かりやすいことです。ゲームの開発に入れ込むほど、第三者的目線から冷静に見るのは難しい面があります。

 
 
 ドラクエは、ある意味マンガ的なゲームなのです。ところが、ドラクエの同時代のゲームは、エンディングのないのも普通で、最後までクリアさせないという姿勢がハッキリしていました。下手な子は、ギブアップをするか、ゲームの上手な子に遊んでもらって先を見る……という感じでした。

 
 努力すれば必ずクリアできることは、本当に魅力的でした。経験値を貯めて最強レベルになればラスボスを倒せます。ゲームの進め方もヒントがちりばめられ、死んでもゲームオーバーになるわけでもなく所持金半分で再プレー可能、おとぎ話を読むような物語に夢中でした。

これには、まだあなたは未熟だが何度でも立ち上がれとの意味合いが。 
 「ドラクエ」登場以前のRPGは、最悪だとキャラのデータが消えてしまうとか、本当にシビアな設定が多かった。


 「コマンド入力」に代表されるように、「ドラクエ」はボタンを押す“指さばき”のようなゲームの技量が問われません。じっくり考えて、ゆるりと進めるやり方が、日本人の感性に合ったのも確かです。「ドラクエ」は欧米では日本のような圧倒的な人気はないのですが、それは日本に最適化したからとも言えます。 


最強のクリエーター&宣伝もファン魅了
 堀井さんのすごさは、「ドラクエ」だけではありません。アドベンチャーゲームの「ポートピア連続殺人事件」や「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」、ボードゲーム「いただきストリート」など、評価の高いゲームを手掛けてきました。さすがに「ドラクエ」ほど売れていませんが、ファンの期待を裏切った作品がありません。 


 超一流のクリエーターばかり。鳥山明さんがキャラクターデザイン、すぎやまこういちさんが曲を手掛けており、ライバルのゲーム会社がうらやむ布陣です。この組み合わせが、ファンの心をとらえて離さない要素の一つでもあります。

 
 また堀井さんは当時、「週刊少年ジャンプ」のライターとしても活躍しており、ゲームを作りつつ、ジャンプ誌面でドラクエの情報を発信。当時はマニア向けだったRPGの遊び方をレクチャーしていました。当時のジャンプは発行部数600万部超で、その雑誌を使ったプロモーションですから、広告換算するといくらになるでしょうか。ゲーム制作の当事者がライターなのですから、情報の出し方も自由自在。ゲームコーナー「ファミコン神拳」のゲーム批評コーナーは、大変な人気がありました。当時を振り返った動画では、クレームも入れた実際の企業名も明かしていていますが、それは無視できない影響力があったことの証拠ですね。 

 ともあれ、最強のクリエーターと最強の宣伝の組み合わせがあったのですから、売れないはずがありません。
 また、その人気ゆえに観光名所も生まれました。堀井さんの出身地の兵庫県淡路島にある洲本市の洲本市民広場で、ドラクエの像が広場に設置されています。ロトの剣とロトの盾との出会いを求める「勇者」は、一段落してから 聖地 を訪れてみてはどうでしょうか。 

 ドラゴンクエストとドラゴンボールは、大人と子供の世代を越えた

ゲームとアニメですね。感動しました。

いってらっしゃい!



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