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日本サッカーのif (もしも)

こんな動画を見つけてしまったのでつい見入ってしまったのですが、当時の中田英寿選手の引退特番で指摘されていた覚悟というものがカタール大会では選手たちから感じられたことが嬉しかったです。
さて、昔を振り返って、これまで日本サッカー界にはいくつかの分岐点がありました。個人的にもしもあの時こうなっていたら今はどんな風になっていたろうと思うことがあったのでここで書いてみようと思います。
いちファンの妄想ですが、読んで一緒に考えてみてください。

①中田英寿の早すぎる現役引退

06年ドイツW杯での失意の敗退のショックも残る中、当時の日本サッカー界では絶対的存在だった中田英寿選手がわずか29歳で突然の現役引退を発表しました。あの頃はスマホやTwitterなど存在しなかったので、帰宅してテレビをつけたらいきなりこのニュースが流れて大きなショックを受けたことを覚えています。
引退しなければ2010年の南アフリカ大会では円熟期となる33歳で迎えていたため、キャリアの集大成となる活躍をしてくれるはずと信じていた中での発表はファンを大きく落胆させ、スターを失った日本代表はしばらく集客に苦労する時代を迎えます。もしも、現役を続けていれば日本代表での立ち位置やプレースタイルはどのように変わっていたでしょうか。
見てみたかったのは、06年W杯後に代表監督に就任するイビチャ・オシム監督はどのように彼を扱い、どのような言葉で彼を表現しただろうかということです。互いに影響力がありながら接点はほとんどないと記憶しています。(たまたまこんな記事が見つかりました。最後から3行目の言葉が重い。SNSで簡単に人を評価してしまう人たちに届けたいですね笑)

また日本人離れした個人主義のため主張が強く、周囲への要求も厳しい選手でしたが、ドイツ大会以降に台頭する闘将、田中マルクス闘莉王や、"野心溢れるあの頃の本田圭佑”とはどのように共存していただろうか、もしくは反発してしまっただろうかなどと妄想するのは現在でも楽しくて仕方ありません。

②オシム 脳梗塞発症によって日本代表監督退任

決して強豪ではなかったジェフ市原(当時)を躍進させ、Jリーグの歴史上でも最も魅力的なチームのひとつと評されるチームを創り上げたオシム氏がジーコの後を継いでドイツ大会後に代表監督に就任します。
日本代表のチームのつくり方も独特で(これは言語化が難しいんですがいつか別の記事で書けたらよいなと思います)、選手はもちろん、メディア、ファンにも意図を考えさせるような選手起用を行うのですが、間違いなく日本のサッカーが向上していると手応えを掴める試合内容でした。次の南アフリカW杯で見ることが出来るこのチームの完成形をファンは期待しました。
しかし、就任から1年4カ月あまりで急性脳梗塞によって倒れてしまいます。
一命は取り留めたものの結果的に復帰は叶わず、残念ながらチームは未完成のまま退任することとなります。
もしも、病に倒れることがなければ、あの魅力的なチームの完成形を見ることができたのです。自分は日本国民の注目が集まるW杯本番でオシムが創り上げたあのチームのサッカーを見せることが叶わなかったことがとても悔しかったです。W杯期間にはどんなオシム語録が加わっただろうか?と未だに考えてしまいます。
後任となった岡田武史監督はオシムのチームを引き継ぎますが、うまく強化を継続させることはできず
、結果的に前任者が志向した方向とは真逆の守備的(悪く言えばリスクを恐れた消極的)なチーム作りをW杯本番直前に完成させ、ベスト16という結果を残します。
ここで本田圭佑という新たなスター選手が国民に認知されることとなりました。また長谷部誠をキャプテンに指名し、その後の代表チームの世代交代の土台を作りました。長谷部選手はオシム時代には代表からは遠ざかっていて、監督交代によって運命が大きく立場が変わった選手のひとりだと思います。(このベストセラーも生まれなかったかもしれません笑)

③ハリルホジッチ監督の突然の解任

まだ記憶に新しいですが、2018年ロシアW杯を数か月後に控えたタイミングで、現JFA会長の田嶋幸三氏が「選手との信頼関係が薄れてきたことなどを総合的に判断した。」として突然の解任を発表。後任にはサポート役であった西野朗監督を指名しました。色々な説がありますが、ファンからは内部で何が起こっていたのかは知る由もなく、W杯本番の盛り上がりに水を指すものでした。西野監督が率いた代表チームは急造チームながら、本大会で対戦国と堂々と渡り合い、R16の試合では後に3位で大会を終えるベルギー代表をあと一歩まで追い詰めました。

ハリルホジッチ監督を解任せずあのまま本大会を迎えていたならば、日本代表はどんな戦いを見せてくれただろうかと未だに考えてしまいます。もしかしたら、先日のカタール大会でのモロッコ代表のような躍進を見せられたのではとも思っています(モロッコも直前でハリルホジッチ監督を解任したのですが)
ロシア大会では乾選手が輝きましたが、前任者には重宝されていなかった選手であり、監督解任がなければベルギー戦の2点目のような大会史に残るゴールも生まれることはなかったはずです。
ここまで書いていて感じることは選手の運命は周囲の状況や巡りあわせによって大きく変わってしまうことです。それでも突然やってくるチャンスを掴むための努力をしている人が名を残すということでしょうか。
西野監督によって本大会ではひとまずは失敗という評価を免れ、代表監督は外国人よりも日本人に任せるという風向きが強くすることに成功した大会でした。後任には現代表監督の森保一氏を指名し、その後どうなったのかはここで言うまでもありません。
これは田嶋会長のギャンブルが成功したということなのかと思います。しかし、本当に良い判断が行われたのか?ということは、今後10年経った後で振り返られたときにまた明らかとなるのではないでしょうか。

長くなりましたが、日本のサッカーのこれまでとこれからをより深く楽しんでいただくために参考になれば幸いです。


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