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私が母校を選んだ理由は「日当たりがよかったから」だった

「そんな理由、書けるわけないだろう」

そう担任に呆れられた高1の夏。
正直に答えただけなのになぁ。

あなたがこの高校を選んだ理由はなんですか?という問いだった。
各学年から数人を選んでアンケートをとり、次年度のパンフレットに使うらしい。

私は高校を日当たりで選んだ。
できるだけ晴れの日に高校見学をしに行ったし、受験当日は出来よりも日差しを気にしながら帰路についた。

そして私は、問題用紙の図形に降り注ぐあたたかな光に惹かれ、その高校へ通うことを決めた。

結局、私の回答はパンフレットに載ることはなかったけれど、その後も「日当たり」が私にとって大事なものであり続けたのは確かだった。

今の私があるのは、陽だまりを追いかけてきたからだ。

カフェやレストランに入るとまず店内を見渡し、窓際の明るい場所に空席を探す。
電車に乗るとカーテンの閉まっていない窓を目指し、他の乗客がカーテンを下ろすまで陽だまりを味わう。

そうした日々の積み重ねが、私を作ってきた。
もちろん日当たりが全てというわけではないけれど。

そして私は最近、引っ越しをした。

これまで立地の関係で仕方なく西向きのワンルームに住んでいたけれど、家にいる時間も増えたので、思い切って家移りすることに決めた。
家賃は上がり、駅から遠くなったけれど、暮らしやすさは格段に上がった。
なにしろ日当たりが良い。

基本遮光カーテンは閉めず、眠る時にもレースカーテンのみ。
朝は窓辺に差す自然光で目を覚まし、夕暮れには日が落ちるのを名残惜しく眺める。
二度寝はしなくなった。
夜更かしも、少なくなった。
心なしか「書きたい」と思うことが増えた気がする。
私に寄り添うやさしい光は、生活を変えた。

時間帯によって光の当たり方が変わるのはもちろん、日差しは毎日少しずつ変化し、次の季節の訪れを教えてくれる。

陽だまりの中にいるということは、時の流れの中に身を置くということなのだ。

今日という二度と来ない「日」を、やさしい「日」の下で過ごす。

今日も私の一日が、はじまった。

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