見出し画像

「やらないほうがマシ」vs「とりあえず行動が大事」

こんにちは。毎週土曜日にnoteを書き始めてもうすぐ50週。すっかり習慣がついてきました。毎週何を書こうかな?と考えて記事一覧を見るのですが、ビューも少ないしスキも少ない私のアカウント。ただ好きで書いているだけなので、そんな記事を見ていただけること、そして❤️をポチッとしていただけるだけで大変ありがたいことです。

でも、頭の中で、「成果でないならやめちゃえば?」と囁く悪魔がいないわけでもないのです。何事にしても、「ちょっとしたことでも発信したり、継続すること、行動することが大事だよ」という言葉をかける人と「目標もないのなら時間も労力も他のことに費やしたら?」という人がいると思っています。

私自身も、「とりあえず続けたら何かにつながる!」という楽天的モードのときと「いや、定量的な効果がないならやめるべきでしょ」という現実的モードの時があります。その違いがどんな時に現れるのか考えてみることにしました。

自分のためにやっている時は「とりあえず行動」

私がこの1年で継続していることは、毎週土曜日のnote、毎朝のおはようツイート、毎晩のInstagram更新です。それぞれ内容が異なると捉えています。

noteはまとまった文章で頭の中を整理して発信するのが目的。Twitterは色んな人と出会うのが目的。Instagramは知り合いに対しての近況報告や自分が面白いと思ったことを写真で溜めて置く場所です。これらは全部自分のためにやっていることで、とりあえず決まったときにやっておけばいいやという感じで、後から見返したら面白そうという感じ。とりあえずやっておけば、なんか自身もつくし、ある意味儀式的なところもあるかもしれません。笑

他人と比較しちゃうと「やめちゃえば」と思ってしまう

たくさんのビューやいいねなど反応をもらっている他人の投稿を見ると、「ちょっと頑張ってコンテンツ作って狙ってみる??」と考えちゃうこともあります。なんでそんなこと思ってしまうのでしょうか。

それこそ、The 承認欲求ってやつですね。

たしかに、最近は多くの人に認めてもらいたいという欲求が特に強くなってしまっても仕方ないかもしれません。今の仕事では社内外の人たちに直接ありがとうを伝えたり、伝えられたりというような関わりが薄れている気がします。(コロナの影響もありますが)その中で、「〇〇さんはこんなにフォロワーいるのすごいよね!」とか「◯◯さんのnoteがプチバズり!」とかなるとそれだけで存在価値があるかのように感じてしまうのです。

そんなとき「誰のためにやってるの?」と自問自答することで、そのモヤっとしたところから抜け出すことができます。「私は、私のためにやっている」そこで「とりあえず続けよう」のトラックに戻ることができるのです。

数値目標を立てるならもっと大きな目的が必要

とはいえ、続けるためには数値目標がないとね!と思う人も多いはず。とくに仕事の一環としてやっているのであれば数字は超大事。だけど、数字を達成しただけで本当のゴール達成にはならないことがほとんどです。だから、〇〇というゴールがあるからその過程として△△という手段で数値を達成する。みたいなゴール設定が必要なんですよね。

今、会社でもnoteを書いているのですが、その目的が「ブランディングのため」みたいにふわっとしていて、とりあえず毎週書いているだけになっています。本当は「世の中に会社の取り組みについて知ってもらうために、noteで毎回好きが3桁いただけるように発信を強化する」のような具体目標が必要だと感じています。(あくまでも例で、これを達成しようだなんて思ってません。思った方がいいかな?)

自戒の念も込めて、大きな目的とその過程での目標を見直しすることで「やらないほうがマシ」となってしまわないようにしたいと思っています。

うん、今日も書いてスッキリ。書いてスッキリするだけじゃなくて、考えたことをちゃんと行動に移さないとダメですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?