2024/8/22 ネタ合わせをしたよの日
夜中まで仕事をして起きて朝も仕事をしてもう一度寝た。昼ごろ起きたとき、帰省からの疲れが抜けていないうえに仕事で脳を使って、さらに東京の暑さが体をぐちゃっとした感じにさせていて、体調がいまひとつだなと思った。
漫才の台本を読んでも頭には流れてくるけれど体にはまっていない感じがあって、これは申し訳ないからネタ合わせの日付を変えてもらおうかと思ったけれど、やらないよりやった方が掴めることがあるのでしっかりがんばろうという気持ちになる。
でもたぶん稽古するためのカラオケに着いたときからコンディションの良くなさは石井にばれている。やってみてやはりセリフが入ってないし間がうまく取れなかったりしてしまう。声が出ないという理由でいっかい相対性理論「気になるあの娘」を歌わせてもらう。精神安定剤のように聞く曲ですこし大丈夫になる。この言葉とこの言葉の関連みたいな形で台本が覚えられるようになってくる。
とはいえその集中力も長続きしなくて、石井が休んでろと言いながらカネコアヤノ「祝日」を歌う。よくこのくそたかいキーが出るなと思う。途中勝手に録画する。2番から先は録画をしないで聞く。これからの話をしよう 祝日 どこに行きたいのか という歌詞というかその歌い方に石井はめちゃくちゃ表現にまっすぐだなということを考えて、わ〜この漫才はかなりちゃんとやりたいなという気持ちを新たにする。
立ち稽古したものを録画してみて、立ち位置の調整をする。漫才は意外と近くに立たないと離れて見えてしまうものなのと、わたしがめちゃくちゃ肩幅が広い(むかしからそうで、いろいろあって体重が45キロくらいになった時もそうだったので、重量の問題ではないらしい)ので工夫する。肩がぶつかってもあまり抵抗がなくておもしろい。石井は性別が違うわりには抵抗をおぼえないでいい人体のひとで変なのってなるし、一連の流れも含めてかなり相方だなと思う。こういうあり方ができることをありがたく思う。
帰りにありがとうって言われてなんでかわかんないっていうかわたしのほうがありがとうなんですけどと思いながらそれを伝えるのが気恥ずかしくなってしまいさっくり解散する。そのあと石井はカードキャプターさくらを見にいっていておもしろい。
まったくわたしが動じない方がよさそうなのでその動じなさの練習をするために帰りの電車で姿見を注文する。15年くらい前には自分の顔を見るのが苦手で鏡を壊したりしていた。だんだん自分という人間のことを肯定できるようになってきたのは短歌の、というか歌会のおかげだと思っている。歌会に出ると自分の意見を話すことができ、かなり変なことを言っていてもとりあえず聞いてもらえる。人の意見を素直に受け入れる気持ちもできていく。人間としてかなり素直になってきたと思う。その結果わたしから離れていく人も多くなって、けれど昔より仲良くなれた人も増えていった。
石井が祝日を歌っている録画を見てみた。全然感情的にならなくて「背中が丸まりやすい」「上半身のぶれがある」と感じて漫才のときにそれが出ないかということばかり気になっていて笑ってしまう。なかなかよい。やるぞ。
ものを書くために使います。がんばって書くためにからあげを食べたりするのにも使うかもしれません。