サステイナビリティで地球号は乗りこなせるか

久々の投稿ということでテンションを上げていきたいと思いややキャッチーめなタイトルをつけた。

環境保護との向き合い方に対してDIYあるいは自然との向き合い方という観点での雑想メモ。

サーキュラーエコノミーということを考えた際に、新しいタイプの分解と修理という概念が表れてくると思う。事業者のレベルでは、例えばペットボトルをリサイクルしてそのままペットボトルを作り出すことができるようになってきた。一方でDIYでできることはまだまだ。生命というものが他の無数の要素でできていることと、目の前のものをシンプルに分解して組み立てることは考え方として両極端だが両者をつなげるようなアイデアこそ2022年に生きる人たちの役目であり面白さであると思う。

ミスター・ジャロピーは接着剤ではなくネジを使うと、製品は分解・修理しやすくなる、では自然についてはどうか。そもそも製品ではないという見方がある。一方で廃材に囲まれた環境というのを考えた際に、廃材の資源化に取り組むことのできる状態というのは、森に立ち入ってサバイバルして生活を成り立たせることができる、というのとある意味近い状態なんではないか。

彫刻家イサム・ノグチは地球人としての生き方を提唱して、自然とのつながりが失われた現代社会を憂え、関係を取り戻すことを訴えた。バックミンスター・フラーとも交流が深かったことはよく知られているので思想的な影響を互いに与え合っていると思う。

生態学者で文化人類学者今西綿司の考え方の一つには、細部を緻密に観察すると、理解が深まりやがて全体に広がる、というものがあったという。

自然(この廃材に満ちた環境)の細部理解ができるようになるとシステム的に考えられるようになる?そのためにはそもそもDIYというものと自然との向き合い方にどのような関連があるかを考えるところに鍵がありそうだ。DIYと自然を征服しようという考えが結び付きにくいのは何故だろう。

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三題噺的なやり方でブログを書いてみている。お題を三つ選んで、お題そのものやそこから想起されることを書いていく、ということだ。すべてをそのまま混ぜて扱うということではなく発想の手掛かりにしていく、というところを意識している。

今回のお題はミスター・ジャロピー、イサム・ノグチの地球人としての生き方、今西綿司、だった。2つは自分の持っていた関心、今西先生のところは最近人から教えてもらったのでアイデアを拝借した。

参照
ミスタージャロピーのNPRのインタビューhttps://www.npr.org/2008/07/14/92508461/are-you-sure-you-own-your-stuff

Mark Frauenfelder (著), 金井 哲夫 (翻訳)、Made by Hand ―ポンコツDIYで自分を取り戻す (Make: Japan Books)、オライリージャパン、2011

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