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心地よさと罪悪感 2024.1.8

三が日が過ぎて
自分の誕生日を迎え
七草を食べると

ようやく私の中での新年の儀式が終わって
日常にもどれるような感覚になります。

それでも今回はまだなんだかザワザワするのと

あわせて やりたいことがむくむく。

それに加えて
今まで大丈夫だったものが
急に受け付けられなくなってしまったり

と面白い変化を感じています。

触れるもの

見るもの

聴くもの

食べるもの

などなど

に少ーし前からセンサーの感度が
さらに上がり

心地よいなぁ 

好きだな 

愛おしいなぁ

楽しいな

と思えるものを
より大切にしたい気持ち。

どういうことかと言うと

反対に

違和感があったり
あ、今は要らないかな
受付られないなと思うのに対して

今までは

なんとなく
義務感とか
惰性とか
義理とかで

我慢でもなくそういうものとして
受け入れていたり

怖いもの見たさのように
あえて嫌なものに
寄っていったりしていたのですが

そういうものことに

エネルギーや時間をかけることが

どれだけ自分を傷つけてたかに
さらに気づいたというか。

まだ気づいてなかったことがあったというか。

そんなわけで

自分で自分の機嫌をとること

自分の身や心を心地よい場所におくということって

まだまだ探究していけるし

まだまだ削ぎ落とすことができるなと

感じた今年のはじまりです。

今年は変化の年。

来年はさらに変化の年。

変化についてゆくために

出来るだけ重いもの不要なものは外しておきたい。

冬の土用ももうすぐ。

目に留まるもの
手に触れるもの

その都度心地よさを確認する作業をしている感じです。

自分の好きなもの
心地よいものを選んでいくことは

わがままではなくて
悪いことでもない。

そんな当たり前のことに

罪悪感をもたずにいられたら良いなって
思います。

決めるのは自分でいい。

自分が決めたらいい。

自分で決めたらいい。

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