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--Vol.5 どうしようもなかった23歳--

      フリーターの僕が映画監督になるまで Vol.5

リゾートバイトが、終わりの時を迎えました。
リーダーから「まだ全然居てくれていいんだよ」と言われていましが、箱根で写真や物語と出会い、そして自分のやりたいことがなんとなくわかってきた僕は、早く東京に帰りたかったのです。

この時の目標は"ライターになって、数々の著名人の取材を世に出すこと"になっていました。
文章も書く、写真も撮る、著名人の魅力的な記事をつくって人に影響力を与えたい。そんな風に。

そして、東京に戻ってきた僕は、ある出版社のアシスタントに入ることができたのです。

とても嬉しかった。人生がこんなに自分の理想通りに行くなんて。

が、ここを1週間もしないで辞める事になります。

理由は、細かいことはチョコチョコあるのですが、この環境だと、ライターになるのにすごく時間がかかってしまうと思ったことと、アルバイトはたかがバイトの扱いなんだ。ということを思ったこと。

忍耐力がない。

どうしても我慢できなくて、辞めました。
1週間やってないのに我慢できない、1週間もやってないのに、自分勝手な判断と我がままで辞めてしまう。

1度辞めることをすると、本当に癖になります。

この時は結構ショックでした。
念願のところに入れさせてもらったのに、こんな自分の気分でサッと辞めてしまうんだな。と自分にかなり失望しました。

若かったのと楽天的なこともあったので、失望からはすぐに立ち上がり、「運命じゃなかっただけだ」と開き直ってました。まぁ、いつもそうだったんですが。

そこからは、ぐちゃぐちゃでした。

メインの居酒屋のバイトをやりながら缶詰工場で働いたり、トラックの積荷スタッフをやったり、なぜか「おくりびと」に影響されて葬儀屋で働いてみたり、居酒屋のバイト中、お金持ちそうなお客さんに「一緒に仕事しないか?」なんてテンション上がるような声をかけられたと思ったらネットワークビジネスの仕事だったり、もう何をやってるかわかりませんでした。

全部と言っていいほど1週間以内にやめました。

ネットワークビジネスの人がバイト先まで怒りに来たときは困りましたね。

バイトの面接に行って、受からせてもらったのに、初日直前に気分が変わって行くのをやめるとか、採用の電話に出なかったりとか、散々でした。

しかし
なぜなんでしょうね。
いつも仕事を辞めるとき、本当に青空なんです。
辞める仕事場からの帰り道、電話が鳴り止まずベッドで寝ている時、
どんなときも青空でした。
世の中は自分のことを責めていないのか、、そんなことを背中に大きく感じてしまうぐらいの天気だったんです。

責任が何一つなかったんだと思います。
今振り返ると、何故あんなことができたのかと疑問に思います。今だったら、はっきり伝えられるのに。

本当に申し訳ありませんでした。 


人生、2度目の挫折。


一つだけ。一つだけ。めちゃくちゃ切実に思うことがあります。
世の中には、辞めたくてやめられず、自殺をしてしまう方も非常に多いです。

そういうことを考えると、何にも気にせず、やめてもいいんですよ。
って切に言いたいです。
簡単じゃないことはわかっています。
でも、辞めていいんです。辞めてください。
人生は一度きり。時間も2度と戻らない。
命を落とすぐらいだったら、周りに迷惑をかけてもいいと思っています。

友人も親御さんがもし「もうちょっと頑張ってみなよ」と言っていたとしたら、あなたが亡くなってしまったとき、必ずその言葉を後悔します。

でも今はそう言ってしまう。あなたが死ぬなんて想像もしていないから。

辞めると決断したときの空は、必ず青いですから。味方でいてくれます。

このことが、実は言いたかった。
今まで声を大にして言えなかったのです。

今は退職の代行とかもあります。嫌だったら、我慢できなかったら、辞めましょう!

正直、このブログではまだまだ書けないこともあります。
「辞めた経験」関連でお話聞きたい人いたら、コメントください。


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そんな僕が、唯一「写真を撮ること」だけはずっと続けていました。

写真家のホンマタカシさんのワークショップに通ったり、モノクロのフィルム現像のワークショップに通ったり、作家さんの本もこの頃はよく見ていました。

国会図書館で、写真家の写真集を1日ずっと眺めたりもしていました。
ホンマタカシをはじめ、アラーキー 、森山大道、金村修、畠山直哉、佐内正史、長島有里枝、HIROMIX、大和田良、川内倫子など、その世代の代表的な写真家に影響を受けていました。

僕の目標は次第に「写真家になる」ことへと変わっていきます。
*コロコロ変わりすぎ。。

写真新世紀にも、応募したりしましたね。
EINSTEIN STUDIOの第一回目の展示会も応募したなぁ。。
(タイトルの写真を応募しました・・・)

バイトをめちゃくちゃしていたので、思い切って「iMac」「フィルムスキャナー」「プリンター」「Canon 5D MARK Ⅱ」も衝動で買いました。

とにかく写真が好きでした。

スナップ撮影は、ずっと撮ってられるぐらい。


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そして。

映画をちゃんと見はじめたのも、この頃からでした。

大きな商業的な映画ではなく、小規模の映画が多かったです。
僕はもともとリングや呪怨などが子供の頃から好きで、グロテスク・サスペンスの分野で映画界を切り開いていった気がします。そこがスタートでした。

殺し屋1、ブラックキス、隣人13号、海外でいうとマーダーズ(→これは結構やばいです)ホステル、SAWシリーズ、ムカデ人間、などなど
(懐かしい・・・!)

箱根で見たswichのオダギリさん特集、そしてブラックキスの怪演でとても彼を好きになり、次に見たのがオダギリさん主演の「HAZARD」、そこから「転々」へと、日本の小規模映画を見るようになったのです。

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完全なフリーター生活が、はじまりました。

23歳が、終わろうとしていました。


まとめ
・二度目の挫折。念願の出版社を1週間で辞める。開き直る、辞めることが癖になってしまう。
・写真だけは、撮り続けていたこと。写真家の写真集をよく見る。
・iMac、そして5DMARKⅡを買う。フリーターのくせに。


次回のVol.6は、僕にとっての本当のターニングポイントとなる人に出会う話です。この出会いがなかったら今の僕は絶対に存在していません。

また、よろしくお願いいたします。


桜屋敷知直 1986年生まれ
bird and insect / Direcor (写真・映像の制作会社)
https://bird-and-insect.com/company/

映画「雨とひかり」公式サイト
http://ame-to-hikari.com/