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--Vol.7 京都に駆け落ちしてしまった話--

フリーターの僕が映画監督になるまで Vol.7

「フリーターの僕が映画監督になるまで」Vol.7は、
「映画監督」はどこへいった?というぐらい突拍子な話になります。

今回のブログだけは、
駆け落ちしたいけど不安すぎてどうしたらいいかわからない!
と言う方にあるべきブログなのかもしれません。

ですが、映画はストーリーです。
きっと僕に訪れたこの出来事(ストーリー)も、映画監督への道に必要なものだったのでしょう。それでは、スタートです。

———————

突然ですが、みなさんには「若気の至り」という表現がもっともしっくりくるご経験はありますでしょうか。

若気の至り
若気の至りとは、若い人の気持ちの中でも特に後先を考えずに、情熱的に行動してしまう傾向をあらわすことわざです。 年配の人が若者の失敗をかばうときや、自分自身の過ちを若さのせいにするときにも使うことのできる言葉です。 同義語には、「若気の過ち」「無分別」「浅はかさ」「青さ」などがあります。

改めて、これから話す経験が僕の若気の至りで1番大きなことです。



1.【駆け落ちした】

当時、僕は練馬区から憧れの世田谷区に引っ越してきました。
引っ越してから、2ヶ月ぐらいが過ぎた頃でしょうか。

そのときに付き合っていた彼女さまと、駆け落ちをしました。

駆け落ち(かけおち)
愛し合っている男女が一緒になることを親によって許されない事情があり、親の知らないところで同棲生活をするために一緒に逃げること。

だそうです。なるほど。

本当は、計画的に1ヶ月後とかにしようと考えていたのですが、色々ありまして、突然(本当に突然)決意を決め、駆け落ちに動き出しました。

世田谷のマンションの解約をする暇もなく————-

「明日駆け落ちをする」ことを決め、着替えとカメラだけバックパックとスーツケースにはちきれるほどいれ、次の日京都に旅立ちました。

その日はアルバイトが入っていたけれど、何も言わず、そのまま。

本当は何か言いたかったけど、許されるはずもないと思い、なんて言っていいかわからなくてバックれてしまいました。本当にすみませんでした。

若い頃の僕は、

とりあえずやれとりあえず言え行動したら出来事はついてくる。

そんな考えでした。

携帯の電源を切り(当時はガラケーだったなぁ)誰かに見つかることを必要以上に恐れ、家の前にタクシーを呼びそそくさと乗り、ドラマのように「出してください!」と運転手さんを煽り、品川駅に向かい、京都行きの新幹線に乗りました。

僕の心臓はバクバクしていました。
身体も心も浮いている感じがして、自分が自分じゃないような、そんな感覚が押し寄せていました。

自分たちに、そして自分に、これからどんな生活が待っているんだろう。

その時は1時間後の未来も予測できないほど、わからないことばかりでした。

---写真は京都到着時のもの。

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京都駅に着くと、気持ちも落ち着いてきました。
携帯の電源をonにすると、バイトの仲間たちからメールが沢山来ていました。

4、5年付き合いのある仲間から絶交のメールが来ていたり(これにはショックだった・・「お前が言うなよ・・」ですが)それでも心配をしてくれるメールが来ていたり、めちゃくちゃ笑ってる人もいました。

笑ってくれた人とは、今でも付き合いがあるというのがとても嬉しい。感謝。(その中にうちの代表、シュンタロウさんもいますw)

そもそもなぜ京都なのかというと、中学の修学旅行で行ったり、高校生のときの弾丸旅行だったり、そういえば19歳ぐらいの免許取立ての頃、地元の友達と「今日何する〜?」って話したときに、もう夕方過ぎだったのにも関わらず「京都行くか」っていきなり行ったこともありました。
そんな青春時代からいつの間にか憧れ続けていた京都に、住んでみたいとなんとなく思っていました。

※当時faceboo全盛期でしたが、駆け落ちしたこともあって、京都にいる3年間ぐらいはfacebooやSNSの投稿を一切していませんでした。思い出すなぁ。かなり発信は抑えてました。




2.【駆け落ちして最初にやったこと】


京都に着いて真っ先に行動したのは、マンスリーマンションの契約です。

マンスリーマンションは、空いていたらとにかくお金があれば1ヶ月〜半月ぐらいの長期にわたって住む契約ができるのが特徴です。
(通常の賃貸は職についていけないといけなかったり諸々条件がありますよね)(今はAirBとかあって便利すぎる!!!)

運よく物件も見つかり、すぐに契約をすることができて、京都市の北大路という地域に住むことになりました。(京都の北の方)ビブレ、大変お世話になりました。

★ここの近くに「金ちゃんラーメン」というボロボロの屋台のラーメン屋があって、すごくうまいです。

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次に、マンスリーマンションを借りているうちに今度は賃貸を探さなければならない。マンスリーマンションは面倒な審査がないのでいいのですが、賃貸に比べて家賃が高いです。

京都の家賃は2017年当時は6万円もあればそれなりの賃貸が借りられる中、マンスリーマンションは1ヶ月10万円ぐらいしました。

賃貸を借りる上で必ず必要になるのが、収入のあてがあるという証明書です。(つまり京都での仕事先を探す)

正直、勤続していないと厳しいみたいなのですが、
・借金やをしていないこと
・光熱費や携帯などの滞納歴がないこと
・京都に来た理由が明確にあること。
・働いている親族の保証人がちゃんといること。


これさえクリアすれば、安い賃料のアパートだと貸してくれることが多いです。

当時は借金や滞納歴はなかったし、京都に来た理由は色々と駆使して架空の話を作り、保証人は弟になってもらいました。

そしてすぐに、バイトも沢山の面接を受けました。

自分に合う場所を徹底的に見つける。これが自分らしく生きるため・働くためのコツです。合わなかったら、自分に対して何も価値を生まないと思ったら、すぐやめる。我慢している時間は人生にはないと思っています。(言い訳です)

最初はホテルの清掃・セッティングのバイト(シュンタロウさんも京都の学生時代にやっていたようです)をやり、そのうちに京都駅のカフェと、京都随一の繁華街四条河原町での居酒屋(東京で働いていたのと同じチェーン)そして今は無き「座・和民京都烏丸三条店」の3つを掛け持ち。
(写真・映像、全く関係ないですね・・・泣)
生活のサイクルは、7時-13時でカフェをやって、17時-27時or14時-24時で居酒屋という仕事サイクルでした。


この3つのバイトを見つけるまでに、6つぐらいは面接したかも。


*そういえばですが、東京の賃貸は京都定住後、解約の手続きをしました。
すごく覚えているのが、引渡しの前日に東京の家に行き片付けをはじめました。めちゃくちゃ体調が悪かったのを覚えています。引っ越し業者さんに荷物を京都へ運んでもらい、運べない冷凍食品や食材などは幸い近くに住んでいたスタイリストさんに全部もらってもらいました。あー、懐かしい・・・京都の往復だけでも新幹線3万円近くかかるのが痛かったなぁ、、、本当に痛かった、、、ちなみに、単身の荷物で東京から京都までの引っ越し業者の費用は5万円ぐらいでした。




3.【パチスロにハマってしまった京都時代】

正直この時代、お金がなかった、、、
直近で練馬区から世田谷区への引っ越し、京都マンスリーの契約、賃貸の契約、毎日の生活費で本当に苦しかったです。
アルバイトというのは、フリーターといえども、働きはじめてすぐに沢山のシフトに入れるわけではないです。メインでシフトに入れるようになるまでには2ヶ月ぐらいはかかります。

もちろん、人が圧倒的に少ないとか事情があれば別ですが、現実は結構厳しい。そんな環境で僕は、逃げるように、すがるように、パチスロにハマることになります。。

休みの日はパチンコ屋に行って1日中お世話になりっぱなし。負けたら心臓がドキドキするぐらい焦ったり、勝ったら気持ちだけは幸せいっぱいだけど現実はマイナス。京都らしい京都を楽しんだり観光した記憶は京都滞在中の3年間の中で両手で数えて余りが出るぐらいです。

パチスロシリーズ「貞子」「エヴァンゲリオン」「化物語」は生涯僕の記憶に残り続ける光景になることは間違いないぐらいのものになりました。

((何を言ってるんだ僕は・・・))

当時どれぐらいお金がなかったかというと、すごい人から比べると大したことはないのですが、支払い関係は全て支払い期日には払えず、第一回目の催促のときに支払いをしていました。アルバイトの給与が15日と月末に分かれていたので、そこのバランスを把握しつつ、うまく払い続けていました。

2回ほど、「万枚」といって当時のレートだと10万円以上勝ったときがあって、その日だけは神様を信じていました。




4.【京都時代にやっていたクリエイティブ(?)なこと】


ちょっとドン引きされることを回避するために、それらしいことに転換します。京都時代にやっていた非常にレベルの低いクリエイティブ(もはやクリエイティブとは言ってはいけない)なことは以下です。

①映画をたくさんみてブログを書くこと
②写真を撮影し続けること
③自分の強み(?)を活かして何かをすること

でした。

①映画をみてブログを書くこと
「ナメてんのか!?甘いのか!?」
https://kakeochibeyond.blog.ss-blog.jp/archive/201401-1

映画をみて、その映画についてをネタバレなしで紹介するというブログを書いていました。URLが「駆け落ちビヨンド」って・・・希望があるのかないのかw
当時の僕の心情が表れている綴りですね。
タイトルの由来は、自分が世の中をナメてるのか?それとも自分に甘いのか?どっちなんだろうと自問自答しながらつけました。
100記事書いてからはもう更新をしていません。
何の映画を観ようかな〜って思ったら参考にしてください。
このときは、今では話題にならないような2000年代の名作というものを結構見ていた気がします。この2000年代の名作って今の配信サービスじゃなかなか配信されていないんですよね。問題作も多かった気がする。

今回ここでしか映画監督の道につながることがないので、せっかくなので当時見た今でも鮮明に覚えているおすすめの映画を紹介したいと思います。

下記の映画はブログでも紹介しております。

1.転々
2.BLACK KISS
3.HAZARD
4.サイタマのラッパー
5.殺し屋1
6.パレード
7.空の境界
8.悪魔を見た(韓国)
9.トウキョウソナタ
10.秒速5センチメートル
11.世界で一番美しい夜
12.ゆれる
14.火車-HELPLESS(韓国)
15.その夜の侍
16.闇の子供たち
17.言えない秘密(台湾)

どれぐらい知っているでしょうか。
配信サービスである作品もありますし、ない作品もあります。
この作品は、おそらく忘れることのない作品になりそうです。
僕ももう一回見直そうかと思います。

②写真を撮影し続けること
京都に行っても、写真は撮影していました。
デジタル一眼の5Dmarkk2、フィルム35mmのFM10、そしてフィルム中盤カメラのZENZA BRONICA、この3つを使って。
撮影した写真は、当時まだ発足したばかりのEINSTEIN PHOTO COMPETITION(JAPAN PHOTO AWARD)や写真新世紀に応募したりしていましたが、受賞することはありませんでした。
そういえば、、、京都に来て2年が経ったころ、当時ローンチしたばかりの個人でネットショップをつくれる「BASE」をやっていました。
いまだに1つも売れておりません。当たり前か。

まだありました(泣)
https://storyphoto.thebase.in/

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完全に世の中をなめてますね・・・・

他にも、「EINSTEIN PHOTO COMPETITION」という今は名前を変えて
JAPAN PHOTO AWARDという写真のコンテストに応募したり。

----当時「TRASH TREE」という作品をつくり応募していました。いつも公園の同じ木の同じ枝にゴミをかける人がいて、それを撮ったものをプリントして木や放置自転車にかけて撮影するという謎の・・・
今じゃクオリティがひどい・・・
コンテストが記念すべき第一回目ということもあり、会場に展示しれくれたときはわざわざ京都から見にいきました・・・

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スナップも撮ってましたね。京都っぽくないけど。。
家の前

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バイトに行く時の道①

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バイトにいくときの道②

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寺などはほぼ行っていないので一度も撮っていない・・・


③自分の強みを活かして何かをすることやはり何か面白いことをしたい!というのは思い続けていました。
自分の強みはなんなのかを考えたときに
・写真が撮れる ・飲食店経験が豊富
そう考えたときに、「飲食店経験者がつくる求人サイト」をつくったら流行るのではないかと考えました。
飲食店って求人サイトだけで見えない・わからない事情ってすごくあるんです。例えば働いている年齢層で、フリーターが多いのか、学生が多いのかでお店の雰囲気やルールって結構変わってきます。
曜日によってどれぐらい忙しさが違うのか、そこに対してちゃんとスタッフがいて理不尽な忙しさはないのか、ぶっちゃけ客層ってどんな方が多いのか、などです。
僕がやろうとしていたのは、飲食店経験者が通常の求人サイトより突っ込んだ内容の求人サイトをつくる。「これは来たぞ!」と思い、自分でhtmlなどを勉強してサイトをつくっていました。が、営業活動が全然うまくいかず挫折してしまいました。(懐かしい・・・)




5.【京都の魅力】


最後に京都の魅力を僕なりに書きたいと思います。

賃貸が安い
今はどうか分かりませんが、東京と同レベル?の魅力的な街なのに、賃貸は東京の2〜3割安いです(今はどうなんだろ・・・)僕はもうちょっと選べば良かったのですが、当時住んでいた賃貸は京都駅まで徒歩5分の新築のマンションに住んでいました。
新築・駅近・1K8畳・オートロック・宅配ボックス・自転車置き場付きで6万5千円でした。【都心】と考えると安いですよね。
他にも、京都らしい古民家の家もありましたが、僕は敷金礼金なしを探していたのでそこに住んでいました。
京都は賃貸は安いのですが、敷金・礼金をすごい取る文化がある。
しきたりなのかわからないですが、物件探しの時によく言われましたね。


・自転車があればどこへでも行ける
どこへでもというのは語弊があるかもですが、僕は京都駅前に住んでいて、バイトへは自転車で言っていました。
どこへでもーというのは、自転車で行けるところに「観光地」や「良い食事処」「大手のデパート」「繁華街」などなんでも揃うということです。
もちろん辺鄙なところに住めばそんなこともないのですが、都心に住んでも賃貸が安い、周りには上記のスポットがある。という意味で捉えていただけると幸いです。

本当に観光地は多いですし、魅力的なお祭りもある、趣のあるカフェやこだわりの食事所もある、全てが揃ってる繁華街もある、大きな鴨川で心も休められる。それが全部自転車で行けるというのは、意外とあまりない土地だな〜と思っています。


・なんか夜遅くまでやっているお店が多い
京都に住んでいて割と嬉しかったことなのですが、夜遅くまでやっているお店が多いのです。東京ももちろんありますが、それは新宿や六本木とか超繁華街の話。京都はそれほど繁華街ではなくても深夜までやっているお店が多いです。

例えば、個人でやっていそうな喫茶店とかが朝の5時までやっていたり、レンタルビデオ店が24時間空いていたり(ビデオinアメリカというチェーン店)、これは個人的にですが、パチンコ店って風俗法で23時完全閉店(プレイは22:45まで)なんですが、京都ってイベント日だと25時までやっていたり、年末年始とか24時間やっていたり、なんか、すごく日本じゃない感覚がちょっぴり味わえます。笑  

((何を言ってるんだ僕は・・・))


・道が覚えやすい
京都の道は綺麗に五番上になっていて、横の軸(道)と縦の軸(道)の通り名称があって、タクシーで行く時には、その横縦の道の交わった点を答えればいいのです。横が四条通りで、横は烏丸通りだったら「四条烏丸」という感じです。
僕のバイト先の和民は、三条通りと烏丸通りの場所にあったので、三条烏丸という感じです。まぁもっと細かい表示はあるのですが、大体のメインどころはこれで把握できます。大体のところは自転車で、少し遠いところはカーシェアを使っていました。


・みんないい人
これだけは言いたいです。京都の人は「よそものに冷たい」と言いますが(昔の話か?)僕はすごく人に恵まれました。東京から京都に引っ越して、関東から関西という場に引っ越してきて最初はとても不安でした。やはり感性弁は東京都は間隔が違うし、標準語のつまらん自分がやっていけるのかというのも正直思っていました。が、そんなつまらん僕を「おもんな!w(面白くない)」といじり笑を生み出し、ツッコミをしない僕に「で?w」とまたまた笑を生み出しながらも、楽しくときには悪ふざけをしながら働けた環境に感謝しかないです。ときに真剣になったり、ときにいざこざがあったり、色んな人がいましたが、ここでの思い出も、一生忘れることがないと思います。最近ツイッターで、「京都の大学にいたやつ、一生京都の話しかしない」的な内容を見ましたが、すごくわかるし、それほど、場所も人も魅力があるのだと思います。



6.【最後に】


こんなに遠回りしたり、人さまに迷惑をかけ続けたりしていましたが、こうした経験がなかったら今の環境にいなかったかもしれません。
そう思うと、どんなことも大切な思い出だなと真剣に思います。

世界は本当に広いですし、自分のことを知らないところなんて、少し足を伸ばせばどこにでもあります。やり直せることだってできるし、自分の意のままに好きなことだってできるのが人生だと思ってます。

心底悩んでいるのならば、軽く、飛び出してしまえば、一歩を踏み出してしまえばなんだってできるのが今の世の中です。

「この人、こんなんだったのに今はbird and insectという会社で働けて、映画もつくってるんだ」なんて誰か一人でもいいので励みになれたら嬉しいです。

もっと詳しい話が聞きたい方は、ぜひざっくばらんと聞いてください。
このブログでは書けない話、たくさんできます。何かみなさんの為になるなら・・・(このブログ、かなりオブラートに包んで書いています)

次回は東京に帰ってからのお話しを書きます。
帰ってからはもう少しまともな人生を歩んでいくことになります。
京都から帰ってきてbird and insectに入るまでには2年間ぐらいあったかなと思います。その間何をしていたか、というのを書こうと思っています。

今後とも、よろしくお願いいたします。