寺山修司の短歌「日あたりて雀の巣藁」
この歌は『われに五月を』から引いたものだ。『空には本』や『寺山修司全歌集』では、「雀」の部分が「雲雀」になっている。
雀はスズメ目ハタオリドリ科、雲雀はスズメ目ヒバリ科で、同じ目の鳥だ。漢字も「雀」と「雲雀」と似ており、音も三音、どちらでもよさそうだ。寺山自身が最終的に「雲雀」としているのだから、本来はそちらを採るべきだろう。でも僕は「雀」の方が気に入っている。理由は末尾の「テクストの異同」のところで述べる。
■語句
巣藁――巣を作りあげている藁のこと。
こぼれおり――「こぼれている」。「おり」は古語では「をり」。「~している」の意。
駆けぬけすぎし――「駆け抜けて過ぎた」。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。
日あたりて――「太陽の光が当たって」。
■解釈
どこで切るのだろうか。
「日あたりて/雀の巣/藁こぼれおり/駆けぬけすぎし/わが少年期」とすると意味が通るような気がするが、「五・五・七・七・七」となってしまう。
だから、「雀の巣藁/こぼれおり」と切るのだろう。こうすると、「五・七・五・七・七」となる。
でも「巣藁」って言葉はあるのか。手近な辞書には「巣藁」という語は載っていなかった。
検索してみると、俳句には「巣藁雀」という語がある。巣作りをする雀のことをいい、春の季語となっている。
また、冨田みのるの句に、
がある。これは「雀の巣藁/垂れにけり」と切れているようだ。だから、巣藁という語がないわけではない。(「夢殿」は、法隆寺東院の正堂のこと。)
寺山の歌も、「雀の巣藁/こぼれおり」と切ることにしよう。
歩いていると道端に雀の巣の切れ端が落ちているのを見つける。雀の巣は軒の奥などに隠されて作られるが、その一部が落ちてきて日にさらされるままになっている。
巣は使われているときは精妙に整えられているが、使われなくなってくずれてしまうと、無残な印象を与える。隠された雀の巣が持っていた神秘性はもうない。
それを見て「われ」はあらためて、少年時代はもう二度と帰っては来ない、なんとあっという間に過ぎ去ってしまったことか、と思う。
子供の頃、必死になって雀を捕まえようとしたり、巣の中の卵を取ろうとしていた自分。雀を捕まえたり、卵を取ったりしていったい何をしようと思っていたのか。なぜあんなに夢中になっていたのか。今はもう思い出せない。
過ぎ去った少年時代を惜しみ、さびしく思い、悲しむ寺山修司の歌は多い。その一つだ。
「スズメノスワラ」とス音が頭韻となっている。また、「カケヌケスギシ」と「ショウネンキ」のシ音が響き合っている。
■他の人のコメント
◆原田千万:1988
『空には本』に載っている「雲雀」となっている方の歌の解説。
■テクストの異同
◆「雀」と「雲雀」の違い
最初に述べたように、『空には本』や『寺山修司全歌集』では、次のように「雲雀」となっている。
「雀」でも「雲雀」でもそれほど大差ないように思うかもしれない。しかし、巣の場所が違う。
雀は、屋根瓦の隙間や庇の下、また雨樋など、高いところに巣を作る。それに対して雲雀は、草原や河原や畑など、低いところに巣を作る。草の根元にくぼみを作って枯草などを敷いて作る。
つまり、雲雀の巣なら、「われ」は家のあるところではなく、草原や河原などの広々としたところにいることになる。
そんなふうに、「雀」と「雲雀」では読者の思い描くイメージが異なってくる。
◆なぜ「雲雀」に?
なぜ『空には本』や『寺山修司全歌集』では「雲雀」になっているのか。
★理由その1:誤記・誤植?
『われに五月を』(1957)の「雀」は誤記、あるいは誤植だった。その後の『空には本』(1958)でこれを正した。『寺山修司全歌集』(1971)でもそれを踏襲した。
どうだろう。この可能性は低いのではないか。漠然とした印象だが、『われに五月を』よりは『空には本』の方が誤記・誤植は多かったような気がする。
★理由その2:盗作批判を怖れた?
寺山修司は1954年に、『短歌研究』の「五十首応募作品」で特選を得て、文壇に華々しくデビューした。50首のうちの34首が同年11月発行の『短歌研究』に掲載された。それらの歌のいくつかは、激しい盗作批判を受けることになった。
今回の歌は、1954年の『短歌研究』「五十首応募作品」には含まれていない。だから、おそらくそれ以後に作ったのだろう。『われに五月を』は1957年1月1日発行だから、作歌は、1954年後半以降から1956年にかけてということになる。
すでに挙げた冨田みのるの句「夢殿に雀の巣藁垂れにけり」は、1957年以降に作られているようだから盗作とは無関係だ。でも、たとえば山口誓子の次の句などは参照したかもしれない。
ただ、こちらの方は、「雀の巣/藁しべ垂れて」と切るのだろう。
山口誓子が師事した高浜虚子に
という句もあるようだ。まあ、みんな先人の表現を取り入れつつ自分の世界を作り出していくのだろうから、寺山が「雀の巣藁」という表現を使ったからといって、非難されるいわれはないだろう。それでもいろいろ言われたので、用心したかもしれない。
★理由その3:雲雀が好きだった
「雲雀」は寺山の歌に頻出する重要なモチーフだ。空高く舞い上がる雲雀が寺山は好きだった。だから「雀」を「雲雀」に変えたとも考えられる。
★理由その4:韻律の関係
「雀の巣藁」ならス音が頭韻となるが、「日あたりて雲雀の巣藁」なら、「ヒアタリテ」と「ヒバリノスワラ」のヒ音が頭韻となる。寺山は後者の方が調子がいいと思った? う~む、僕は前者の方がいいと思うが……。
いろいろ挙げてみたが、どれが正しいのかはもちろんわからない。僕としては、理由その3が一番可能性が高いかなあ、と思っている。
◆「雀」の歌の方を取り上げた理由
僕が「雀」の歌の方が気に入っているのは、おそらく自分の子供時代の経験が大きく関係しているのだろうと思う。
そもそも子供のときには雲雀のことはほとんど知らなかった。河原で空に舞い上がる鳥を見かけて、あれが雲雀かと思ったのは大人になってだいぶ経ってからのことだ。「揚げ雲雀」という言葉がしっくり理解できたのもそのときだ。
それに草原や河原で鳥をつかまえたことはなかった。雀を捕まえたり、その巣を見つけたりしたのは、家の建て込んでいるところでだ。
そういうわけで、草原や河原に「こぼれ」ている巣藁のイメージがあまりない。想像してみても、あまり美的に感じられない。
ま、そんな個人的な理由によるのだろう。
■おわりに
雀を捕まえるなんて、昭和の子供だからか? 今の子供はもうそんなことはしないんだろうな、などと思っていた。
あるとき、道を歩いている男の子を見た。普通にのんびり歩いていたのに、バッタでも見つけたのだろう、突然鋭い目つきとなり、狩りをする猫のような姿勢になった。手のひらをそっと持ち上げて、足音を忍ばせ、緑の繁みに近寄っていく。
狩猟本能なのだろうか。いつの時代でも変わらない子供の姿を見てうれしくなった。
■参考文献
『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011
『われに五月を』覆刻版、日本図書センター、2004
『空には本』覆刻版、沖積舎、2003
原田千万 →『日本文芸鑑賞事典 第17巻』ぎょうせい、1988
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