寺山修司の短歌「さむき地を蚤とべり」
「そそくさとユダ氏は去りき春の野に勝ちし者こそ寂しきものを」では、友達が自分を裏切る。それに対してこの歌では自分が友達を裏切っている。
■語句
蚤――人や犬や猫などに取りついて血を吸う小さな虫。跳躍力にすぐれ、体長の200倍も跳ねることができるという。血を吸われたところは非常にかゆくなるが、人に寄生するヒトノミは衛生状態の改善により、近年は見られなくなったとのこと。
とべり――「跳んでいる」。「り」は存続(~している)を表わす助動詞。
■解釈
と、こんなふうに切ると、五・五・八・八・七の三十三音となる。破調の歌だ。
「われ」は大人か、少年か?――少年だろう。大人になった語り手が、少年の頃の一場面を思い出している。
寒い季節。夕方。友達との別れ際。「われを信じつつ」とあるので、「われ」が友達に嘘をついていることがわかる。
「さむき地を蚤とべり」――これは実際の光景ではないと思う。だました友達を見送る「われ」に見える幻想だろう。友達との間が透明なものではないことを表わしている。
蚤は人の血を吸う。他者に寄生し、他者を利用して生きている。「われ」はそのような蚤に自分を見立てているのだ。
さむざむしい光景とさびしい裏切りがマッチしている。「われ」は嘘をつかざるを得ない自分を悲しんでいる。
自分自身の心の痛みをしっかりモニターする繊細な神経が印象的だ。
■おわりに
友達に裏切られることや友達を裏切ることは、どちらも人生では避けられないことだ。(え? そうではない?)
大事なのは、その一瞬一瞬を感じ取り、記憶にとどめておくことだ。(え? さっさと忘れたい?)
■参考文献
『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011
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