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ガルシア・ロルカの詩「別れ」――ぼくが死んでも

ロルカの詩「Despedida(別れ)」は、小海永二訳が定番のようだ。ほかに長谷川四郎訳も知られている。

僕がこの詩を知ったのは寺山修司を通じてだ。(これについては「寺山修司によるロルカの詩『別れ』の翻訳」を参照)寺山訳で心を動かされたので、それに愛着がある。

でも寺山修司の訳には気になるところがある。それで思い切って自分で訳してみることにした。スペイン語はわからないが、最近は優秀な翻訳ソフトがある。英語やドイツ語や日本語に訳してみた。またネット上の英語訳も参照した。微妙なニュアンスについてはスペイン語のできる友人に教えを乞うた。

以下が僕の訳だ。

  別れ

    ガルシア・ロルカ(ヨジロー訳)

ぼくが死んでも
バルコニーは開けておいてくれ

子供がオレンジを食べている
(バルコニーからそれを眺めるのだ)

農夫が小麦を刈っている
(バルコニーからそれを感じるのだ)

ぼくが死んでも
バルコニーは開けておいてくれ

これまでの和訳(以下の「補足」参照)を参照しながら、う~む、う~むと呻吟し、試訳を10個ほどを作った末にできたのは、結局、寺山訳とほとんど変わらないものだ。やはり、最初に気に入った訳からはなかなか離れられないようだ。ヨジロー訳とするのも気が引ける……。

■解釈

◆内容

詩の「ぼく」は今まさに死に瀕している。そして、最後の望みを誰かに伝えている。恋人にか、あるいは妻にか。

バルコニーに通じるドアを開けたままにしておいてくれ、と言っているのは、そのドアから外に出るためだ。死んで霊となった「ぼく」は家の中にいて、バルコニーに出たいのだ。霊はドアを通り抜けられないようだ。

バルコニーに出て何をするのか。子供がオレンジを食べているのを眺める。「バルコニーから」とあるので、子供はバルコニーではなく、庭でオレンジを食べているのだろう。庭にはオレンジの木があり(★1)、それから直接実をもいで食べるのだ。

庭の向こうには麦畑が広がっている。農夫が大鎌(★2)を使って、それを刈っている。これは遠景だ。だから、刈る音は聞こえない。「聞く」ではなく、「感じる」となっているのはそのためだ。

人々が平穏にいままでどおりの生活を続けている。それをバルコニーから見守っていたいと、ただそれだけを望んでいる。

◆感想

どんなふうに死んでいたいか、という問いに対して、人間は太古の昔からさまざまなイメージを紡ぎ出してきた。そしてこの詩は、その問いに対するロルカの答えだ。

詩を読むと、そっか、こんなふうに死んでいるのが一番いいのかもしれないなと思う。

◆詩の舞台

ロルカはグラナダ郊外の村フエンテ・バケーロスに生まれた。詩のイメージのもととなっているのはこの生地だろう。ロルカに次のような言葉があるようだ。

私は田舎を愛します。私は自分のすべての感情がそれと結びついているように感じます。私の最も古いこども時代の記憶は大地の香りがします。大地や野原は私の人生において偉大な存在だったのです。地面の虫や動物たち、それに田舎の人々は、ごくわずかな者にしか摑めないような魅力をもっているのです。

本田誠二「ガルシア・ロルカと宮沢賢治」より

■他の人のコメント

◆寺山修司「黙示録のスペイン――ロルカ」:1974

 彼(=ロルカ)は「子供がオレンジを食べる」のを、死んでも「バルコニーにいて」眺めていたかったのだ。生と死のあいだには、バルコニーのドア位の仕切りしか存在していない、というのがロルカの死生観であり、しかも信じられないことに、ロルカは「生と死とは対立関係ではなく、場所が違っているだけのこと」だと、考えていたのであった。
 だから、死神が居酒屋を出たり入ったりしていたり、死んだ女の子が水の上を流れいきながら、歌っていたりするのが彼の故郷の情景となっていた。

『私という謎』14頁より

寺山は、生が終わって死がやってくるのではなく、生の中に死があり、その死は「風向きの具合によって」(同上15頁)「一日のうちにも、やって来て去り――やってくる」(同上16頁)ものであるとも書いている。

寺山はロルカの詩に見られるそのような死生観に共感している。

■おわりに

この詩はロルカの第二詩集『歌集』(1927)に収められている。ロルカがこの歌集を出版したのは、29歳か30歳のときだ。となると、この詩を書いたのは20代のことだ。

もう死期が近いころに書いたのかと思ってしまうが、そうではない。

ロルカは1936年、スペイン内戦勃発の約一か月後、ファシストたちによって銃殺された。38歳だった。

ネットの「河津聖恵のブログ 『詩空間』」によれば、「資料館となっているグラナダの彼の家のバルコニーは、今も閉められないまま」だとのことだ。

■注

★1:スペインの地中海沿岸はオレンジの産地。グラナダ県は地中海に面している。

★2:大嶋渚によると、イギリスでは18世紀後半から19世紀にかけて、麦刈りの鎌が重い大鎌に変わり、以来男性が刈り取りを行うようになった(大嶋19-20頁)。スペインでも似たようなものだろう、と考えた(乱暴?)。

■補足:さまざまな訳

◆小海永二訳

  別れ

わたしが死んだら、
露台バルコンは開けたままにしておいて。

 子供がオレンジの実を食べる。
露台バルコンから わたしはそれを見るのです。)

 刈り取り人が麦を刈る。
露台バルコンから わたしはその音を聞くのです。)

 わたしが死んだら、
露台バルコンはあけたままにしておいて。

『ロルカ詩集』土曜美術社出版販売、53-54頁

◆野々宮ミチコ訳

  別れ

私が死んだら、
バルコニーを開け放しておいておくれ。

子供がオレンジを食べている。
(私のバルコニーからそれがみえる)

刈入れ人が麦を刈っている。
(私のバルコニーからそれを感じる)

私が死んだら
バルコニーを開け放しておいておくれ!

『世界名詩集大成14 南欧・南米』323頁

◆長谷川四郎訳

  さらば

ぼくが死ぬとしたら
バルコンはあけといてくれ。

子供がオレンジを食べている。
(バルコンからそれが見える。)

農夫が麦を刈っている。
(バルコンからそれが聞こえる。)

ぼくが死ぬとしたら
バルコンはあけといてくれ!

『近代の詩人別巻 訳詩集』216-217頁

◆寺山修司訳

題はない。

ぼくが死んでも
バルコニーは開けておいてくれ
子供がオレンジを食べている
(バルコニーでそれを眺めるのだ)

百姓が小麦を刈っていく
(バルコニーでそれを感じるのだ)

ぼくが死んでも
バルコニーは開けておいてくれ

白石征『望郷のソネット』のエピグラフ

■参考文献

◆訳書

★小海永二訳
「暇乞い」、ガルシア・ロルカ『月とオリーヴの歌』国文社、1956、54-55頁

「暇乞い」(小海永二・羽出庭梟共訳)、『ロルカ選集 第1巻』ユリイカ、1958、92-93頁

「別れ」、『ロルカ詩集』小海永二訳、飯塚書店、1961、77頁

「別れ」、『ロルカ全詩集Ⅰ』小海永二訳、青土社、1979、470頁

「別れ」、『ロルカ詩集』土曜美術社出版販売、1996、53-54頁

「別れ」、『小海永二翻訳撰集 第3巻』丸善、2008

★野々山ミチコ訳
「別れ」、『世界名詩集大成14 南欧・南米』平凡社、1960、323頁

★長谷川四郎訳
「さらば」、谷川俊太郎編『愛の詩集』サンリオ、1981

「さらば」、『近代の詩人別巻 訳詩集』谷川俊太郎編、潮出版社、1996、216-217頁

「さらば」、『ロルカ詩集』土曜社、2020、62頁。

★寺山修司訳
「無題」、白石征『望郷のソネット』深夜叢書社、2015、エピグラフ

◆文献

目黒聰子「日本におけるガルシーア・ロルカ文献目録」、1973、早稲田大学リポジトリ

本田誠二「ガルシア・ロルカと宮沢賢治」、川成洋・坂東省二・本田誠二編『ガルシア・ロルカの世界』行路社、1998、222頁

大嶋渚「18世紀後半から19世紀のイングランドにおける落ち穂拾いの慣習」、博士論文、関西学院大学提出
https://kwansei.repo.nii.ac.jp/records/27367

ネット「河津聖恵のブログ 『詩空間』」:2011年12月6日
https://shikukan.hatenablog.com/entry/post-d014

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