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ゲーテの詩「レモンの花咲く国」―ミニヨンの歌

ゲーテの長編小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(以下『修業時代』)の第三巻第一章冒頭に、有名な「ミニヨンの歌」がある。

ミニヨン(★1)という12、3歳ほどの少女が、ツィター(弦楽器の一種)を弾きながら歌う歌だ。

小説に挿入されたものなので、題はない。

僕はこれを「君知るやレモンの花咲く国」として覚えていたのだが、今回いろいろな訳を調べてみても、そう訳している人を見つけられなかった。

これまで調べた訳を列挙してみよう。

レモンの木は花さきくらき林の中に(森鷗外)
君や知る、レモン花咲く国、(高橋健二)
君よ知るやかの国を、レモン花咲き(関泰祐)
知りますや その国、檸檬は花さき(手塚富雄)
君知るや、レモンの花咲くかの国を。(高橋義孝)
あの国をご存じですか レモンの花が咲き(前田敬作・今村孝)
きみ知るや南の国。レモンの花咲き、(山崎章甫)

以上が、ドイツ文学者の手になるものだ。「ミニヨンの歌」は、アンブロワーズ・トマのオペラでも有名なので、音楽家の訳もある。

君よ知るや 南の国(堀内敬三)

こうしてみると、僕の記憶に近いのは高橋健二訳、あるいは高橋義孝訳だ。

日本語訳はあふれているが、僕もあえて挑戦して訳してみることにした。また、この詩で長らく疑問に思っていた点もいろいろ調べてみた。

■ヨジロー訳

レモンの花咲く国
         ゲーテ

ご存じですか レモンの花咲くあの国を
暗いかげに 黄金こがね色のオレンジが燃え
おだやかな風が 青い空から吹いてくる
ミルテは静かに ローレルは高く
ご存じですか あの国を
かなたへ かなたへ
愛するあなたとともに 行きたいのです

ご存じですか 円柱の上屋根が安らうあの館を
広間は輝き 小部屋がほのかに光る
立ち並んだ大理石像が 私にいてくる
かわいそうに 何があったのかと
ご存じですか あの館を
かなたへ かなたへ
私を守ってくださるあなたとともに 行きたいのです

ご存じですか あの山とたなびく雲を
騾馬らばが 霧の中で道を探し
洞窟には 竜の古い一族が棲んでいる
切り立つ崖 ほとばしり落ちる滝
ご存じですか あの山を
かなたへ かなたへ
私たちの道を お父さん一緒にたどりましょう

■語句の説明

題「レモンの花咲く国」――「レモンの花咲く国」は訳者がつけた題。「ミニヨンの歌」として知られるが、ミニヨンが歌った歌はほかにもあるので、「レモンの花咲く国」とした。

レモンの花咲くあの国――イタリアのこと。

ミルテ――銀梅花ぎんばいか。地中海地方原産のフトモモ科の常緑低木。

ローレル――月桂樹。地中海原産のクスノキ科の常緑高木。

愛するあなた――ミニヨンの父親代わりになっている青年ヴィルヘルムのこと。

あの山――「山」は原語では単数形。ドイツとイタリアの間に立ちはだかるアルプスの特定の山を指しているか。

竜――アルプスにも竜をめぐる伝説がある。よく知られているのは、タッツェルヴルム(Tatzelwurm)。

騾馬――雄ロバと雌馬との間の雑種。アルプス越えのさいに荷物運びに利用された(★2)。

霧の中で道を探し――騾馬が霧の中、道を逸れないように進んでいく。

お父さん――ヴィルヘルムのこと。第1連で「愛するあなた」と恋人のようになっているのは、ミニヨンが父親代わりのヴィルヘルムに思いを寄せているため。

■解説

◆詩の背景

『修業時代』によれば、ミニヨンは子供の時に綱渡り師の一座にさらわれてドイツに連れてこられた。座長から過酷な扱いを受けているのを見かねた主人公ヴィルヘルムは、お金を出して彼女を引き取る。それでミニヨンはヴィルヘルムに忠実に仕え、父親のように慕うようになる。

ミニヨンは異国の言葉で歌っているようだ。何語で歌っているのかは小説中には書かれていない(★3)。

ミニヨンの歌が気に入ったヴィルヘルムは、それを書き取りドイツ語に訳す。ただ、「原詩の独自な言いまわしは、ぼんやりとしか伝えることができな」いし、「もとの歌詞のあどけない、無邪気な感じは、失われて」(『ゲーテ全集7』126頁)しまう。――物語ではそういう体裁になっている。

二度歌い終わるとミニヨンは、聴いていたヴィルヘルムに尋ねる。

「この国をご存じですか」――「たぶんイタリアのことだろう」と、ヴィルヘルムは答えた。「どこでこの歌をおぼえたのかね」――「イタリア!」と、ミニョンは意味ありげに言った。「イタリアにいらっしゃるときは、ミニョンも連れていってください。ここは寒いから」――「イタリアにいたことがあるのかね、ミニョン」――少女は、だまりこくっていて、それ以上なにも聞き出せなかった。

『ゲーテ全集7』126-127頁

「イタリア!」というミニヨンの言葉は、「どこでこの歌をおぼえたのかね」というヴィルヘルムの問いに対する返事ではない。自分が憧れている「国」の名前がイタリアであることを知って思わず発した言葉だ。

ミニヨンはうっすらと自分の生まれ故郷の記憶を持っている。しかし、それがどこなのかを知らない。だから、「ご存じですか レモンの花咲くあの国を」と歌で問いかけていたのだし、歌い終わって再度ヴィルヘルムに「この国をご存じですか」と尋ねたのだ。

歌詞に出てくる「国」はミニヨンにとって、「寒い」ドイツとは異なり、暖かい南国だ。辛い思いをさせられている国とは違う、幸せの国だ。ミニヨンは、それがイタリアであることを知って喜んだのだ。

◆第1連

第1連では、ミニヨンの故国イタリアの一般的なイメージが表現されている。「レモンの花咲くあの国」とはイタリアのこと。青い空を背景に、レモン、オレンジ、ミルテ、ローレルが南国らしさを表現している。

ただし、ちょっと気になる点がある。

レモンもオレンジもイタリア中南部で栽培されるものだし、またミルテもローレルも地中海性気候で育つ常緑樹だ。ところがミニヨンの故郷は、ロンバルディア地方のマッジョーレ湖のあたりということになっている(★4)。ここはスイスと国境を接する北イタリアで、地中海性気候ではなく、大陸性気候の地だ。イタリアの中南部よりずっと寒い。

ウィキペディアの「レモン」の項を見てみると、17世紀後半、イタリアの北部の湖水地方で、避寒用の小屋を建ててレモンが栽培されていたとのこと。

このレモンは、レモンの獲れないアルプス山脈以北の人々に珍重され、蒸気船と鉄道の登場によって競争力を失う19世紀末までの200年以上の間、この地区の重要な産業となっていた。

ウィキペディア

北イタリアのレモンは、ゲーテの時代にドイツでも知られていたのかもしれない。

でもまあ、そこまで気にする必要もなく、北国の人々が九州を常夏の国と思っているようなものだと考えておけばいいのだろう。

第1連は、日本人の持つイタリアのイメージにも合致する。美しい!

◆第2連

円柱、大理石像などが南国の豪壮な邸宅を想像させる。これもイタリアの一般的なイメージを示すものなのだろうか?

『修業時代』を読むと、これはミニヨンの記憶の残像であることがわかる。『修業時代』の終わり、ミニヨンの伯父である侯爵がイタリアからやってくる。侯爵は言う。

「しかし、あの子(=ミニヨン)をかわいがってくださったみなさんには、あれの祖国、あれが生まれ育った土地にお越しいただき、わたしをお訪ねくださるよう、ひとつお約束していただかなくてはなりません。あれもまだぼんやりおぼえていたと思いますが、あの円柱や彫像を見ていただかなくてはなりません。」

『ゲーテ全集7』520頁

円柱や彫像がある邸宅は、侯爵とその兄、そして侯爵の弟であるミニヨンの父親の家だ。

複雑な事情があって、ミニヨンは父からも母からも引き離され、ある「善良な夫婦」(『ゲーテ全集7』527頁)に預けられて育った。侯爵は幼い頃のミニヨンについて、次のように語っている。

「彼女は、ときどきとっぴなところへ出かけ、遠くまでほっつき歩いてくることがありました。(……)帰ってくると、たいてい近くにある別荘の入口に立っている柱像のあいだに腰をおろすのでした。(……)彼女はその別荘の石段のうえでひと休みするらしいのですが、それから大広間に駈けていって、そこの彫像をとっくり眺め、だれからもとくに引きとめられなければ、いそいで家に帰るのでした。」

『ゲーテ全集7』527頁

円柱と大理石像のある館は、子供だったミニヨンがしばしば訪れていた場所だ。ミニヨンはそれが父の家であるとは知らずに訪れていた。子供時代のお気に入りの場所だったのでうっすらと覚えており、歌ったのだ。

変わったところのあるミニヨンは、一人で遊んでいることが多かったようだ。孤独なミニヨンにとって、大理石像はやさしく語りかけてくる存在、寂しいときに慰めてくれる存在だったのだ。

異国でいろいろ苦しい目にあったミニヨンは、故郷の大理石像のことを何度も思い出していたのだろう。それはミニヨンにとっては会ったこともない実の父親の代わりだったのかもしれない。

ちなみに、館のモデルになっているのは、イタリアの建築家アンドレーア・パッラーディオが設計した邸宅ラ・ロトンダ(ヴィラ・アルメリコ・カプラ)。ゲーテはイタリア旅行のさいに、ヴィツェンツァ近郊にあるこの建物を訪れている。(岸繁一、57-58頁)

◆第3連

第3連が描いている景色は、あまりイタリアらしくないように思われる。ここはどこだろうか?

関良一は、第2連と同じく「ここは(……)やはりミニヨンが幼時を過ごしたマジョオレ湖のほとりの山であり、雲の通い路であると解すべきだろう」(61頁)と述べている。

確かに、ミニヨンの故郷は北イタリアでスイスに近い。ネット記事「ひま話」によれば、「峠(=スイスのゴットハルト峠)をアイロロ側に下り、麓町ヴェリンツォーナに出れば、谷間の湖(=マッジョーレ湖など)はもはや指呼の間にある」。

しかし、ミニヨンの歌が描く景色は、麓の湖から見る景色としては険しすぎるように思われる。

「ひま話」の著者は、「文学研究者の間では、ゲーテはミニヨンの歌の中でゴットハルト峠のことを歌った、と理解されるのだろう」と述べている(★5)。

筆者もそう思う。

「山」は単数形だ。アルプス山脈全体をひとまとめにして「山」としてイメージしているとも考えられるが、おそらく特定の山を指しているだろう。ゴットハルト峠から見える山のことではないか。

『修業時代』の草稿となる『ヴィルヘルム・マイスターの演劇的使命』が書かれたのは1777年である。その2年前の1775年、ゲーテはゴットハルト峠に旅行している。

そのときの日記に、「雪、露出した岩と苔、暴風、雲、滝の音、らばの鈴鳴る。死の谷にような荒れ地。雲しきりに湖上に立ちこめる」(岸繁一、58頁)とある。ここにはミニヨンの歌に出てくる「雲」「滝」「騾馬」「雲」がある。このときの印象が詩の第3連となっているのではないか。

第1連でイタリア全体を、第2連で自分の故郷を歌った後に、第3連ではイタリアへの具体的な道程を示す。それは困難極まる道ではあるが、ヴィルヘルムとともにその道をたどりたいという願望を述べている。

『修業時代』の続編である『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』で、ヴィルヘルムはミニヨンの故郷に向かって旅をする。道中、若い画家と知り合う。『修業時代』を読んで、「ミニヨンの運命と形姿と本性に情熱的に魅せられ」た人物とされている。この画家は、旅の途中で一枚の絵を描く。ヴィルヘルムによれば、それは次のようなものである。

荒々しい山のまん中に、このかわいらしい、少年とみまがう少女(=ミニヨン)が、切り立つ絶壁にかこまれ、滝のしぶきを浴びながら、ことばに表わしようもない異様な遊牧民にまじって異彩を放っていた。ぶきみでけわしい深山幽谷がこれほど愛らしい魅力ある人物を点景として添えられたことはおそらく一度もなかったであろう。ジプシーふうに色とりどりの仲間は、粗野でもあれば幻想的でもあり、風変わりでもあれば卑俗でもあり、恐怖をひきおこすには、しまりがなく、信頼を呼びさますには、異様すぎる。逞しい荷馬が、あるいは丸太道を越え、あるいは岩にいざんだだんだん道をくだりながら雑多な荷物をひきずっていく。荷物のまわりには、耳つぶれんばかりすさまじい音を発するひと揃いの楽器ががたこととぶらさがり、がさつな音をたててときおり耳をわずらわせた。そういうものにかこまれて、この可憐な子は、抵抗する様子もなく物思いにふけり、いやいやながら逆らいもせず連れられていく。(……)芸術家はまた、(……)ひとつの洞窟を印象ぶかく描いた。それは(……)おとぎ話めいた恐ろしい竜のやからともみなすことができた。

『全集8』193-194頁

ここで表現されているのは、ミニヨンが、綱渡り芸人の一座にさらわれて、アルプスを越えていく姿だ。詩で使われた「切り立つ絶壁」や「洞窟」や「竜のやから」も出てくる。

画家が空想で描いた絵とされているが、ゲーテはこのような間接的な仕方で、ミニヨンの過去を読者に伝えている。

このアルプス越えの辛い記憶はおそらくミニヨンの頭の中に残っていたことだろう。ミニヨンはそれを第3連で歌い、同じ道を愛する人と逆にたどりなおそうとしている。

それは、自身の心の傷の回復への道でもある。

■おわりに

ここまで書いてから気づいたことがある。

『修業時代』の終わり近く、イタリアから来たミニヨンの伯父である侯爵が、ミニヨンの父親と母親の恋愛について語るところがある。二人の兄から結婚を反対されたミニヨンの父親は、彼らを激しく非難する。その流れで、父親は二人の兄に向かって次のように言う。

ぼくたちに会いたかったら、おごそかな梢を天にむけているあの糸杉の下においでなさい。レモンやオレンジが花咲き、優美なミルテが可憐な花をつけているあの生垣のところにおいでなさい。

『全集7』524頁

これこそはミニヨンの歌の第1連が描く場所ではないか! しかし、これはいったいどこなのか。探してみたが、『修業時代』には書かれていない。

この引用の直前、父親は次のように語っている。

(……)いま、慈悲ぶかい自然は、最もすばらしい贈りものである愛によってぼくを癒してくれました。ぼくは、あの天使のような娘の胸に抱かれて、自分が存在していること、彼女も存在しふたりがひとつであること、そしてこの熱い合体からやがて第三のもの(=ミニヨン)が誕生し、ぼくたちにほほえみかけてくることをひしひしと感じています。そのいまになって、あなたがたは、あなたがたの地獄の炎、煉獄の火の口をあけて(……)ひしとむつみあっている純粋な愛にその炎をおむけになるんです。

『全集7』524頁

糸杉、レモン、オレンジ、ミルテがある場所は、「ひしとむつみあっている純粋な愛」の場所だ。「生垣」がある愛の家がイメージされている。

先の引用で、ミニヨンの父親は「ぼくたちに会いたかったら」と言う。これは、<ぼくたちの気持ちを理解したかったら>ということだ。<ぼくたちの気持ちを理解したかったら、愛の家を訪れてみてください。愛の幸福をあなたがたも体験してみなさい>と言っているのだ。

「レモンの花咲く国」は具体的にはイタリアのことだが、そこには幸福な愛の世界という意味がある。

■注

★1:ミニヨンはフランス語のmignon(かわいい子)に由来。子供や女性に対する、愛情を込めた呼びかけ。

★2:池上俊一、53頁。

★3:ミニヨンが日常話す言葉は、「フランス語とイタリア語をちゃんぽんにした変則的なドイツ語」と言われる。(『ゲーテ全集7』95頁)

★4:岸繁一、60頁。また、ビルショフスキ、711頁。

★5:ただし「ひま話」著者自身は、ミニヨンの歌の「山」をヴェスヴィオ山とみている。

■参考文献

『ゲーテ全集7』前田敬作・今村孝訳、潮出版社、1982

『ゲーテ全集8』登張正實訳、潮出版社、1981

池上俊一『森と山と川でたどるドイツ史』岩波ジュニア新書、2015

岸繁一、ゲ-テ「ミニヨン」考――バラ-ドを中心に――、大谷学報 69(3)、1989、p. 55-62

関良一『日本近代詩講義』學燈社、1966(初版1964)

アルベルト・ビルショフスキ『ゲーテ――その生涯と作品』高橋義孝・佐藤正樹訳、岩波書店、1996

ひま話 君よ知るや南の国 君よ知るやかの山を(2017.10.3)
https://www.ne.jp/asahi/lapis/fluorite/essay/171003mignon.html


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