寺山修司の短歌「ドンコザックの合唱は」
第一作品集『われに五月を』や第一歌集『空には本』では、「ドンコサック」「振らむ」となっている。『寺山修司全歌集』を編んだときに「ドンコザック」「振らん」に修正したようだ。
■語句
ドンコザック――「ドン・コサック合唱団」のこと。「ドンコザック」は、現在は「ドン・コサック」と表記されることが多い。「ドン」はドン川のこと。「コサック」はウクライナや南ロシアで軍事的共同体を形成していた人々のこと。原義は「自由な人」。「ドン・コサック」は、ドン川下流域に住んでいたロシア・コサック。
花ふるごとし――「花が降るようだ」。「降る」の連体形と助動詞「ごとし」の終止形が結びついたもの。「ごとし」は「~のようだ」。
振らん――「振ろう」。助動詞「ん」は意志(~しよう)を表わす。「む」と同じ。
■解釈
◆内容
ドン・コサック合唱団の歌声は、まるで花が降ってくるかのようだ。田畑を耕す鍬はしずかに大きく振ろう。そういう意味の歌だ。
一人の農民がドン・コサックの合唱を聴きながら、鍬で畑を耕している状況を思い浮かべるが、農民はラジオをつけながら合唱を聞いているのだろうか。
寺山の時代にはまだ田畑に持っていけるようなポータブルラジオはなかっただろう。だから、家のラジオで聞いた合唱を思い出しているに違いない。農民の頭の中で合唱が鳴り響いているのだ。
「鍬はしずかに大きく振らん」となっている。「われ」は合唱を聞いてロシアの農民の姿を思い浮かべている。そして、ロシアの広大な大地を悠然と耕す農民と一体になろうとしている。歌のリズムに合わせて、ゆったりと大地を掘り起こそうと考えている。
雄大な感じを与える歌だ。
ロシアの農民への連帯という点を併せて考えると、歌の背後には「革命」への希望が潜んでいるのかもしれない。
◆技法
「花ふる」の「降る」と「大きく振らん」の「振る」が掛け言葉になっているので調子がいい。
「ドンコサック」を「ドンコザック」に修正したのは、後者の方が一般的な呼び名だと寺山が思い直したからだろうか。それとも歌の調子を作るためだろうか。
「どんこさっくのがっしょうは」は口ずさみにくい。それに、「どんこざっくのがっしょうは」の方が、「ど」「ざ」「が」などの濁音が響き合うようにも思える。男声合唱団の低音を写していると言えないか。
◆作者との関連
ドン・コサック合唱団は、1956年3月24日に初来日した。5月11日に離日するまでの間、日本列島を縦断しながら、31回もの公演を行った。大島幹雄の『虚業成れり』によれば、「日本列島を熱狂と感動の渦に巻きこんだ」(24頁)。テレビやラジオで中継も行われたようだ。
合唱団が来日した1956年3月、寺山は20歳で、ネフローゼのために入院中だった。絶対安静のときもあるほどの重症だった。瀕死のベッドで、寺山はドン・コサック合唱団の歌を、ラジオで聞いたのではないか(★1)。
■他の人のコメント
◆本林勝夫:1994
本林は、鍬を振る農民の姿に、寺山の文学への意気込みが反映されていると見ている。
■おわりに
歌だけを読むと、日本の農民である「われ」が合唱を聞きながら、鍬を振っているというイメージが浮かぶ。
でも、歌の作者である寺山の側から考えると、ドン・コサック合唱団の歌声を聞いて、ロシアの大地を耕す農民の姿がイメージされ、この歌となったのだろう。
■注
★1:谷川俊太郎は、寺山の病室でラジオを見ている。
長尾三郎も次のように書いている。
■参考文献
『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011
大島幹雄『虚業成れり―「呼び屋」神彰の生涯』岩波書店、2004
長尾三郎『虚構地獄』講談社文庫、2002
風馬の会編『寺山修司の世界』情況出版、1993
本林勝夫「〈評釈〉寺山修司の短歌20首」、『国文学 解釈と教材の研究』1994年2月号、学燈社、14-28頁
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