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カフカの『橋』―私は橋でした

カフカの『橋』は、遺稿の中にある文章だ(★1)。カフカの死後、友人のマックス・ブロートが「橋」という題をつけて、作品の一つとして発表した。

書かれたのは、1917年1月から2月にかけての頃。カフカがプラハ城内にある錬金術師小路(現黄金小路)の家でせっせと短編を書いていた時期である。短編のいくつかは短編集『田舎医者』に収められたが、「橋」は選ばれなかった。


カフカ『橋』

 私は固く、冷たい体をしていました。私は橋でした。深淵の上に私は横たわっていました。こちら側には爪先を、向こう側には両手をめり込ませていました。ぼろぼろと崩れる粘土の中に身をくい込ませていたのです。私のスカートの裾は体の両側にはためいていました。谷の底には氷のように冷たい渓流がごうごうと音を立てていました。この険しい高地へと迷い込んでくる旅行者はいませんでした。橋は地図にもまだ載ってなかったのです。そのようなところで私は横たわり、待っていました。待つしかなかったのです。崩れ落ちるまでは、一度作られた橋は橋であることをやめることはできません。あるとき、夕方ごろのことでした。それが最初の夕方だったか、千番目の夕方だったかはわかりません。私の頭はいつもごちゃごちゃで、いつもいつも堂々めぐりをしていたのです――夏の夕方ごろでした。川はいつもより暗い音を響かせていました。私は一人の男性の足音を聞きました。私のところへ、私のところへ来るんだわ。さあ、橋よ、身を伸ばすのよ。姿勢を正すのよ。手すりもない木橋なのだから、あなたに身をゆだねる人をささえ、足元がゆらいだら気づかれないように平衡をとってあげなさい。でも彼がよろけたなら、間髪を入れず、山の神がするように彼を地面のほうに投げてやるのよ。彼はやってきました。杖の先の金具で私をこつこつ叩き、それから杖で私のスカートの裾を持ち上げ、きちんとなおしてくれました。杖の先を私のもじゃもじゃの毛の中に入れ、おそらくかなたをあちらこちら見渡していたのでしょうが、それを長い間入れたままにしていました。しかしそれから――ちょうど私が彼にならって山や谷のことを夢想していたときのことですが――彼が両足で私の体の真ん中に飛び乗ってきたのです。私は激しい痛みに身を震わせました。まったく何が起こったのかわかりませんでした。いったい誰なの? 子ども? 体操をしているの? 命知らずな人? 自殺するの? 私を試しているの? 壊そうとしているの? 私はその人を見るために身をひねりました。橋が身をひねる! 私が身をひねり始めるやいなや、もう私は墜落していきました。墜落するやいなや、もう私はこなごなに砕け、いつも激流の中であんなにもおだやかに私を見つめていた尖った岩によって、突き刺されたのです。(ヨジロー訳)

*もじゃもじゃの毛――木橋から出ているささくれのことか?

読後感

最初の文章が衝撃的だ。

私は固く、冷たい体をしていました。私は橋でした。深淵の上に私は横たわっていました。

なんと「橋」が主人公なのだ。カフカにおいては、虫や猿や犬やネズミのような動物だけでなく、橋のようなモノもまた主人公になる。

「固く、冷たい体」「深淵」などの言葉が厳しい結末を予感させる。いったいこのこの短い話は何を表現しているのだろうか。

内容

人の来ない「険しい高地」に、「私」は橋として架かっている。誰かがやってきて、渡ってくれるのを待っている。やっと「一人の男性」がやってくる。橋は自分の役目をしっかり果たそうとする。渡る人がよろけたら、なんとか助けてあげようと思う。

しかし、男性が「体の真ん中に飛び乗ってきた」ために、「激しい痛み」に襲われる。自分の上にのった人が誰なのかを見ようとして身をひねった途端に、橋は崩落する。乗っていた男性も落ちたのだろう。

最後の「こなごなに砕け」や「尖った岩によって、突き刺された」からは、ぞっとするような痛みが感じられる。

テーマ

人が他者との出会いで受ける深い傷を描いているのだと思う。

橋は<よき意図>を持って待っている。やさしく相手を向こう側に渡してあげようと思っている。ところが相手の男性は乱暴だ。「体の真ん中に飛び乗ってきた」とあるように、無意識のうちに、あるいは鈍感なままに、相手を深く傷つけてしまう。<よき意図>は受け止められずに、コミュニケーションは途絶してしまう。橋と男の関係は、修復が不可能なほどに解体する。

エロス

テキストからは、エロチックなところも感じられる。

「杖の先の金具で私をこつこつ叩き」
「杖で私のスカートの裾を持ち上げ」
「杖の先を私のもじゃもじゃの毛の中に入れ」
「それを長い間入れたままにしていました」
「それから(……)彼が両足で私の体の真ん中に飛び乗ってきた」
「私は激しい痛みに身を震わせました」

性行為を思わせる表現だ。
橋のほうは、最初、相手の行為を好意的に受け取ろうとしている。

「私のスカートの裾を持ち上げ」たのは、それを「きちんとなお」すためであると見なし、「杖の先を私のもじゃもじゃの毛の中に入れ」たのは「かなたをあちらこちら見渡」すためと考える。「それ(杖)を長い間入れたままにして」いるのは、「山や谷のことを夢想して」いるためだと解釈する。

好意的な解釈が続いた後に、ついにどうしようもない「激しい痛み」を与えられる。相手を見きわめようとして、関係が崩壊する。

伝記的に見れば

伝記的観点からは、カフカと父親との関係、コミュニケーション不全が具象化されていると考えることができる。

カフカが「橋」であり、やってくる男は父親だ。砕け散るのは、コミュニケーションを求めるカフカの言葉の数々だ。父と話すカフカが抱く絶望的な気持ちをイメージ化したものと解釈できよう。

漠然とそう言うことができようが、筆者は、もっと具体的に何がこの作品の核となっているのかを伝記的に特定できるとみている。

それは、カフカ16歳の頃の体験だ。

『父への手紙』に書かれている(★2)が、両親との散歩中、カフカは、性的な事柄についてこれまで何も教えられてこなかったと両親を非難した。でも、今ではすべてを知っているので大丈夫だ、と付け加えた。

それに対して父親は、あっさりと、「そういったことはどうやったら危険なく処理できるか、教えてやってもいいぞ」(★3)とだけ言った。

父親がほのめかしたのはつまり、いい娼館を紹介してやろうか、ということだ。『父への手紙』には、この言葉を聞いた少年カフカのショックが縷々述べられている。

『橋』は、このときに父親から受けた深い傷を、性的な関係に置き換え、女性が受ける衝撃として表現したものではないか。

まとめ

どのように解釈するにせよ、ぞっとするような冷たさがあり、作者の深い痛みが感じられる文章である。

★1:Kafka, Franz: "Nachgelassene Schriften und Fragmente I", Kritische Ausgabe, hrsg. v. Malcolm Pasley, Frankfurt a. M. 1993, S. 304-305.

★2:Kafka, Franz: "Nachgelassene Schriften und Fragmente II", Kritische Ausgabe, hrsg. v. Jost Schillemeit, Frankfurt a. M. 1992, S. 202-205. なお、『父への手紙』は1919年11月に書かれた。

★3:Ebd., S. 202.

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