吉田茂が準備していた「C案」「昭和の怪物 七つの謎」(講談社現代新書)
数年前、米国と北朝鮮の間で、朝鮮戦争(一九五〇~五三年)に関して「終戦宣言」をめぐる交渉が行われた。
現在の休戦協定を法的拘束力のある平和協定に切り替える前に、「もう戦争はしない。平和共存する」と内外に伝える政治的な宣言のことだ。
緊張が続く北東アジアに大きな転機をもたらせる可能性があるが、安倍政権は一貫して冷ややかな姿勢だった。
これを示すかのように二〇一八年版の防衛白書は、北朝鮮の軍事的な動きを「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」とし、「脅威の基本的な認識に変化はない」と強調している。
本格化していた米朝、南北間の対話の努力をほとんど評価していなかった。
日本はかつて、朝鮮半島の平和と安定を目指し、独自のプランを作ったことがある。敗戦からまもなくのことだった。当時外務省は、国際社会に復帰するため講和条約の締結の準備を開始する。その作業の中心になっていたのが、吉田茂首相だった。
講和問題については、五〇年に対日講和担当で米国務省顧問のダレス氏(後に国務長官)との交渉が始まった。
この交渉に備え吉田は「A」「B」「C」「D」と呼ばれる四つの作業を外務官僚に指示した。このことは専門家の間ではよく知られている。
その中の「C作業(案)」は異色の内容だった。昭和史研究の第一人者である保阪正康氏が、近著「昭和の怪物 七つの謎」(講談社現代新書)で取り上げている。
「北太平洋地域における平和および安全の強化のための提案」と題され、五〇年の十二月に吉田に提出された。
朝鮮戦争はこの年の六月に始まった。激しい戦闘の末、米軍を中心とする国連軍と中国・北朝鮮軍の戦闘は手詰まり状態に陥り、休戦を求める声が強まっていた。
C案はまず「全ての国と平和に生きることが、世界で普遍の願いだ」と宣言する。
そして、日本と朝鮮半島を非武装地帯と定め、米英ソ中の四カ国が北太平洋の軍備を制限し、国連がそれを監視する。
国際法を参考にし、専門家にも相談して苦労して練り上げた、大胆な理想論だった。
保阪氏は、「C案は吉田にとっての隠し球だった」と書いている。
ダレスが講和条約を盾に、日本に無理な再軍備を押しつけてきたら、吉田は「結局、あなた方が望んでいるのはこういうことだろう。この地域でもう戦争はしないでほしいと開き直るつもりだったのではないか」
保阪氏はそう推理している。
ただ、実際の交渉の中で「C案」は提出されることはなく、日本は軽武装と、安全保障を米国に依存する現実路線に進んでいった。
それでも敗戦国日本が、米国に対して思い切った平和のプランを準備していたことには、あらためて驚かされる。
日本の首相に、吉田が「C案」を準備していたようなしたたかさや、平和への気概が感じられないのが残念でならない。
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