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備忘:mathesis singularisとしての「マーラー学」?―アドルノのモノグラフを手掛かりにして―

 私がマーラーと出会って間もない子供の頃のとりとめのない、ぼんやりとした夢想の一つに、マーラーに纏わる情報を集約したアーカイブのようなものを作りたいというものがあった。マーラーがまだ今日のようにコンサートのプログラムの主要作品となる以前の、学校の音楽の教科書にも名前の載っていない、未だ評価の定まらない、否、寧ろどちらかといえば批判がついてまわる作曲家であった頃のこと、生誕百年が過ぎて相次いで出版されるようになった文献の邦訳が出始め、ポレミックな存在として取り上げられることも増えてきた折で、地方都市に住む平凡な子供がアクセスできる情報は、書籍にせよ、楽譜にせよ、演奏の記録にせよ限られたものであった一方で、数が限られているだけに徐々に増えていくこともまた感じ取れ、初めて自分が全面的に傾倒できる対象を見出した子供の性急さが、マーラーに関する全てを知りたいという衝動を引き起こしたといったところだろうか。だがそうした夢想というものは多くの場合恐らくそういうものなのだろうが、年を経て曖昧なものとなり、そのうちにそうした夢想を抱いたことがあったことを自分でも忘れてしまうことになる。一時期マーラーから離れた折には一旦手元にある資料を手放すといった紆余曲折を経て後、再び資料の類が手元に集積するようになると、今度はかつて手放した経験があるが故に、他はともかくマーラーだけは手元に残しておこうという意識が働いた結果として、単調にそれは増加を続けることになった。最初はその当時自分が親しんでいた演奏家の録音に限定していたCDについても、自分がマーラーから離れるきっかけとなったバブル期以降のものについてはともかく―それらは熱心なコレクターの方々が、今度は誰、次はまた別の誰というように追いかけていたから、自分のような一旦落伍した者の出る幕ではないように感じられた―、特に自分が(若干の遅れを伴ってであれ)概ね同時代的に接した録音より以前の、マーラーの同時代との繋がりを濃厚に湛えた時代から、所謂「マーラー・ルネサンス」が到来する生誕100年に至る迄の約半世紀の演奏記録については手元に集めておくこと自体に意義があるとの思いが増した結果、あるタイミングで方針変換を行って、とはいえ予算の制約もあって、気づいたものは可能な範囲で耳にしてアーカイブに加えるようになったりもした。それと並行してWeb上にマーラーに纏わる様々な情報を整理して公開できることを知ると、あてもなく折に触れ綴って引き出しの中に溜め込んでいた備忘も一緒に保管すべく、紙に手書きで記していたものをファイルに打ち込み直す作業を少しずつ続けて行くことになる。

 そうした営為がかつての夢想の或る種の実現と看做しうることに気付いたのは、三輪眞弘さんの作品がサントリーホールで演奏されたのに立ち会うべく訪れた折、三輪さんと同じ「方法」の同人でもあり、大学での同僚でもある詩人の松井茂さんが、何の話のついでだったか、上記のような経緯で当時私がWebで公開していた(但し、Googleのbloggerを利用している現在と違って当時は手書きのhtmlで、メールのサービスを利用していたプロバイダのドメインで公開していたと記憶するが)マーラーと三輪さんに関するアーカイブについて言及されたことがきっかけであったように記憶している。尤も記憶する限りでは、ことマーラーのアーカイブについて言えば、松井さんは半ばあきれたような感じでその量の膨大さを指摘されたに過ぎず、あっと言う間に別の話題に話は移ってしまったのであり、そのコメントを受けた後にふと曾ての夢想を思い出したのは、その後も量だけは膨らみ続けるアーカイブをどうしたものかと独り言ちていた時のことに過ぎない。松井さんは大学での研究としては美術・建築等の遺産のアーカイブ化をご専門の一つとされておられるから、アカデミックな研究者としての立場から何か思うところあってのコメントだったかも知れないが、迂闊にもその時にはそうしたことに思いが及ばなかった。その理由は偏に、アーカイブと自称こそしていても私のマーラーに関するそれは学問的な批判的手続きを経た方法論に基づくものではなく、単なる個人的な備忘の集積に過ぎないからであって、それを研究者としての松井先生が取り組まれているものと比較するということなど、そもそも考えもしなかったということに尽きる。そのことに対する開き直りという訳ではないのだが、音楽学者であればマーラーの同時代の音楽や文化的・社会的背景、影響史や受容史といった領域それぞれについて、客観的、体系的に調査を行い、論述を行うであろうところ、客観性が要求され、一般性があることが価値であるべき学問的研究が行われるような場所で、私はといえば、市井の愛好家に過ぎないことをいいことに、他ならぬその対象に自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」を把握したいという気持ちだけに導かれてここまで来たこと、そして「個別的なもの(singuralis)」への強い拘りについて言えば、40年前の子供の頃以来変わることがないようであることに、かくして思い当たったのである。そうした私にとって、この文章でこの後、導きの糸とするアドルノのマーラーに関するモノグラフ(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999)の冒頭、「天幕とファンファーレ」と題された章での第一交響曲冒頭のあの一度聴いたら忘れることのできない序奏部分について述べた以下の文章は、私がマーラーの作品に初めて出会ったときの経験―40年前の或る日、当時中学生であった私は、他ならぬこの作品によってマーラーと出会ったのだが―そのものについても、その後今日に至る迄の拘りについても、ともども的確に示してくれているように思われるのである。(厳密を期するならば、私が聴いたのは朝の五時ではなく、暑い夏の日の午後だったし、降ってきたのはFM放送のラジオから聞えてきたマーラーの作品におけるファンファーレだったのであり、尚且つこれらの差異は決して些末なものではなく、一つ一つ掘り下げて検討することで明らかになるであろう重要な論点を含むが、その検討は別の機会に果たすべき宿題としたい。)

「(…)このように、十代半ばの子供は人を圧するように打ち降りてくる音を耳にして朝五時にただき起こされるのかもしれない。その音を夢うつつにほんの一瞬耳にした者は、それがもう一度やってくるのでは、と期待するのを決して忘れはしない。その音の感覚的実体性を前にしては、形而上学的思考も色あせ、無力である。この形象の中であの瞬間は果たして成功したのかそれとも単に意図されただけだったのか、と問いかけるだけの美学もまた同様である。あの瞬間にとって、それ固有の亀裂は本質的であり、それが成功した作品という見かけに反乱を企てるのだ。」

(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.6)

但しここでいう「個別的なもの(singuralis)」は私の「自己」=「我」ではない。私は、こと個別の私の「我」について言えば、そんなものはどうでもいいと思っている。自己の一貫性とか統合性に拘りがないわけではなく、首尾よくいかないことを認識しつつも、寧ろそれには強い拘りをもっているのだが、それとは別に、それが一貫して統合したものであったとしても、寧ろ「自己」は、自分が遭遇してきた「他者」によって形成された場のようなものであり、私にとって重要なのは対象たる「他者」の側であり、対象が自分にだけでなく他にも開かれたものである限りにおいて、対象に対する了解に唯一の正解があるとは思っていないし、世界に関する眺望のうちの一つの視点に過ぎない「自己」からの「見え方」に特権的な何かがあるとも思っていない。勿論これはあくまで私の「我」についてであり、例外はある。というより、自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」である「他者」には、自分が惹き付けられるだけの理由があるわけだから、対象たる「他者」の「我」の方は、こちらはどうでもいいということはありえないだろう。逆にこういう言い方をするわけだから、ここでいう「対象」というのは第一義的には、自分が惹き付けられる「個別的なもの(singuralis)」そのものである個別の一つ一つの「作品」というオブジェクトであるけれど、実際にはそうした作品を生み出し、遺した「特定の個人」=「他者」という「個別的なもの(singuralis)」のことを指していることになる。

 もう一点、この前提から導かれることとして述べるならば、ここでいう「個別的なもの(singuralis)」は、一般概念の内包的定義である「何性」(quidditas)では捉えられないウニカート(unicate)な存在を指向するが、さりとてしばしば「何性」(quidditas)と対比される「これ性」(haecceitas)に結びつけられる存在の事実性とは異なった点にその重点があるということである。例えばジャンケレヴィッチはその浩瀚な著書『死』の末尾の章で、「事実性は滅びることはない」と章題の一部で語り、著作全体の最後を「存在した、生きた、愛した」と題した節で閉じるが、存在するものは存在したという事実そのものに価値があるのであって、それぞれの価値の間に差異はないという立場は、個別の存在の特殊性をもって、個別の存在が別の個別の存在に対して持つ固有の価値の次元を縮減させてしまう。ここでの「個別的なもの(singuralis)」はまさにこの個別の存在が別の個別の存在に対して持つ固有の価値の次元に関して言われているのであって、それこそが、それのみに独自の仕方によって、他ならぬ自分を惹き付けるという点で特殊である点に懸かっているのだから、ジャンケレヴィッチのような立場とは相容れないということになる。

 ここでの「個別的なもの(singuralis)」は、ロラン・バルトの用語を借用したものであり、比較と差異化による理論的な「普遍学(mathesis universalis)」との対比という点も含めてバルトの考え方に親近感を覚えることから、リスペクトの意味合いも込めての借用である。なお、上記の叙述から自ずと明らかであると思われるが、従ってここでの「何性」(quidditas)、「これ性」(haecceitas)を中心とする諸概念の定義は、中世スコラ哲学、就中ドンス・スコトゥスの議論よりも寧ろ後世の理解の方に近いが、さりとて具体的に誰かの図式を借りているわけではない。この図式の規定は「個別的なもの(singuralis)」をどう了解するかそのものに他ならず、従って本来は精緻な議論が必要なところだが、ここでは備忘という性質上、その点の示唆に留めて後日を期することにしたい。

 とはいえバルトのmathesis singularisをどのように捉えるかについては、管見でもかなりの幅があるようにも窺える。ここはバルトのmathesis singularisそのものの検討を目的とする場ではないし、バルトのそれに厳密に依拠しているというより、その或る側面のみを切り出して借用しているに過ぎないが、それでも説明のための参照点としている限りで、バルトの概念とここでのmathesis singularisとの間でずれていると思われる点については目配せをしておくべきだろう。


バルトがmathesis singularisについて述べるのは、結果的に遺著となった『明るい部屋』においてである。まず第一義的に『明るい部屋』は写真論であること、そして母親との死別という彼の私的な経験を踏まえているが故に、mathesis singularisの探求は、その具体的な実践の相において「写真」というメディアの固有性に無頓着ではいられない(その端的な規定が「それは-かつて-あった」だろう)と同時に、或る種の「喪の作業」としての性格を帯びてしまうことが避け難い。つまりmathesis singularisの実践の唯一の例として示されているのが「喪の作業」における写真を対象としたものであるというのは紛れもない事実であり、その点を最初に押さえておくべきだろうが、その一方で、それが写真の固有性の上に立脚しつつ、かつ「喪の作業」を特権的なものとしてしか成立しえないかどうかはまた別の問題であることにも留意すべきだろう。

更にmathesis singularisの実践に関連する概念としてstudium/punctumの対立が『明るい部屋』において導入されるが、これもまた写真を対象とした記号論的分析のための概念であり、社会的・文化的背景を持つ一般性・客観性(厳密には相互主観性と呼ぶべきかも知れないが)のある文化的なコードというべきものであるstudiumに対して、写真を眺めている時に写真の側から不意に到来して見る者に「痛み」をもたらすものがpunctumであって、前者がmathesis universalisとしての記号論に関わるのに対して、後者はmathesis singularisに関わりを持つとされる。文脈に忠実たろうとする限りでは、それは見る者の「喪」の経験という個別的なものに由来して、見る者に「痛み」を感じさせる写真に関わるものであって、それ以外の領域への拡張が可能な条件がどのようなものであるか、具体的には「写真」以外の対象に適用できるのか、punctumは「喪」の経験以外に由来しうるものなのかといった点は明らかではないというべきなのだろう。専門の研究者ではないためアクセスできる情報に限りがあるのだが、その範囲に限って言えば、そもそもmathesis singularisについて論じたものは数える程しか確認できておらず、そのほとんどは「写真論」であるか「喪」の経験に関わるものであるかのいずれかか、或いはその両方のようであり、『明るい部屋』における具体的な実践の文脈から離れてmathesis singularisを論じたものはソルボンヌ大学に提出された博士課程論文 Sachi Kobayashi, "Mathesis singularis" : lecture et subjectivité dans l'oeuvre de Roland Barthes, 2007が確認できたのみである。繰り返しになるが、ここではバルトのmathesis singularisそれ自体がどのような射程と広がりを備えたものであるかを検討することを目的としているわけではないから、そうした先行文献の見解を検討することはせず、私のマーラーに関する拘りをまたmathesis singularisと呼ぶとした場合、それがどういった点でバルトのそれと共通性を持ち、どういった点で差異があるのかについての検討を行うことに終始せざるを得ない。

まず明らかなのは、それが「写真」を対象としている訳でもなく、特定の写真から見る者にpunctumが到来したとして、それを引き起こすものを「喪」の個人的な体験に限定している訳でもないことだろう。「それは-かつて-あった」という「写真のノエマ」は「喪」の個人的な体験によって偶然的にpunctumになるのだが、mathesis singularisはそうしたpunctumの発生過程に纏わる機序を問題にしているのであって、そのここでの中味(ここでは「それは-かつて-あった」と「喪の体験」)は他のものであっても良い筈であるということが前提となっている。ここで問題になっているのはひとまずはマーラーの一連の音楽作品だし、ある作品をある時に聴いた時に、当時の自分の個人的体験故にpunctumの到来を経験したということの有無については、そうした経験は一度ならずあったし、そのうちの一つは「喪」の体験でありさえしたし、それに因んだ文章を示すことさえ可能ではあるのだが(「ある日、第8交響曲第2部を聴いて」)、そうであるにしても、マーラーの人と作品に対する私の拘りは、『明るい部屋』で提示された具体的なバルトの実践例そのものとは一致しない。私はマーラーの作品が或る種のpunctumを私にとってもらたすと感じているが、それは私固有のものであるにしても、特定の個別の経験を背景にして生じるものではないし、マーラーの作品の中の特定の作品なり部分なりが対象であるわけではない。勿論、マーラーの作品全てが等しくそうであるとは言えず、濃淡は存在するし、マーラー以外の作品がpunctumを持たない訳でもない。

 寧ろ最後の点に関してはこう言うべきだろう。或る時、或る作品から、私個人の個別の体験を背景としてpunctumが到来するという出来事は、マーラーの作品に限らず起きることであるが、それは基本的には一回性の個別的、偶然的な事象であり、対象となった作品から繰り返し、常にpunctumを受け取るわけではない。だが私が、他ならぬマーラーの作品が或る種のpunctumを私にもらたすという事態がマーラーの作品と私との間に生じると言っているのは、それとは異なる水準でのことである。そしてこのことは一見そう見えたとしても、バルトがpunctumを「私を突き刺す偶然」(ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚え書』, 花輪光訳, みすず書房, 1985, p.39)と規定する経験と対立してもいないが、一致しているわけでもない。バルトがここで「偶然」というのは、「私」の体験する出来事の一回性、偶然性を言っているのではなく、対象の側について、何故他ならぬそれ(ここでは彼が探求の出発点とした数枚の写真)でなければならないかに関する偶然性を言っていると思われるからである。それにしてもその偶然性が「それは-かつて-あった」という「写真のノエマ」(こちらはそれ自体は「写真」一般が備えていると考えられる)に、或る種例外的なパトスを付与するについて、彼自身の固有の「喪の作業」に由来するのであってみれば、更にはバルトが「個別的なもの(singuralis)」を実現するための手段として「小説」(roman)を考えていたことを思えば、その限りにおいて個別的、偶然的な体験についての「学」を企図しているのだという言い方はできるだろう。だが『明るい部屋』での実践例に限っても、そこで対象となっている一枚の写真は、偶然の出来事のせいで彼に一時的な情緒的反応、パトスを伴った反応を、だが恐らくは繰り返し引き起こすと言うべきであって、そこで問題にされているのは特殊かつ固有ではあるが、純粋に一回性の経験、つまり世上「奇跡」と呼ばれるようなそれであるとは考えにくいように私には思えるのである。

 まず「喪」の体験というのがその構造上、一時的なものではありえず、しばしば長期に亘るプロセスであることを考えれば、そのプロセスの中において特定の(一枚の、ないし一連の)写真がpuctumをもたらすようになったと考えるべきではないか。(そもそも「奇跡」と呼ばれるような出来事は、それを孤立した点的なものとして捉えられる限りにおいて、自伝的自己を備えた人間の具体的な経験にあっては常に虚偽であり、「瞬間と永遠」の如き抽象を弄び、剰えそれを賞揚するが如き言説は詐術の如きものであって注意すべきであるという点もまたここでの議論と無関係ではないと考えるが、この点はここでは一先ず措くこととしよう。)そこの特定の「写真」という対象に対する或る種のフェティシズムの如きものを見るかどうかは措いて、また、そんなものがそもそも成立し得るのかという問題は措いて、mathesis singularisは、一度切りの個別の体験についての学ではなく、結局のところ、偶然の出来事によって選択「された」(その限りで「私」が選択したのではなく、私はそれに対して受動的であると言うべきである限りで、ここでの「された」は中動態的なニュアンスを持つと考えるべきだろうが)特定の対象についての学であるのではなかろうか。それは特定の対象、つまりそれに繰り返し対峙し、その都度少しずう異なった、だが一貫性を備え、一時的な情緒的反応に留まらない、より構造的でかつ持続的な影響、認識の仕方の変容のようなものにさえ至るようなラディカルな影響を与える存在を対象としているのではなかろうか。もしそうであるとした場合には、私にとってマーラーの作品というのは、まさにそのような対象であるというように言い得るように思えるのである。


 だが私のマーラーの人と作品に対する拘りを規定するのにmathesis singularisを援用するについては、より根本的な問題があるのではなかろうか?バルトは世上「作者の死」を宣告したことで著名であり、伝記主義や作者の心理の投影をテキストに対して行うような姿勢を批判し、テキストを作者とは独立の存在として扱い、読者のテキストへの関わり方において作者の意図の正確な理解を追及する姿勢を否定したことは良く知られている。作者とは独立したテキストの他のテキストとの相互作用の水準を重視し、読解の創造性を主張した結果、「作者」という概念は問いに付されることになるというのに、ここで私は、よりによってマーラーという「作者」を持つ一連の作品群を一纏まりとして、それらを他の作品群と区別し、それらに対するmathesis singularisを主張しようしていることになるから、そもそもの対象の定義の地点でバルトの考えと背馳していることになるのではないかという問いは当然思い浮かぶであろう。

 それに対する私の主張は、些か迂回的な性質のものとならざるを得ないのだが、まず思い浮ぶのはmathesis universalisにおけるマーラーの作品の扱いと、私がmathesis singularisと呼ぼうとする態度におけるそれとの差異である。通常マーラーの音楽は「音楽学」というmathesis universalisの対象の一つであろう。そこではマーラーは後期ロマン派に属する作曲家であり、影響を受けた存在として、例えばワグナーやベルリオーズなどの名前が真っ先に挙げられ、逆に影響を与えた存在としては何より新ウィーン楽派が挙げられ、マーラーの音楽の特質を取り出すのには同時代の作曲家、例えばライバルと看做されたシュトラウスとの比較が為されることであろう。かつてマーラーが今日のように「大作曲家」の一人に列せられる前でも管弦楽法の大家という評価はあったし、その後、ハプスブルク帝国の宮廷=王室歌劇場監督として君臨し、妻アルマを介したものも含めた様々な領域の文化人と交流をもったことなどから、19世紀末のウィーンの文化を象徴するアイコンに迄なって、音楽学に留まらず、社会学的・歴史学的な研究の対象にもなったし、その結果としてマーラーを論じる時、決まってそうした文化的背景に関する教養・知識を披歴することが或る種の紋切型に迄なった。時として、人によっては興味をそそられるものであるらしい過去の時代の空気を描き出す作業の中で彼は欠かせぬ存在となり、マーラーの音楽そのものはそっちのけで、専ら文化的教養としてそれは消費されることになるから、当然のこととしてそうしたマーラーの人と音楽への関心は、studium/punctumの対立においては前者の側に分類されることは間違いなかろう。一方で私がマーラーの作品を対象としたい理由は、そうした文化的教養とは無関係の地点で成り立っていて、寧ろstudiumをかき乱す側にあることは間違いないのである。

 これはstudium/punctumの対立と直接対応する事柄ではないのだが、現在は汗牛充棟の感あって最早私のような市井の愛好家が追跡することが到底できない程マーラーに関する研究文献はその数を増しているとはいえ、私がマーラーに出会った40年前には、最初にも述べた通り、主だった書籍に範囲を限れば、その数は指折り数えることができる程度のものだった。その中で、アドルノのモノグラフを除けば質・量とも際立っていたのは、アンリ・ルイ・ド・ラ・グランジュの伝記(但し第1巻が出たばかりだったが)、ドナルド・ミッチェルの作品研究(これも初期作品を中心とした最初の2冊だけ)、コンスタンティン・フローロスの3巻本の研究書(これも最初の2巻だけで第3巻は未刊だったが、現在、邦訳が英訳からの重訳で読めるものとは異なって、計画では「マーラーと文学」に関するものになる筈であったらしい)だった。この最後の研究は、公刊済の第1巻が Die geistige Welt Gustav Mahlers in Systematischer Darstellung(体系的叙述によるマーラーの精神的世界)、第2巻が Mahler und die Symphonik des 19 Jahrhunderts in neuer Deutung(新たな意味づけをしたマーラーと19世紀交響曲) というもので、その「標題性」に拘るアプローチも相俟ってまさに文化教養としてのstudiumの側面を徹底したような内容であるし、ドナルド・ミッチェルの作品研究もまた、特にその第1巻はド・ラ・グランジュの「伝記」の刊行前に企画されたこともあって実質的にマーラーが初期作品に至るまでの生涯についての言及も多いが、第2巻は影響を受けた作曲家との比較対象、スケッチ帳の調査に加え、アイヴズとの比較のような未来への視点も含んでおり、mathesis universalisと呼ぶに相応しい。そしてド・ラ・グランジュの伝記について言えば、「作者の死」を唱えたバルトにとって、作者の伝記的事実というのは、テキストを読むに際して排除されるべきであって、伝記主義はバルトの批判の対象であり続けたことを考慮に入れると、こちらも伝統的なmathesis universalisの側に属するものにひとまずは分類されそうである。 

 そうした中でstudium的なものが主導的なmathesis universalis的なアプローチに対して辛辣なまでに批判的で、かつマーラーの音楽が持っているpunctum的なものについての指摘に満ち溢れたものとしては、冒頭いきなり、絶対音楽的アプローチ、標題音楽的アプローチのいずれもがマーラーの交響曲の内実を明らかにするには不十分であるという批判から始まるアドルノのモノグラフを何よりもまず挙げるべきだろう。それはいわば従来のmathesis universalisでのアプローチの限界の指摘であるとともに、ロラン・バルトのアプローチとは全く独立に、だが内実において多くの共通点を持った仕方で、マーラーという特定の対象の固有性に迫ろうとするアプローチとしてまさにmathesis singularisの実践例と言えるように私には思われるのである。アドルノのミクロロギー的思考とバルトのmathesis singularisの親和性については、管見でも例えば多賀健太郎『突き刺す喪 : 写真・アウシュヴィッツ・自然史』(年報人間科学 24-1 pp.17-32, 大阪大学, 2003)にて指摘されているが、そこでのバルトのpunctumからアドルノの「句読点」への架橋(これは寧ろ「チェズーア」や「パラタクシス」との布置=星座の中で独立に検討するべき重要な視点ではあるが、さしあたりはそれ)よりもアドルノのmateriale Formenlehreのような「唯名論的」なアプローチの方が個別的なものの固有の論理を浮かび上がらせる方法として、mathesis singularisの方向性に添ったものに私には感じられた。唯名論的な志向はマーラーの音楽自体の持つ特性でもあり、当然アドルノはそのことを

 「音楽的概念は下から、いわば経験上の事実から動きを開始する。それは、形式の存在論によって上から作曲されるのではなく、事実を連続する統一体の中で媒介し、最後には事実を越えて燃え出すような火花を全体から発するためである。」

(アドルノ『マーラー 音楽的観相学』, p.83)

というように指摘しているが、それを踏まえるならば、アドルノのマーラーへの対峙の仕方の方もまた、対象がどのような音楽であっても採用し得るわけではなく、対象であるマーラーの音楽の特性に寄り添った対マーラー固有の戦略として選択されたものということになろう。更に言えば、そもそも「モノグラフ」という形態そのものが、アドルノのミクロロギ―においては戦略的な意味を担っていると考えることもできるだろう。師匠のベルクについてのものを措けば、アドルノの常で両義的ではあるものの、基本的には寧ろ「敵」であるワグナーの楽劇についての批判的「試論」はあるものの、ベートーヴェンについては遂にモノグラフを上梓することなく断片が遺されたに留まった中で、端的にミクロロギ―の実践形態である「音楽観相学」という副題を備え、対象の固有名を標題として掲げたたモノグラフが他ならぬマーラーについて書かれたことは、アドルノのmathesis singularis的な思考とマーラーの音楽との或る種特権的とも言える親和性を告げているのではなかろうか。(ちなみにロラン・バルトの側でも「ミシュレ」に関するモノグラフがある訳で、ミシュレのエクリチュールに注目して、ミシュレという歴史家が、過去の確定した事実や既に没した人物の心理を記述の対象とするよりは、その時代に戻って死者たちの生を生き直すというアプローチを採ったことが語られることを思えば、バルトにとってのモノグラフも構造的に並行した関係を持っているとは言えないだろうか?)

 一方、そうしたことからマーラーの音楽自体が広義でのmathesis singularisの実践例であると捉え得るならば、更にはマーラーの音楽をマーラーその人によって生きられた時間性のシミュレータとして捉え、その認識の様態や存在の様態が作品の形式的構造に刻印されているとするならば、私のpunctumへの拘りはそれ自体、そのようにしてマーラーの交響曲の全体から発せられる「事実を越えて燃え出すような火花」(これはpunctumの言い換えでなくて何であろう)を受け取った私が、そのマーラーの音楽の様態、ひいてはそこに刻印されたマーラーその人の在り方の様態を同調的に「感受」(ここでは、これはホワイトヘッドのプロセス哲学的な意味合いを込めて用いる)した結果であって、mathesis singularisへの拘りの方も同様に、実はマーラーの音楽に刻印された存在様態が私に伝播した結果であるという見方が成り立つかも知れない。ここで注意すべきは、マーラーの音楽をマーラーその人によって生きられた時間性のシミュレータであり、その認識の様態や存在の様態がそこに刻印されているとする立場は、こちらもまた、アドルノの絶対音楽的アプローチ、標題音楽的アプローチのいずれもがマーラーの交響曲の内実を明らかにするには不十分であるという批判の対象となるものではなく、寧ろアドルノの批判に与するものであるということだ。

 マーラーの音楽については、その自伝的側面が強調されるあまり、彼の生涯の出来事を知ることがその音楽の内実を正確に理解するための条件であるかの如き主張が為されやすいが、マーラーの音楽は主観的な独白で満たされた日記ではないし、自己の経験した出来事についての描写音楽や標題音楽の類でもない。第3交響曲はマーラーのザルツカンマーグート滞在に取材した描写音楽などではなく、マーラー自身が言ったとされる通り、「手持ちのありとあらゆる手段を用いて構築」された一つの別の世界なのであり、そこに刻印されたものがあるとすれば、それはマーラーその人の世界との関り方とそれに応じた体験の内的な時間の流れ方の様態であって、しかもそれは寧ろ音楽の形式をボトムアップにその都度作り上げる働きをしているのである。その音楽は経験したこと「について」の描写などではなく、経験そのものの「音楽によるシミュレーション」なのだ。マーラー自身が後程撤回することになる稚拙ともとれる標題が、それでも「~が私に語ること」であって、語りの主体が「私」ではないことがその辺りの消息を告げている。これが第3交響曲においてのみ起きた偶発事などではないことの傍証は個別の作品に関してそれぞれ挙げることができようが、もう一つだけ、今度はマーラーその人のものではない証言を挙げるならば、シェーンベルクがプラハ講演において第9交響曲に関してどのように述べていたかを思い起こせばいいだろう。そこでシェーンベルクはこのように語っているのではなかったか。

「この作品の中では、作者はもうほとんど個人として語ってはいない。まるで、この作品にはかくれた作者がいて、彼がマーラーを単なる自分の代弁人として使役しているかのように思われかねないのである。この交響曲はもはや個人的な表現の行われたものではないのである。」

(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, 上田昭訳, 三一書房, 1973; ちくま学芸文庫, 2019ではp.160)

ところでマーラーの音楽自体の持つ唯名論的な志向によって導かれたのがマーラーの音楽の「小説」のような形式であるというアドルノの指摘は、バルトのmathesis singularisの側の極めて重要な側面に共鳴を引き起こす。バルトの側でも「個別的なもの(singuralis)」を実現するための手段として「小説」(Roman)を考えていたのであり、この点の共鳴もまた、偶然のものではないだろう。

私のmathesis singularisとしての「マーラー学」は小説という形を取らないけれど(そう、マーラーについての「小説」を書くという可能性を具体的に思い描くことすらできない。マーラーに関する文献の中には、マーラーの生涯の一部を素材とした小説が幾つもあるのを知ってはいるが、寧ろそれ故に、それを私の方法としては採らないけれど)、例えば10年前に考えたことと現時点での認識や見解が同じなら同じで更に深めていくけれども、仮に違いがあったとして、それが事実に関する間違いを含んでいたり、明らかに論理的に誤謬を含んでいて意味をなさないと判断されるのでなければ前の認識や見解を撤回しようとは必ずしも思わない。それには私の見ている「対象」の姿は、そのほんの一面に過ぎなくて、私は、私にどう見えているしか所詮、書けないのだという感覚があるように思う。

 そうだからこそ、私は「小説」を書くことができる人が羨ましく感じられることも多々ある。私の採用するやり方は、せいぜいが「かつて私には対象がこのように見えていた、今はこう見える」という点を確認した上で、その違いの所以を問うことで、「対象」の側の相貌がより色々な角度で明らかに浮かび上がっていくことに寄与しうるに過ぎない。とても平易な言い方になるけれど「私にはこうも見えたし、今はこう見えています。こういう見方もできるのではと思います。」という証言をすることで「対象」についての展望を豊かにすることが出来たらそれでいい、そしてある意味これは果てしない作業なので、残された時間が限られてきたとするならば「対象」を絞り込む(これは老年学で言われるところのSOC(selective optimization with compensation : 補償を伴う選択的最適化)の方略の一つであるらしいが)べきと思っているということである。

 (だが、であるとするならば、「私」の方については虚構が成り立つ余地があるのではなかろうか?別の可能世界にいる「私」がマーラーにどのように対面し得るか、或いはマーラーと同郷人であり、或いはマーラーと同業者であり、或いは…という多岐性は、これもまた「対象」についての展望を豊かにすることに寄与することができはすまいか?それにしても、そもそも「私=自己」は、常に軌道を描いて移動していく重心のようなものであり、それ故「自己=我」についての「本物らしさ」に拘ることは愚かしいが、その都度その都度の対象との関りは全く恣意的なものではありえない。)

 なお、心理学的な意味での「作者」とアナロジーの形式による「本物らしさ」の効果に対する批判から、バルトがブルジョワ演劇の「写実主義」に対して、ブレヒト劇への関わりを根拠に、演者と作品上の役割・観客の同一化としてのカタルシスを重視したことについて言えば、そのアナロジー批判を擁護しつつ、発見や理論構築の過程でのアナロジー(その顕著な例を一つだけ挙げれば、南部陽一郎先生の自発的対称性の破れを提唱した論文、Y. Nambu and G. Jona-Lasinio, "Dynamical model of elementary particles based on an analogy with superconductivity. I, II"におけるそれがまず思い浮かぶ)を擁護することを試みるべきであると考える。後者は「本物らしさ」とは関係ない。寧ろ異なった領域に共通する構造的同型性に着目することで新たな理論構築を可能にする広義のアブダクションの一種と捉えることができよう。他方私が「小説」に疑問を感じるのは、それがまさにバルトが批判した筈だった「写実主義」と「本物らしさ」に依拠する側面がないとは言えず、ことマーラーに関して言えば、寧ろその批判される側面ばかりが目立つ印象を覚えるからということもあるだろう。

 作者としてのマーラーに関する「伝記」は、そちらはそちらで「作者の死」の立場から拒絶の身振りを以て遇されそうだが、そうした拒絶を免れそうにないものもあるとは言え、少なくともド・ラ・グランジュの手になるそれ、生涯に亘って何度となく改訂され続け(最初の英語版は第1巻で中断し、替わってフランス語による全体で3000ページ近い分量の3巻本として一旦完結した後、今度は英語版で第1巻の続きにあたる部分の増補が行われてそれだけで仏語版の分量を超える3冊本となり、最後に第1巻の増補改訂作業を行って英語版が4巻本として完成する途上でド・ラ・グランジュが没したため、第1巻は遺著として他人の編集の下で公刊された)、マーラーの交響曲のように巨大なそれ(最後の英語版改訂版4巻本は合計で4600ページにも及ぶ)だけは確実に、その徹底ぶりに或る種のpunctumさえ感じさせるものになっているというのが私の率直な印象である。否、その点ではその分量において相対的には(あくまでも相対的に、であって、それ自体としては量的にも十分なのだが)簡潔にさえ感じられるクルト・ブラウコプフの伝記さえ30年近い歳月の蓄積の中で生み出されたもので、そのための蒐集された資料の膨大さもまた伝記の後に公刊された資料集からも窺えるものであり、やはり一生涯をかけてマーラーと関わった記録であることには間違いない。その最終章はまさに「マーラーの伝記を書くことの冒険」(Das Abenteuer einer Mahler-Biographie)と題されていて、その伝記が完成するまでの労苦と紆余曲折を偲ばせる内容になっていて、それを読んだときの印象を「証言:クルト・ブラウコプフのマーラー伝の最終章「マーラーの伝記を書くことの冒険(Das Abenteuer einer Mahler-Biographie)」より」という小文に記したことがあったが、私がそこで受け取ったものもまた、音楽社会学者としての彼のmathesis universalisの成果としてのstudiumとは異なったもの、punctumに他ないものであったと記憶する。恐らくはそうした伝記的な業績に(直接ではなくても、間接に)依拠して成立したであろうマーラーに纏わるフィクションの類は、その貧弱で劣化したコピーに過ぎず、寧ろ「本物らしさ」と見てきたかのような「写実」的な描写に対する安直な寄りかかりの弊を免れないし、アドルノがマーラーの交響曲を「小説」として捉える要件を満たしておらず、少なくとも私にとっては「特殊なものという期待を贈り物として呼び覚ます」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』邦訳, pp.82~83)ものではないのである。それよりは寧ろ「伝記」の方が、マーラーという個別で特殊なもののその特殊性を浮かび上がらせ、マーラーの人と作品に関するパトスを呼び覚ますものたりえているように感じられるのだ。


だが私がマーラーの人と作品の個別性、特殊性について考える時に真っ先に思い浮かべるのは、結局のところ、例えば先にも参照したシェーンベルクが「プラハ講演」での語りなのである。そこで彼は人と作品との関りについてどう述べているか?彼は講演をこのように始めているのである。

「多言を費やすことをやめ、マーラーこそはもっとも偉大な人間にしてかつもっとも優れた芸術家の一人であると信じて疑わない、と素直に言ってしまうのが最良の方法ではないかと考える。」

(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, ちくま学芸文庫版, p.115)

 シェーンベルクには、マーラーのネクタイの結び方に纏わる有名なアネクドットもあるけれど、些か極端に感じられ、今なら「個人崇拝」「聖化」の如きものとして冷静に拒絶されることもあろうその熱狂的な姿勢はだが、彼がマーラーその人と実際に会って少なくない時間を共有したこと、サウロがパウロになったと自ら語ったように、最初は反撥していたマーラーの作品を高く評価し、傾倒するようにさえなったことと無関係ではあるまい。マーラー自身の音楽が「自伝的」であると言われるかどうかとは一先ず関係なく、ここでは人とその作品は分かち難く結びついているが、それはバルトの批判した作者と作品との間にある心理学的な関係とは全く無縁であろう。その関係はそもそも、生産ー演奏ー消費という記号論的三分法が暗黙裡に前提として疑わない、「ものを生産する」こと、それを「使用」したり「交換」したりすることを範例とするパラダイムでは捉えられないものなのであって、mathesis singularisは一見そう見えたとしても、単に生産の側から消費の側に重点を移し、後者により多くの自由度を付与しただけのものではない。「喪の体験」もそうしたパラダイムから逃れでるものの一つであるだろうが、それは「喪の体験」だけで尽くされるものではないだろう。

 そもそも単に使用価値とか交換価値では捉えきれない独自の価値ということであれば、商品の物神的性格に関して指摘される物象化に伴って現象するファンタズマゴリーもまたそうではなかったか。そうした状況に対して、バルトの方は記号論的分析によって「神話作用」を告発し、アドルノはまさにモノグラフの一つである「ワグナー試論」において、ワグナーの楽劇がファンタズマゴリーに他ならないことを指摘して見せたのではなかったか。更に技術的特異点(シンギュラリティ)が具体的なものとして議論されるようになった今日の状況を踏まえつつ、ディズニーランドこそがファンタズマゴリーの現代的形態の典型的事例であることを三輪眞弘さんが指摘している。

「確認しよう・・ディズニー映画からディズニーランドが生み出されたように、現代社会は「あの世」から多大な影響を受け、20世紀「この世」は「テーマパーク」のようになった。つまり、不道徳なものは除いた上で、このテーマパークの中では誰もが、もはや人間ではなく、平等で笑顔で楽しく清潔な「お客様」でなくてはならない。それはアニメ映画のような幼児的世界の模倣である。」

(三輪眞弘「魔法の鏡 または、三浦基氏に宛てた「光のない」の私的パラフレーズ」より一部を引用, 初出はF/Tジャーナル創刊号)

だがだからといって、使用価値とか交換価値では捉えきれない独自の価値が問題であることは確かなのであって、その価値がファンタズマゴリー的なものとは異なるための条件なり、それを見分けるための徴候なりを突き止めることが求められているのではなかったか。そしてpunctumこそがその徴候であり、「喪の体験」こそがそうした実例の一つなのであり、mathesis singularisは使用価値とか交換価値でもなく、さりとてファンタズマゴリー的なものとは異なる価値を擁護するための方法なのではなかろうか。(とはいえその擁護がますます困難になっていることにも留意する必要があるだろう。上に引用した三輪さんの文章での「あの世」という言葉の用法が物語っているように、全てを特徴量に還元し、徹底的に数量化し、特殊性を統計分布上の外れ値として除外する統計処理が支える緻密なマーケティングと、感性的なものを制御し、現実の拡張や仮想的なものとの融合さえ実現しつつあるテクノロジーの圧倒的な力に浸蝕され、パトス的なものすら制御され回収されかねず、punctumが拠り立つべき地盤がどこにあるかすら危うくなってきている中で、ファンタズマゴリーはしっかりと使用価値と交換価値の回路に回収され、管理と支配の道具となっている現実に、更にはシンギュラリティの向こう側では、「あの世」すらかつてのようではなくなり、「喪の体験」すら徹底的な変容を受けたり、ことによったら消滅したりする可能性があるのだ。そうした展望を踏まえるならば、具体的な相に関わる部分については再解釈が必要になってくるだろうが、それは単に自分のアーカイブ化への拘りを振り返るだけに過ぎなかった筈の本稿のもともとの目的を大きく逸脱する作業となるため、後日を期することにしたい。一言だけ付言するならば、使用価値でも交換価値でもない価値というのは、三輪さんの実践する「音楽藝術」と「人文学」とが関わる領域であると同時に芸術の姿を借りた「ファンタズマゴリー」の支配によって浸蝕されつつある領域であり、感情までが支配され、制御され、搾取される危険に対して、尚も「音楽藝術」と「人文学」は批判力を有するものであることを示すことが、mathesis singularisの役割であるというのがラフなスケッチになるだろう。)

 mathesis singularisは「喪の体験」を含めた「対象」なり「出来事」なりとの異なった関り方に依拠し、かつそうした異なった関わり方自体を対象としたものなのである。ここでは示唆に留めるしかないが、元々のバルトの文脈においてもまた、そこには特定の、個別の「他者」との関りが存在していたこと、否、そればかりがその関りにこそ全てが賭けられ、それ故に「写真のノエマ」たる「それは-かつて-あった」が特別なパトスを偶然に帯びることになったという消息が思い起こされる。寧ろここではmathesis singularisによって、(mathesis universalisにおいてのように「他者」を客観的な分析対象とするのではなく、「他者」として迎接し、歓待することが前提となっており、そうした「他者」ーpunctumをもたらす存在ーへの応答こそがmathesis singularisを成立させる必須の契機なのではないかと私には思われてならない。

ところでシェーンベルクは、また同じ講演で以下のように述べている。

 「或る芸術家の偉大さを相手に理解させるには方法は二つしかない。その一つは―この方法がもちろん最良なのだがーその芸術家の作品を上演することであり、もう一つの方法は―私もこの方法によらざるを得ないのだが―書物を通じて読者にその芸術家の偉大さに関して自己の所信を述べる、という方法である。」

(『シェーンベルク音楽論集 様式と思想』, ちくま学芸文庫版, p.115)

シェーンベルクはマーラーその人と異なって職業的な指揮者ではなかったし、当時の文化の中心に君臨するハプスブルク帝国の王室=宮廷歌劇場監督にして時代を代表する天才指揮者としてのマーラーを知っていただけに、寧ろ音楽の専門家であるが故に一層、その作品を自ら指揮する第一の方法を採ろうとは思わなかっただろうが(私の知る限り、シェーンベルクがマーラーの作品を指揮した記録は、1934年4月8日に放送された、ナチスを逃れて亡命したアメリカで、キャディラック交響楽団を指揮した第2交響曲第2楽章の演奏のみのようだ)、実際には一見したところでは誰にでも可能に見える二つ目の方法についても、実はシェーンベルクが自分も作曲家であり、音楽理論の専門家でもあったという前提を見落として、mathesis universalisの専門家でもない市井の愛好家に過ぎない人間が安易に、そちらなら自分でもできるなどと勘違いするのは夜郎自大というものだろう。私個人の身近ですら、一つ目についてはジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ及びマーラー祝祭オーケストラの音楽監督である井上喜惟先生のような方が間近に居るし、二つ目についても音楽学者の岡田暁生先生のような方が居られて、結果としてはどちらにしても私の出る幕などないということになるのかも知れない。そして勿論、冒頭にも述べたことだが、私の「アーカイブ」は松井先生(アーカイブ学の専門家としての松井茂さん)を前にして、そう名乗るのも烏滸がましい、取るに足らないものであるけれど、この文章の中で触れた以外にも数多いる巨人たちの、マーラーの人と作品に関わる業績のstuduim的な側面から自分が受けた測り知れない恩恵とともに、そこから蒙ったpunctumなしには成り立っていないことは事実で、せめてその一部でも(例えば、21世紀ならではのGoogle MapsやGoogle Street Viewによるヴァーチャル・ツアーや、日本国内のアマチュア・オーケストラの演奏記録の統計、自筆譜に比べると圧倒的に乏しいように見える出版された楽譜の異同に関して手元にあるものについて調べた結果の報告や、ジャパン・グスタフマーラー・オーケストラ及びマーラー祝祭オーケストラの演奏に関する記録、そしてMIDIデータを用いた分析や作品の構造の可視化の試みなど)studuim的な側面においてもオリジナルな貢献たりえればと思う一方で、マーラーの人と作品という、個別、特殊に関するmathesis singularisとしてもまた、そこから受け取ったpunctumに「応答」できていることを願うばかりである。

(2023.2.6公開, 2.8,9更新, 2024.6.23 noteで公開)

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