備忘:マーラーの音楽における「老い」についての論考に向けての準備作業(2)
「老い」と「後期様式」に関連したアドルノの論考を確認しておこう。
ベートーヴェン:「ベートーヴェンの後期様式」(『楽興の時』):ここでは「晩年の様式の見方を修正するためには、問題になっている作品の技術的な分析だけが、ものの役に立つだろう。」とされる。だがその「技術的分析」は、必ずしも作品自体の内在的な分析を意味しない。というのもそこで手がかりとされるのは「慣用の役割という特異点」なので。それが「慣用」なのかそうでないかを判定する客観的な判断基準を設定できるだろうか?それ自体、文化的で相対的なものではないだろうか?
マーラー:『マーラー』の最終章「長いまなざし」(ただし、「後期様式」への言及は、それに先立ち、第5章「ヴァリアンテー形式」において、アルバン・ベルクおよびベッカーの発言を参照しつつ、「(…)マーラーだけに、アルバン・ベルクの言葉によれば、作曲家の威厳の高さを決定するところのあの最高の品位の後期様式というものが与えられる。すでにベッカーは、五十歳を過ぎたばかりのこの作曲家の最後の諸作品がすぐれた意味での後期作品である、ということを見逃さなかった。そこでは非官能的な内面のものが外へと表出されているというのだ。」(アドルノ『マーラー 音楽観相学』, 龍村あや子訳, 法政大学出版局, 1999, p.112)と述べている。この最後の発言は、シェーンベルクがプラハ講演で第9交響曲について語った言葉と響きあう。)
一方、「老化」を扱ってはいても、シェーンベルク:「新音楽の老化」(『不協和音』)はシェーンベルク個人の「後期様式」の話ではない。そうではなくて寧ろ、所謂「エピゴーネン」に対する批判であろう。従ってここで「老化」は「後期様式」とは何の関係もないように見える。だがそれならそれで「老い」について2通りの区別されるべき見方があるということになる。「後期様式」とは「老い」そのもの(?)とは区別される何かなのだ。恐らくは生物学的な、ネガティブなニュアンスをもった「老化」と、それに抗するような別の何かがあるというわけだ。それはシェーンベルクその人が含み持っていた傾向と無縁でないのは勿論、例えば、ヴェーベルン論において、アドルノが作品21の交響曲以降の「後期作品」について留保を述べるというより端的に否定的な評価をしているケースとも無縁ではないだろう。(なお、アドルノのヴェーベルン論の邦訳は、竹内豊治編訳『アントン・ヴェーベルン』,法政大学出版局, 1974, 増補版 1986, 所収。特に「後期作品」についてはp.158以降を参照。)ではそこには「後期様式」は存在しないのか?それとも二種類の後期様式が存在するのか? 特にヴェーベルンの場合については、別途「ヴェーベルンと老い」として独立に取り上げることになるだろう。
ヴェーベルンは後期に至って、若き日に研究したフランドル楽派の音楽と、自分の音楽とを突き合わせるということをしているし、ゲーテの原植物や、法則という意味でのノモスについて言及してもいる。(これらは翻訳もあるヴィリ・ライヒ宛書簡で読むことができる。)フランドル楽派のような音楽への接し方は、果たして退行なのか。かつてある鼎談で西村朗さんがそう言ったように、そこに「ニヒリズム」を認めるべきなのか。主観性を超えた秩序、法則の反映として音楽を考えるという、ピタゴラス派的と言って良い姿勢(ただし、それは主知主義的であるとは限らない)は、ニヒリズムなのだろうか?或いは、それぞれの具体的なありようは異なるが、各自の仕方でそうした客観の側の秩序(無秩序でも構わないが、とにかく一般にイメージされるロマン派的な「主観性」とは対極にあるそれ)と自らの音楽との関係を探求した人たち、例えば後期のシベリウスは、クセナキスは、三輪眞弘のアルゴリズミック・コンポジションは、これらもやはりニヒリズムなのか。勿論、それらを単純にひとくくりにすることはできないが、それなら再びヴェーベルンの場合に戻って、その生成の文脈を離れて、今、ここで私が向き合っているその作品について言えば、そこにニヒリズムを認めるよりは、寧ろ或る種の「現象からの退去」の仕方を認めることの方が余程自然なことに思われてならない。であるとしたら、ヴェーベルンについて、アドルノの否定的な評価にも関わらず、しかしそこに或る種の「後期様式」を認めるべきなのではないか?
ここで私はヘルダーリンの最晩年の断片の幾つかを思い浮かべる。ヘルダーリン伝を書いたホイサーマンが「(...)生は次第に主観的な色調と緊張を失う。さまざまな現われは客観的なもの、幻影のようなものになる。」(ウルリッヒ・ホイサーマン『ヘルダーリン』, 野村一郎訳, 理想社, p.189)と書いたような断片たちのことを。例えば「冬」Der Winter、
あるいは、ヘルダーリンの絶筆となった「眺望」Die Aussichtといった作品の背後にある認識はどうなのか?ヘルダーリンはこれらを統合失調症の発症の後の、ホイサーマン言うところの「寂静」の裡で、かつての賛歌群のような人間には耐え難い集中の下では最早なく、間歇的に、折々に、或る種の機会詩として書き留めていった。時としてスカルダネリという「偽名」による署名とともに、狂った日付の下に。これらは病の結果として意図せず生み出されたものと一般には了解されているし、ここには意図を持った、高度に意識的な様式の選択は恐らくはないだろう。
アドルノはヘルダーリンの後期賛歌について、恐らくはハイデガーのヘルダーリン解釈への異議申し立てという意味合いも込めて「パラタクシス」という論考を記している。それはヘルダーリンの「後期抒情詩」についてと題されているが、しかしここでの「後期」は、「寂静」に先立つ時期の作品を対象とし、それら作品が備える構造上の特徴を「パラタクシス」として規定して論じているのである。
だが最後期の詩作もまた、円熟の果てに巨匠が辿り着く孤高の境地の如きものとしてではなく、余りにも痛ましい仕方ではあるけれど、「現象から身を退く」在り方ではないのか?しかも遺された作品は、紛れもない独自の「様式」を備えて我々に遺された。それはあの空前絶後の賛歌群と異なり、自由律ではなく韻律を備えていて、それまでの後期作品とははっきりと区別される。アドルノの言う「パラタクシス」は一般的な了解としては、ここには適用されないということになるだろうが、そんなことはお構いなしに、それらはまるで相転移の向こう側の領域からの投壜通信のように私の生きる岸辺に辿り着いたし、私は確かにそれを拾い上げ、そこにかけがえのない、自分自身に遥かに勝って永続的な価値のある何かがあることを確信する。その独特の光の諧調は、まばゆいばかりの後期賛歌群とは異なって、だが、地球半周分の隔たりと数百年の年月の隔たりを軽々と越えて、私の住まう岸辺を照らし出す。ホイサーマンの指摘する通り、私はそこに「韻の調和、形象の静かな輝き、疑いのない敬虔性の光」(ホイサーマン,上掲書, p.198)を認め、「ヘルダーリン最後期の詩に生きているこれらすべてのものは、それらの詩が生まれる源となった平和を示している。つねに熱望した平和、それはいま、彼が求めたのとは別のあり方で存在している。」(同書, 同頁)との言葉に同意する。
ヴェーベルンの後期とヘルダーリンの最晩年の詩とを並べたのは所詮私の恣意に過ぎないとはいえ、アドルノの言う「後期様式」の更に向こう側があるのではないかという問いを立ててみたくなる誘惑に抗うことは、私にとっては非常に難しい。あたかも2つの「老い」があるようではないか?これもまた「老年的超越」(トルンスタム)の一つのありかたと言ってはいけないのか?ヴェーベルンの場合は措いて、ことヘルダーリンの場合に限って言えば、常には沈黙が支配する領域からまるで奇跡が起きたかのように一度きり届いたそれらの詩に、語の究極の意味合いにおける「現象からの退去」(なぜなら、そこには普通に了解されている意味合いにおいては「主体」は最早存在しているとは認められないかも知れないから)を認め、それが纏った形式を、それ自体は寧ろありふれたものであり、ジンメル=アドルノが想定しているような全く独自の「固有の形式」ではないにしても、これもまた「後期様式」の一つとして認めてはいけないのか?
私はヘルダーリンの「後期」作品に関連して、あたかもそこには2つの「老い」があるように思えると述べたが、ヘルダーリンの場合とは、特に2つ目の「老い」については異なったものであるとはいえ、翻って、例えばヴェーベルンの後期作品を、しかも特に批判の多い、ヒルデガルト・ヨーネの詩作に基づく作品については、まさにその選択が故にこそ、だが志向としては同様の方向性を有するものとして捉えてはいけないのかを改めて問うことができるのではなかろうか?更にそれはまた、マーラーの後期作品について指摘される幾つかの断絶、つまり一般には第8交響曲を或る種の過渡的な折り返し点として、中期交響曲と「大地の歌」以降の後期作品の間にあるとされる断絶と、後期作品の中においても第9交響曲と第10交響曲の間に指摘されることのある断絶とに関わっているということはないのだろうか?
私は繰り返し、第10交響曲の鳴り響く場所が何処であるかを正確に言い当てることができないということを述べ、その最大の近似値が以下に示すヘルダーリン晩年の断片が語られている場所=「遠く」であると予感してきたのであった。
この詩断片の語りの場というのもまた異様で、まるで世の成り行きから超絶した、異世界のほとりで、かつて自分がその只中を彷徨った世の成り行きを遙かに望みながら 語っているかのようだ。そして、ほとんど同じ印象を、私はマーラーの第10交響曲についても 抱かずにはいられないのである。単に過去を振り返っているのではない。その過去の出来事の生起したのとは別の場所にいるような感じがしてならない。要するに、シェーンベルクがプラハ講演にて言っていたあの一線を、やはりこの曲は越えてしまっているのでは、生きながらにして一時マーラーは、相転移の向こう側に抜けてしまったのではないかという感覚を否定し難く、その「場所」はまた、ヘルダーリンの最後期の詩の場所=「遠く」ではないかという考えをずっと抱き続けているのである。そしてこちらについては、アドルノが「後期様式」ということで言い当てようとした領域とも更に異なる、だが寧ろこちらこそが「老い」の奥津城にある領域なのではないかと思えるのである。
だがしかし、ここではアドルノが通り過ぎてしまった領域について論じることは控え、その代わりに、その「パラタクシス」の中においてヘルダーリンの受動性、「東洋的で神秘的で限界を克服する原理」としてのそれについて指摘し、「ヘルダーリンのギリシャ精神の心象はすでに多島海の東方的な色彩のなかにあり、反擬古典主義的に色彩豊かで、アジア、イオニア、島々といった言葉に陶酔しているー」(邦訳:アドルノ『文学ノート2』みずず書房所収、p.208)と述べている点に目くばせしておくべきだろうか?これをアドルノがマーラーの後期様式において指摘する「仮晶」としての中国へと架橋できはしないだろうか?
実は「東洋」というのは「老い」を考える上で、より一般的な文脈で考えた場合にも重要な意味合いを持っている(例えば、上でも言及したトルンスタムの「老年的超越」もまたそうだが、これについては別に取り上げることにしたい)。つまり生物学的・生理学的な「老い」ではなく、「老い」に関する認識、「老い」をどう捉え、受容するかについての態度は一定程度文化相対のものであり、洋の東西による違いがあるようなのだ。そしてまた、ここで「現象からの退去」としての「後期様式」が幾度となく東洋的なものに接近することもまた、そうした広がりの中で見ている必要があるだろう。そこで、ここで一旦、マーラーとその近傍固有の文脈を離れて、「老い」が一般にどのように捉えられているかについて俯瞰してみることにしたい。
(ちなみに「パラタクシス」を含む『文学ノート2』の邦訳書の巻末には前田良三「『文学ノート』ーアドルノの「主著」ならぬ主著をめぐって」という論考が収められているが、そこでは『オリエンタリズム』の著者であり、オリエンタリズムとポストコロニアリズムの理論を確立したエドワード・W・サイードが参照され、更にサイードの『晩年のスタイル』に言及しつつ、サイードが「アドルノから「晩年のスタイル」(あるいは後期の様式)というキーワードを取り込むことによって、「故郷喪失状態」という空間的条件を時間的なものに読みかえる。」(同書, p.389)という指摘が為されていることにも目くばせをしておこう。)
(2022.12.7-8 公開, 2023.3.16改稿, 2024.12.1,8,12 改稿, 2024.12.13 noteにて公開)