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しおり〜舞鶴・鳥取・出雲・尾道【6泊7日】 後編


前編

中編


【5日目:出雲大社、尾道へ】

6:20 朝の散歩

徒歩にて移動:約10分

朝の神門通り
奥に見えるのは宇迦橋の大鳥居

6:30 出雲大社

見学:約50分

勢溜の大鳥居
高さ8.8m、横幅12m
鋼管製だそうです
出雲大社の主祭神、大国主大神の「ムスビの御神像」
左は「御慈愛の御神像」
大国主大神といえば「因幡の素兎」が有名ですね
サメに全身の皮を剥かれた白ウサギが、大国主大神の兄達から
“海水に浸かり風に当たれば治る”と教えられそうしたところ
傷は酷く悪化してしまったそうです
ウサギが痛みで泣いているところに大国主大神がやって来て
“真水で塩を洗って蒲(ガマ)の穂に包まれると良い”と教えたところ
ウサギの傷が癒えたというお話です
銅鳥居
1666年に毛利輝元の孫綱広が寄進したもので
青銅製だそうです
拝殿
現在の拝殿は1959年5月に竣功
大社造と切妻造の折衷した様式とのことです
神楽殿
神楽殿は本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており
「風調館」と呼ばれていたそうです
現在の神楽殿は1981年に出雲大社教が特立100年を迎えた折規模を拡張して
建て替えられたものだそうです
正面の大注連縄は長さ約13m、重さ5.2t!
数年に一度、新しい注連縄へと懸け替えられる際には
クレーン車を使用し1日がかりの作業となるそうです
ちなみにこの大注連縄は島根県の飯南町で
1年以上の歳月と延べ1000人の町民の手によって
製作されるそうです
八足門
1677年建立の三間一戸八脚門です
御朱印受付は拝殿裏の向かって右手のようですが
時間が早くて開いていませんでした
御本殿の周りを一周してみました
現在の本殿は1744年の建立で3年半の歳月を要して完成したそうです
高さは24m、神社建築としては国内最大級で大社造と呼ばれる
日本最古の神社建築様式を 今に伝えているということです
古代には3本の大木を鉄輪で束ねて1本の柱とし
高さ48mの御本殿であったということです
48mあったとすると
東大寺大仏殿より大きかったということになるそうです
彰古館
1914年に建てられた宝物館とのことです
静寂をかみしめながら歩きます
呼吸するたびに体内が浄化されるような気がします・・・
お参りできて良かったです
美しい松の参道
神様の通り道、松の根の保護のため
参道の左右を利用します

7:40 朝食

10:40 チェックアウト

車にて移動:約2時間

12:40 三良坂フロマージュ

ソフトクリーム休憩:約20分

広島といえば三良坂フロマージュ!
機会があるたびにこちらのチーズやヨーグルトを
いただき本来あるべき環境で健やかに育った
牛、山羊の乳製品とはなんと美味しいことかと
感動していたのでした
今回通り道近くにあることがわかり
ちょっと寄り道しました
夫(わたしも)所望のヤギのミルクソフトクリーム
スタッフの方がちょっぴり慌てたご様子で
ピサの斜塔風になっているのは御愛嬌
ヤギらしいさっぱり感、でも良い濃さで後味はすっきり

車にて移動:約1時間

14:00 千光寺

見学:約20分

瀬戸内海に浮かぶ島々の景色
眼下には尾道の町、尾道港が広がります
あちらに見えるのは向島ですね
千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり
806年弘法大師の開基で中興は多田満仲公と
伝えられてるとのことです
本堂からの眺め

車にて移動:約45分

15:10 チェックイン

17:30 夕食


【6日目:今治観光】

7:00 朝食

8:30 出発

車にて移動:約1時間30分

11:30 今治城

見学:約30分

今治城は関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した
藤堂高虎が瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です
1602年に築城を始め、1604年に普請(土木工事)完成
建造物も含めて完成したのは1608年頃と推測されているそうです
堀には海水が引き入れられており
当時は海から堀へ直接船で入ることができたということです
堀に見られる魚たちとして
スズキやクロダイ、ヒラメ、サヨリなどが
紹介されていました
鉄御門
勘兵衛石
藤堂高虎の重臣、渡辺勘兵衛の名を冠した勘兵衛石です
縦約2.4m、横約4.6m、厚さ0.6mと
表面だけが大きい薄っべらい形です
この石には大きく見えることに意味がありました
今治城の表玄関ともいえる鉄御門は城の威容を誇示する大事な場所
勘兵衛石は城主の力を見せつける特別な石だということでした
藤堂高虎は、黒田孝高(官兵衛)、加藤清正と並び
「築城三名人」の一人と称されています
数多くの築城の縄張りを担当し
層塔式天守を考案したことで有名です
でも最初から築城に詳しかったわけではなく
主君羽柴(豊臣)秀長と出会いしっかりお仕えし
結果も出すようになり
猿岡山城、和歌山城の築城に当たって
普請奉行に任命されたことをきっかけに
どんどん知識を蓄えていったのですね
それまで主君に恵まれなかった(?)高虎にとっては
運命の出会いだったのでしょうね
天守最上階からの景色 北方向
今治港と瀬戸内海
北東方向
眼下には吹揚神社
右奥に見えるのは今治国際ホテルですね

車にて移動:約10分

12:10 今治タオル本店

見学:約20分

テクスポート今治というところにあります
愛用している今治タオル本店ということで
楽しみにまいりました
まずは今治タオルLABを見学しました
タオルのルーツですが紀元前5000年頃
石器時代の住居跡で発見された木の皮や亜麻などによる織物が
タオルの原型とされているようです
近代タオルの基本的な技術「パイル織り」は
オスマン帝国の宮廷のハーレムにいた女性達によって
表面にパイルが施された織物が考案されたそうです
ヒゴ織機(明治初期)
日本で最初にタオルを織り始めた機械
ヒゴ(竹)を入れて織った後
抜くことによってパイル(輪奈)を形成しました
足踏みバッタン織機(明治末期‐大正時代)
踏み木を足で踏んでボトム軸を回すことで
開口・杼投げ・筬打ちの
3運動が連動して行われるようにした織機です
このLABの中心にある大きな織機は
近代使われている織機だそうです
この大きさは小型で生地幅145cmが織れ
1mを約10分で織るとのことです
なかなか楽しい展示でした
この後お店でタオルを購入したのですが
接客がちょっとアレでした
(「現品でいいですか?」と言われたので
「現品しかありませんか?」とお尋ねしましたら
「いいえ」
「じゃあ新しいものでお願いします」
「あ、はい」といった感じでした)

車にて移動:約1時間30分

13:50 お宿に戻る

17:30 夕食


【7日目:呉観光、帰阪】

7:00 朝食

8:20 チェックアウト

車にて移動:約1時間45分

10:00 大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)(閉館中)

見学:約20分

大和ミュージアムはコロナ禍で閉館中でしたので
屋外展示を見学しました
戦艦「陸奥」
艦尾旗竿
戦艦「陸奥」
主錨
戦艦「陸奥」
艦尾フェアリーダー(右舷用)
戦艦「陸奥」
1921年完成、全長224mで当時、世界でも数少ない41センチ砲を搭載し
「大和」「武蔵」が登場するまで最強戦艦とされたそうです
1943年6月8日、連合艦隊司令部付として柱島水道(周防大島伊保田沖)警泊中に
謎の大爆発を起こし沈没、総員1471人、うち死者1121人、生存者わずか350人
という大惨事に見舞われました
1970年6月引き揚げ作業が再開、8年間に及ぶ作業の末
乗組員の遺骨・遺品・主砲など艦体の75%が引き揚げられたということです
戦艦「陸奥」
41センチ主砲身(4番主砲塔左)
戦艦「陸奥」に搭載された41センチ砲は
呉海軍工廠で開発したもので「陸奥」の
建造当時は世界最大の艦載砲であったそうです
戦艦「陸奥」
スクリュープロペラ
戦艦「陸奥」
主舵
潜水調査船「しんかい」
川崎重工業(株)神戸工場で建造
1969年3月20日竣工
海上保安庁で運用され
1977年1月28日に退役
2005年からこちらで
展示されているそうです
全長16.5m、幅5.5m、高さ5.0m、潜航深度600m
潜航時間10時間、乗員4名、動力源は50個の鉛蓄電池
であったそうです
次回はしっかり館内を見学したいと思います
てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)も次回!
目を引く潜水艦あきしおは全長76.2m、重さ2250t
1986年から2004年まで実際に海上自衛隊で使用されていたもので
てつのくじら館ではこの潜水艦に乗艦し艦長室や士官室などの生活の
一部が見学できるのだそうです
11:00出港の呉湾艦船めぐりに乗船します
わたしたちが乗船するのはあちらでしょうか?

11:00 呉湾艦船めぐり

出港しました
日本郵船のVLCC(VLCC: Very Large Crude Oil Tanker)
永遠丸
DD-105 護衛艦いなづま
DD-158 護衛艦うみぎり
TV-3518 練習艦せとゆき
TV-3521 練習艦しまかぜ
おおすみ型輸送艦
LST-4002 おおすみ
TV-3520 練習艦はたかぜ
あれは・・・
潜水艦でした
むろと型敷設艦 ARC-483 むろと
潜水艦って・・・
つくづくクジラに似ていますね
AOS-5203 音響測定艦あき
AMS-4304 多用途支援艦げんかい
DD-106 護衛艦さみだれ
海上自衛隊OBのガイドさんが面白おかしく
説明してくださり楽しいひとときでした

車にて移動:約10分

12:05 呉海軍工廠 職工教習所 工員養成所 跡地記念碑

見学:約20分

1918年呉海軍工廠は中国、四国地方の小学校髙等科2年卒業生より
厳重な試験により優秀者を採用し中堅工員養成の目的で
この地に職工教習所(後に工員養成所)を開校し
終戦(1945年)までの27年間に約2万名の卒業生を送り出した
この生徒は一般には見習工と云われ、羨望の的であった
(中略) 
ここに同窓生より基金を募り呉市の協力を得て懐しのこの地に
思い出と功績を偲ひ記念にこの碑を建立した  平成十年五月吉日 同窓会
ちょっと歩いてみました
AOS-5202 音響測定艦はりま
アレイからすこじま
アレイからすこじまという名称は
路地を意味する英語「アレイ」に
大正時代に海軍工廠拡張工事で消失した「烏小島」を
足したものだそうです
潜水艦がすぐそこに停泊しています
壮観です
護衛艦の色はなぜ灰色なのか?
ガイドさんいわく
「敵から見つかりにくいように、日本周辺海域の海水の色に合わせるため」
とのご説明でした

車にて移動:約10分
12:45 レンタカー返却
徒歩にて呉駅へ移動:約15分
13:16 呉 → 13:53 広島:JR快速安芸路ライナー

14:00 広島駅

14:18 広島 → 15:43 新大阪 のぞみ32号

15:50 新大阪駅


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