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所詮養われてる分際で

私が中学生の頃
あいつは不登校になった私の友人のことをディスってきた。
「そんなクズとは付き合うな」

友人の人間性なんて何も知らないくせに、不登校というラベルだけで判断して蔑む非情な人間性。
私の友人を蔑んだら、私がどれだけ不快で傷付き悲しいか、腹立たしいか、微塵も考えない無神経さ。

私自身への蔑み暴言はずっと我慢してきた。
でも友人へのそれは我慢できなかった。

だから恐怖よりも先に怒りが爆発して、今まで一度も誰にもぶつけたことのない剣幕であいつに反論した。

そしたらあいつがブチギレて
「所詮養われている分際で!!」
と吐き捨てた。

恐ろしかった。
ガクガク震えた。
1人で悔しくて悲しくて泣いた。

うちにはこういう時にそっと優しく寄り添ってくれる人なんていない。

ただただ1人で理不尽で惨めでどこにもぶつけようのない気持ちを抱えて、私はそんなに悪いことをしたのだろうか?と自問自答し、納得できなくても悲しくても苦しくても最後は感情を押し込めるしかない。

誰にもぶつけられないし、誰も助けてくれない。私には味方はいない。私はいつも精神的にひとりぼっち。

どんな感情になっても冷静に分析して2度と失敗しないように対処することで、この苦しみを避け続けなければいけない。

養われているヤツは何も意見を言ってはいけない。
養われているヤツは何の権利もない。
金を稼いでる人間が偉くて、稼いでないやつはクズなんだ。

受け入れたくないあいつの思考回路を脳内にインプットするしかない。
この家で平穏に生きるために…

でも、この事件をきっかけに、私ははっきりと認識し、そして心を完全に閉ざした。
あいつとは一生分かり合えないし、分かりあいたくもない。

中学生の私は、これからこの家では、特にあいつに対しては、心を無にして生きて行くと決意した。

今までと別に大して変わらないのだけれど…

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