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【連載小説⑩】夫からの着信

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夫からの着信に気がついたのは、アウトレットモールの駐車場に車を停めたときだった。予想以上に早い連絡に心臓が跳ねるのを感じながら、それでも家を出てまだ2日。事務的な連絡なら別居に触れずに話ができるかもしれない。

そう判断して電話に出ると、慌てたような間があり「ダスキンモップの交換が来てて…」と夫のうわずった声が聞こえた。

集金に来ているなら2,000円の使用料を支払い、今後必要ないならストップするように伝える。

「必要ないっていうのは…」と言い淀んでいるが、これは彼なりの質問だ。私にどこで何をしているのかを聞いているつもりだろう。あらゆる意図を私が汲んで現状を説明し、解決に向けた指示がもらえることを期待している。

けれど私はもう、その役割から降りることを決めたのだ。「それじゃあ」と言って通話を切った。賭けてもいい。夫はかけ直して来ない。

バッグにスマホを放り込んで、私はショッピングモールへ向かった。店内放送が聞こえるような場所で電話がかかってこなくてよかった、と思った。暴力やハラスメントを受けたことは一度もないが、居場所を知られたくはなかった。

夫と話をすることは怖くない。魂が吸い取られるような徒労感が嫌いだった。これまで夫にぶつけてきたすべての訴えがムダに終わったことを思い出しながら、そこにエネルギーをかけることを全力で拒否する自分を感じていた。今の私には新しい生活のためのエネルギーが必要なのだ。

アウトドアショップは入口のすぐ近くにあった。テーブルに置いてあるランタンを見ながら「照明も買おう」と決める。ストーブに似合いそうなやかんをひとつとろうそく式のランタンを買い、店を後にした。

1階にはインテリアや生活雑貨を扱う店舗が入っていて、アウトドアショップを出るとすぐにフランフランが目に入った。シーリングライトと小ぶりなフライパン、そして中型と小型の鍋を買い、やかんと一緒に車に積んだ。ル・クルーゼにも惹かれたが、あの家で誰かのためにじっくりと料理をするイメージが持てない。

使いやすそうでかつ品のよい食器も買い足し、アウトレットモールを後にした。後は飲み物と食べるものを買えば、あの家は機能を果たす。古いながらに冷蔵庫と電子レンジを置いて行ってくれた先人に感謝しつつ、水とワイン、そしてビール、肉と野菜とチーズを買い、パンパンになった車で私は舞島へ戻った。

橋はライトアップされて七色に光っていた。毎時0分から5分間だけ七色になるライトを横目に、「幸先いいねぇ!」とひとり言を言いながらハンドルを握る。今日から私は、人生において2度目の舞島の住人なのだ。

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