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酒と泪と男と女

何やかやとあり、かなり久々の更新となります。ご無沙汰しております、酔いどれモリスです。ステイホームを強いられるうちにすっかり夏ですね…現在は外に比べると天国のような喫茶ルノワールで筆を執っています。アイスティーもいいですが、早くお酒が飲みたい。

さて、皆さんはこのタイトルに聞き覚えはありますか?河島英五さんの往年の名曲であり、うちの父親の十八番である「酒と泪と男と女」。今80年代のヒット曲プレイリストを流していたら、ちょうどタイムリーに流れてきたのがこの一曲でした。

男が憧れる男の格好良さや渋さを体現したような曲で「飲んで飲んで飲まれて飲んで飲んで飲み疲れて眠るまで飲んで」というフレーズが印象的な一曲です。一方、当時の女性の理想像を象徴するような一節もありまして、「泣いて泣いて泣いてひとり泣いて泣いて泣きつかれて眠るまで泣いて」…いやいやいや女だって飲みながら泣きわめきたい時だってあるわ!!

そりゃあ、人に迷惑かけずにひとり涙で枕を濡らす奥ゆかしい女性はそそられるでしょうが、男だけ飲みまくって荒れるおいたを許してくれと?とんだご都合主義の歌だなとつい最近思ったわけですね。ただ、決して誤解していただきたくないのは、この曲自体のことをディスっているわけではなくて、私自身も好きなんです。男臭くて、不器用で愛おしい。うちの父そのものだなと思いましたし、父親は父親である前に男という生き物なんだなと実感するきっかけにもなりました。

とまあ、つらつらと語ってきたわけなのですが、本日私が何についてお話したいかというと、『お酒』について。10年近くお酒をいろんな人と酌み交わし、またひとりで飲んできて感じてきたことを書いていきたいと思います。

“酒に飲まれる”とはどういう状態か

皆さんはお酒に飲まれたことはありますか?恥ずかしながら私は幾度となくあります。酒好きが災いして、飲みすぎて断片的に記憶がなくなったことは少なくありません。基本的に理性が完全にログアウトすることはなく自分でもろもろの後処理ができること、驚異的な帰巣本能で無事に家に帰り着く仕様になっていることだけが救いです。

基本的には飲むものであるお酒ですが、花金の街に溢れている正体をなくした酔っ払いたちを思い浮かべていただけたら、“飲まれた”人たちがどんな状態であるかをおわかりいただけるでしょう。

道端で寝てしまう人、呂律の回らない状態で熱心に一緒にいる人に絡む人、感情の制御ができずに泣き出したり怒り出したりする人。こういう人たちと一緒に飲んでいた場合、当事者たちは非常に苦労するし迷惑するわけですが、所謂他者に見せたい状態の自分をなくしてブレーキやタガが外れた、本能をむきだしている人間の姿を見る機会というのはとても興味深いものです。私はお酒に飲まれた人を介抱する機会が多かったので、意図的に楽しむというか、人間観察の機械としている部分もありました。

もし酒に飲まれている人が幽体離脱して自分の有様を俯瞰で見れたとしたら、あまりのみっともなさにたちまち酔いが覚めてシャッキリとするのではないではないでしょうか。ただ、それは余りにも不憫なので、すべてを忘れゆっくりお眠りなさいという聖母のような気持ちで今後も見守り続けたいと思っています。

なぜ人は酒を飲むのか?

付き合いや仕事関係の飲みなど、義務的な飲みを別にして基本的にお酒を飲むという行為は快感情に結びつくものです。(お酒が体質的に飲めない人は別として)

ストレスを解消したい、気持ちよくなりたい、楽しくなりたい、すべてを忘れたいとか。お酒を飲む理由にはそのようなものが挙げられるのではないでしょうか。

一部の意識が高い系の方たちは「時間の無駄だ」とお酒に走ることを良しとしないでしょうが、そんなものはくそくらえです。その時間の価値を決めるのはその人自身ですし、明日生きるための安寧や活力を得ようとしている人を止める権利は誰にもありません。

無論、依存してしまったり、身体を壊すほど飲んでしまうこと流石におすすめ出来ません。そうならない限り、お酒を適宜楽しむというのは、このストレス社会を上手く生き抜くための方法の一つではないかなと思います。

お酒は人と人との関係性を深める潤滑油

普段から他者への自己開示にまったく抵抗がない人には当てはまらないと思いますが、大抵の人はごく一部の親しい家族や友人にしか自分の本音のところは見せないもの。その相手に対して特に興味がなければもちろん距離を詰めたり自分を知ってもらう必要もありませんが、相手と親密になりたい場合には世間話だけでなく、ごくプライベートな深い話をする機会が重要となってきます。

そんなときにごく自然に自己開示をしやすくしてくれるツールの一つが“お酒”。お酒が進めば進むほどに、理性や体裁という名のATフィールドがどんどん解除され、お互いの表面だけでなく深部にせまる話をすることが違和感なくできるようになるもの。これは恋愛関係においてもそうですし、友人関係にも有効で、「この人とは仲良くなりたいな」と思ったときは、ただご飯に行くのではなく、飲みという形をとるのが個人的にはおすすめです。お酒が、双方の精神的な甲冑をはぎ取ってくれるので、親密さを深める意味では究極のショートカットともいえるかもしれません。

基本的にコミュ障な私なのですが、この人と仲良くなりたいなと思ったときは即座にサシ飲みに誘う瞬発力だけはあり、その直感に裏切られたことはほぼありません。自分からアプローチをかけた人たちとは十中八九最初のサシ飲みで打ち解け、家族の話、恋愛の話、今までの人生・これからの人生の話、はたまたトラウマの話まで様々な話をしてきました。今でも定期的に飲みに行き語り合える仲で有難い限りです。

現在あいにくのコロナ渦なので、「みんなもサシ飲み行って交流深めちゃいなYO!」と易々と言うことはできませんが、皆さんもお酒をより関係を深めるための潤滑油として、適宜活用してみてくださいね。

他者だけでなく、自分と向き合うためにも飲酒は効果的

サシ飲みのメリットについて前述しましたが、実はお酒は自分との対話をする際にとてもおすすめ。かくいう私の趣味の一つに大衆居酒屋のカウンターや立ち飲み居酒屋での一人飲みあるのですが、黒ホッピーを飲みつつなめろうなんかをつまみながら、ひたすら自分と向き合ってます。(新種のドМ

個人的な感覚ですがお酒は思考の深堀りに有効で、普段は理性をはじめとする余計なものがストッパーとなって潜れないところまで達することができます。一方、たまに向き合いすぎて(飲みすぎてともいう)自分に絶望して死にたくなる時もありますが、そんないくつもの夜を超えて今の自分があります。今の自分が果たしていいかどうかはさておき、新しい自分を発見できることもしばしば。

環境や自分の心境が変われば周りにいる他者は変わっていきますが、どうあっても別れることができないのが自分自身。ただがむしゃらに生きていると二の次になりがちですが、一生付き合っていかざるをえない自分の声に耳を傾ける時間も必要です。正直、他者よりも自分に向き合うことの方が難しいいのは言うまでもないのですが、たまには“自分とは何か”という生涯のトピックに一人杯を傾けつつ向き合う時間を持ってみては?

お酒は飲んでも飲まれるな!!

「あれ?標語かな?」となった方、正しい反応です。半ば自分に言い聞かせつつ改めて皆様にもお伝えしておきます。お酒はあくまで飲むものであって、お酒に飲まれては元も子もありません。

他者に相対するときもそうですし、自分と相対するときも、我を失うほどの深酒はおすすめしません。もちろん、たまにすべてを忘れたい夜だってあると思うので、せめてそういう時だけにしましょう。そういう時にブレーキをかけるのはかえって精神衛生上悪いので、そういう夜くらいは飲み散らかしたっていいんです。

ただ、10年ほど幾多のハードな飲みを経てきて、自分の内臓と精神をいじめ抜いてきた私から言えるのは、とどのつまり「お酒は楽しく適量で」ということ。お酒の広告に書いてあることは100%正しいのです。

長引くコロナ渦でストレスがたまっていることもあるのか、むしろコロナ前より飲酒量が増えたという人も多いのではないでしょうか?実際、うちのマンションの空き缶収集かごがお酒の空き缶でパンパンで収まりきらないのを見ても実感しています。

自宅で飲むと感覚も麻痺しがちですが、飲めば飲む分だけ身体に負荷がかかることに変わりはありません。お互い酒量には気を付けつつ、より長く飲兵衛ライフを楽しめるように気を付けましょう!

さて、気を付けましょうと言った直後ではありますが、私はそろそろ馴染みの居酒屋のカウンターを目指すとしますw

皆様、どうぞ素敵な週末を。



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