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なんなら、手すりくらいなら 〜いろいろ離れた親に差し伸べる手


今回は、自分と同じくらいの、親の介護ど真ん中の皆様の目線で書いてみる。



自分の年齢も、半世紀を過ぎてしばし経つ。そんな歳になり友人などの話を聞くと、親子関係はどこもいろいろあって、それぞれが一筋縄で行かないなあ、という話をよく聞くお年頃になってきた。

介護の問題は家族の問題だ、と喝破した方の話を以前書いたと思う。家族間のそれまでのあれこれが、様々な場面で合理的な判断をすることを妨げる。それは致し方ないことだ。
変わらない親に愛想を尽かしたり、この歳になるまで甘えすぎて関係が壊れたり、いろいろなかたちを見ると、それは距離を置くのが全ての人の暮らしのために最適解だね、と言わざるを得ないことも多々ある。


だが、そうなると親の老化にまつわる様々は、親が自力で対応することになり、関係が壊れた親子の場合、親のそれは問題が煮詰まり、第三者が関わることでしか発覚しなくなる。

親に、のたれ死んでほしい、と望むような関係なら、話はここで終わり。それも親子の歴史だ


でも、そうとも言い切れないが、自分の身を守るためには距離を取らなければならない、そんな関係であるならば。

誰かから、なんらかのサインが届いた時に、他人の助けを借りて、何に困っているかを確認し、それが生活動作に関連するものなら、住宅改修でも、福祉用具でも手すりを入れたり、段差を和らげたりする工事を、介護保険を使って行うこと、それのみには関わることを勧めたい。


なぜなら、この話はシンプルに、今の動作の話だけにできるからだ。お互いに対して要求するものはない。したくなるかもだが、ぐっとそれを飲み込み、生活動作の困りごとだけを見る。


そして、親がよく動けず困っている部位に手すりをつけ、その動きを改善したり、転倒事故を起こす確率を少し、減らすことができる。

あなたは、介護に駆けつける代わりに、手すりに自分の手の代わりをさせるイメージである。


この年になっていよいよ煮詰まった関係を、いまさら劇的に改善しようとは思いたくないだろうし、思わなくていい。自分たちの暮らしが最優先、それは絶対でいい。

でもその棒があれば、現実に差し伸べるにはためらわれるあなたの手の、代わりを果たす。少なくとも、そこに行き、むやみに時間を奪われずに済む。

綺麗事は言わない。
だが、親がこの世からいなくなったとき、すこしくらいは自分にもできることがあったとか、文句言いながらもトイレは頑張って最後までやってたみたいだな、とか、気休め程度かもしれないが、あなたに救いのような感情をもたらしてくれるのでは、とも思うのだ。


本日で100日連続投稿になる。昨日、コメントに実家の環境整備をしてみます!というお話をいただいて、ありがたく思った。そういう風に、してもらえたらいいなと思って書いてきたからだ。
そして、どちらかというと、親世代に向けてでなく、実は自分世代に向けて書いているのだなあ、ということも認識した。


手すりなどをどこにつけるかのざっくりした理論や、

こじれにこじれた親子関係へのアプローチに使えそうな思考やら

そういった話も、いくつか取り上げてきたので、参考にしていただければ幸い。


今後はしばらく、投稿ペースゆるめて週一くらいにする予定ですが、一日一回は目を通しますので、お読みいただいている皆様におかれましては、なんらかの気づきなどを、こちらのコメントまで残していただければ幸いです。




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てすり屋のひとりごと 橋本 洋一郎(合同会社 湘南改造家)
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