某日のブログから 2015年 分かりやすいことが理解を妨げている

某日のブログから

あるところで、一般公開していないブログを書いています。週一くらいの更新です。今年度も引き続き書いています。ある日の記事を再掲していきます。

分かりやすいことが理解を妨げている

今週は埼玉県にいます。月曜日と火曜日はさいたま市で課長補佐研修、水曜日は平塚市で課長補佐研修、木曜日と金曜日は彩の国さいたまで課長補佐研修です。今週は偶然、課長補佐研修が続いています。

行政組織において、課長補佐の役割は年々重要になってきていると感じています。以前に比べ、課長は外部のことに目を向ける機会が多くなり、議会対応なども増えてきています。課内に目を向ける時間が少なくなってきているように見受けられます。これはどの自治体でも同じです。

課長は外部に目を向け、課長補佐は課内の運営や管理を行うようになってきています。課長補佐の役割は、組織によっては、明確になっていない場合も多いようです。課長補佐は具体的に何をしたらよいのか、という疑問がよくあがります。課長補佐の「補佐」とは、何の補佐なのか。

課長補佐の「補佐」は、課長の「補佐」です。係長の「補佐」ではありません。ここを誤解している方が多いようです。やることが分からないので、係長の補佐になっていた、ということもよく聞きます。課長補佐は、課長の仕事を補佐するわけですから、課長のマネジメントをまず学ぶ必要があります。

補佐するためには、課長が行っている仕事を理解し、自分が補佐できるようにするためには、課長の仕事ができなければなりません。それが補佐の役割です。研修ではこのようなことをお伝えしていきます。

今週は大人数の研修が続きます。60人以上、100人近くの時もあります。どんなに人数が増えても、一方通行の研修は行いません。また、どんなに短い時間の研修でも、一方通行にはしません。講演形式でも、必ず話し合う時間を設けます。たとえ1分でも2分でも、隣近所の方とでも、必ず話し合っていただきます。

分かりやすく説明することも大切ですが、時には難しいことでも、自分の頭で考えていただくことも必要と思います。分かりやすさが大事なこと、分かりやすいことが重要だと、とにかく分かりやすさが、もてはやされる風潮があります。しかし本当に分かりやすいことが大事なのでしょうか。分かりやすいことが、かえって理解を妨げているのではないでしょうか。

時には分からないことについて、自分たちの頭で考えることが大事なのではないかと思います。

NPO活動の推進者として、ボランティアの活動家として有名だった故加藤哲夫氏は、『市民のマネジメント ― 市民の仕事術〈2〉』(仙台文庫、2011年)の中で以下のように書いています。

「誰にでもわかるように」などと、やさしさばかりがもてはやされる世の中だが、それは逆に、わからないことを蓄積していくと突然わかるという学びの体験から人々を遠ざけている。表現がわかりやすいということは、わかった気になりやすいということである。わかった気になると問いが出てこない。そして問いのないところに学びはない。わからないところにこそ、自分では見えない水準のものやコトが存在しているのだ。従って、グループ活動の中でも講座でも、簡単にわかりあうのではなく、わからないことを互いに納得するまでしつこく問い合う習慣を身につけることが、そのグループの力量形成にとって重要である。仲良しごっこからは力は生まれない。
加藤哲夫『市民のマネジメント』

私も研修では、言葉の定義を大切にしています。私たちは同じ言葉を使っていても、異なる意味で使っていることも多いのではないでしょうか。異なる意味で使っているのに、お互いに分かりあった気になります。分かり合えないときには、それを単純に、コミュニケーションの問題として片づけてしまいます。

言葉の意味も含めて、納得いくまで問い合う、話し合う習慣が必要です。安易に分かりやすさを求めるのではなく、時には普段使っている言葉も、深く考えてみることが必要なのではないでしょうか。私は、この部分を大切にして研修を行っています。

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