某日のブログから 2015年 「何が正しいか」を考えなければならない

某日のブログから

あるところで、一般公開していないブログを書いていました。週一くらいの更新です。昨年度のブログの中から、ある日の記事を再掲していきます。

「何が正しいか」を考えなければならない

今週は、月曜日は稚内市でOJT指導者研修、火曜日も稚内市でコンプライアンスと公務員倫理研修、水曜日は稚内から仙台に移動し、木曜日は仙台で福祉施設の方々へ向けて危機管理研修、金曜日は高校の副校長へ向けてのワークショップ、土曜日は某企業での問題解決の実践です。

最近、コンプライアンスや危機管理の研修が増えてきているように感じます。問題解決や改善研修も同様です。さまざまな危機や問題、改善点が組織の中にあるからでしょうか。

問題解決の方法はさまざまあります。問題を分析し原因を探り、原因を取り除く方法、あるべき姿を創造し、あるべき姿に向かってアクションプランを考えて行く方法、アイデアを出し合い、さまざまな方向から解決策を考えて行く方法などです。

どのような方法をとっても、問題に対するとらえ方が重要となります。

問題を正しくとらえることなく解決策を考えることほど、大きな弊害はありません。誤った問題に対する正しい回答ほど、手におえないものはありません。

かといって、問題を過大評価することも避けなくてはなりません。人は無意識に何もしなくても良い理由を探しています。そして、無難な方法として、現状維持を選んでしまう傾向にあります。現状維持を選べば、そんなに努力を払わなくてすむからです。現状を変える際に払う労力やコストを、必要以上に過大に見積もらないようにすることが重要です。

問題を解決する際には、意思決定が必要です。誤った意思決定をしてしまうと、失敗するだけではなく、取り返しのつかない事態を生んでしまうこともあります。意思決定のプロセスや、意思決定の方法、意思決定の原則などを知っておく必要があります。

管理監督職を対象にした意思決定の研修を行うことがあります。意思決定の重要性、意思決定の方法を、ケースを使って学んでいく研修です。さまざまな文書、通達などを、緊急性と重要性の軸で整理していきます。インバスケットの手法です。

グループ毎に回答が異なります。回答が異なるのは構わないのですが、意思決定に矛盾や齟齬があってはなりません。同じような案件は、同じように処理されていなくてはなりません。

一見異なるように見える案件も、よく考えると、同じ処理の仕方で問題ない場合もあります。同じ案件を異なった方法で処理してしまうことに問題があります。

原理原則、方針、基本による処理が必要です。

真に例外的な問題を除き、あらゆるケースが基本にもとづく解決策を必要とする。原則、方針、基本による解決が必要となる。一度、正しい基本を得るならば、同じ状況から発する問題はすべて実務的に処理できる。圧倒的に多く見られる間違いは、一般的な問題を例外的な問題の連続として見ることである。一般的な問題としての理解を欠き、解決についての基本を欠くために、その場しのぎで処理する。結果は常に、失敗と不毛である。
P.F.ドラッカー『経営者の条件』

問題のとらえ方を誤ってしまうと、誤った意思決定をすることになります。誤った意思決定は、組織を誤った方向に向けてしまいます。正しい意思決定をしなければなりません。

意思決定について、ドラッカーは以下のように言っています。

決定においては「何が正しいか」を考えなければならない。やがては妥協が必要になるからこそ、最初から、「誰が正しいか」、「何が受け入れられやすいか」という観点からスタートしてはならない。「満たすべき必要条件を満足させる上で何が正しいか」を知らなければ、正しい妥協と間違った妥協を見分けることはできない。その結果、間違った妥協をする。
P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』

そして、妥協について、こう続けます。

妥協には二つの種類がある。ひとつは古い諺の「半切れのパンでも、ないよりはまし」、ひとつは、ソロモンの裁きの「半分の赤ん坊は、いないより悪い」という認識に基づく。前者では、半分は必要条件を満足させる。パンの目的は食用であり、半切れのパンは食用となる。しかし、半分の赤ん坊は必要条件を満足しない。半分の赤ん坊は、命あるものとしての子供の半分ではなく、二つに分けられた赤ん坊の死骸である。
P.F.ドラッカー『プロフェッショナルの条件』

「誰が正しいか」、「何が受け入れられやすいか」ではなく、「何が正しいか」を常に考えていくことが大切です。

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