多田洋一
VOL.12寄稿者&作品紹介34 荻原魚雷さん
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VOL.12寄稿者&作品紹介34 荻原魚雷さん

多田洋一

SNSとは縁のなさそうな生活を送っている荻原魚雷さんですが、それでも新しい掲載号が出るたびに公式ブログ「文壇高円寺」になにか書いてくださっていて、今号では「化物」と題した4月3日の一文を拝読しました。今回の寄稿作「将棋とわたし」について“「創作」と「実話」の部分が半々の構成”とタネ明かしをしたうえでの、「実話」と「創作」に関する考察が非常におもしろいので、ぜひアクセスしてみてください。なるほどなぁ...テレビなんかで「この人いつも同じことばかり言ってる」と感じながらもそれがおもしろくてつい見ちゃう人ってときどきいるんですが、荻原さんの言葉を拝借すると「あくが抜ける」ということもあるのか! そうするとそこで語られていることは鰘とくさやのように(こっちはあくも臭みも増すけどw)別物になる、と。逆に考えると「実話」というあくが抜けていない「創作のふりしたもの」ってのもありそうで、両者の境界線は、じつは曖昧なのだと気づきました。あっ、それから今回の荻原さんの作品を意外なかたが読んでいたこと、ここで紹介したいです。〈車谷長吉「忌中」は葉書で交互に一手、送りながら将棋を指す男が主人公の物語だが、荻原魚雷は20代の頃、バイトで羽生vs森内の対局の会場から大盤解説の会場にFAXで一手一手送る。それを機に将棋を再開し、ニンテンドー64と「最強羽生将棋」を買い…「将棋とわたし」(witchenkare vol.12)がいい〉と書いてくださったのは、urbanseaさん。じつは今号、「えっ、読んでくださってたんですか!」なこと、少なくないんです。

将棋...私は非常に弱いです。駒の動かしかたを知ってるだけ、としか言えないくらい弱い。相手の王将をとろうと思ってぐんぐん前に出るとすぐに防戦一方になってコロッとやられちゃうので、悔しいので今世紀になって一度もやってないと思う。麻雀のほうがもうちょっと勝負になるけれども、こちらも「自分の上がりたい役」めがけてズンズン切っていくだけなので、東南のどこかで致命的な振り込みをして勝てない。荻原さん、作中でアマチュア四級と仰っていますが、少なくともそれがどのくらいのレベルなのかくらいわからないと私、藤井聡太さんのニュースは永遠に「なにを食べた」しかわからんよな〜、恥。

作品の後半では羽生善治さんのすごさについて触れていますが、それがご自身の生活に反映されていく展開が...おっと、これ以上はぜひ小誌を手に取ってお確かめください! って、この紹介文をFacebookやインスタグラムやnoteにアップしても、荻原さんファンの目に触れるものなのかはなはだ不確定ですが、みなさま、どうぞ何卒よろしくお願い申し上げます。

 バイト先の新聞社は将棋のタイトル戦を主催していて、ひまそうなわたしは大盤解説会の会場(たしか三ヶ所)に棋譜をFAXで送る係を任命された(夜七時以降)。対局が終わるまでは帰れないが、どちらかが一手指すまで何もすることがない。バイト代は一対局(二日制)あたり八千円だったか。
 このときの対局は羽生善治さんと森内俊之さん、二人が二十五歳のときの名人戦である。一九九五年から九六年にかけて、羽生さんは史上初の七冠をかけて戦っていた。いわゆる〝羽生フィーバー〟のころである。棋譜をFAXで送るだけの仕事とはいえ、そんな時期の棋界の雰囲気を味わうことができたのは幸運だった。

〜ウィッチンケア第12号〈将棋とわたし〉(P192〜P195)より引用〜

荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品:〈わたしがアナキストだったころ〉(第8号)/〈終の住処の話〉(第9号)/〈上京三十年〉(第10号)/〈古書半生記〉((第11号)

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多田洋一
文芸創作誌「Witchenkare」(ウィッチンケア)発行人。東京都町田市在住。 フリーランスのライター/エディター。