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VOL.13寄稿者&作品紹介01 荻原魚雷さん

ウィッチンケア第8号からの寄稿者・荻原魚雷さん。ツイッターやインスタグラムなどのSNSとは距離を置いていますが、ご自身のブログ「文壇高円寺」は2006年8月からずっと続いていて、今号への寄稿作についても、2023年3月26日の記事で触れています。私が荻原さんのブログを拝見するようになったのは...たぶん、2010年よりちょっと前くらいじゃないかな。そのころからデザインも変わらず、生活雑感を日記的に綴っていて、いまでは訪れるとある種の風格すら醸し出しているような佇まい。「アルファブロガー」とか「インフルエンサー」とかいうのとは無縁のマイペースぶりがご著書の内容とも通底していて、ぶれないなあ、と感服です。


荻原さんの今号への寄稿作「社会恐怖症」は、人間関係や会話の綾についての、自身の体験談も交えての考察エッセイ。誰にでも心当たりがありそうなことを、サラリとした筆致ながら、かなりきわどく分析した箇所もあってハラハラします。作中で印象的だったのは、荻原さんが30歳前後で飲み屋通いをしていたころの自分を「自分の趣味、専門分野に関する語彙はあっても、いわゆる不特定多数の人と世間話をするための言葉が不足していたのだろう」と述懐する一文。それで、飲み屋では会話が成立しなければ黙っているし、深夜になって自分の頭の調子が良くなると「人としゃべることが苦にならなくなる」...ちょっと羨ましかったです。私の若いころは、その反対だったな、と。沈黙が恐くて興味のないことに饒舌になって、一人人知れず、どどっと疲れたり。

むかし、それほど付き合いのあるわけでもない知人と一晩飲むことがあったさいに、ごく軽い音楽話(お天気の話みたいな感じで)を振ってみました。「○○さん、好きなギタリストって誰ですか?」。相手はニコニコして「そうだな、ジャンゴ・ラインハルトかな」と。うっ...これはまずいことを訊いてしまった。オレ、そもそもジャンゴって、名前しか聞いたことないし。そのときは「○○さん、なんでそんなかっこいいこと言えるんですか?」みたいな変化球を返して事なきを得たのですが...ええと、なんでこんなことを思い出したかというと、以下の引用で荻原さんが使っている《危険牌》という言葉の意味が、実感として理解できたからです。


 こちらが知っていることを相手が知らず、相手の知っていることをこちらが知らない。また相手の知らないことを伝えようとする熱意もなければ、こちらも興味のないことを理解しようという気持もなかった。これでは会話が成立しなくて当然である。
 人付き合いはむずかしい。今、話しかけていいのか、それとも話しかけないほうがいいのか。考えれば考えるほどわからなくなる。しゃべらなくていいところで急に饒舌になってしまうこともある。
 人によって距離感がちがう。昔の自分はそういうことがまったくわからなかった。同じようなことをいっても平気な人、怒る人、傷つく人がいるとか、対人用のデータが増えていくにつれ、人間にたいする苦手意識も軽減した。
 麻雀で危険牌が通るか通らないかみたいな勘と近いかもしれない。ちがうかもしれない。

〜ウィッチンケア第13号掲載「社会恐怖症」より引用〜


荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品:〈わたしがアナキストだったころ〉(第8号)/〈終の住処の話〉(第9号)/〈上京三十年〉(第10号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈古書半生記〉((第11号)/〈将棋とわたし〉(第12号)
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