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VOL.13寄稿者&作品紹介26 仲俣暁生さん

ウィッチンケア第13号が正式発行となった2023年4月1日の翌日、仲俣暁生さんは美学校での〈【オープン講座】『ビートルズ 創造の多面体』刊行記念トーク〉に登壇していまして、私はアマゾンでの売り上げ順位などを気にしつつ、けっきょく最初から最後までオンライン参加してしまいました。予定では〈13:00〜17:00 ※延長の可能性あり〉とされていて、きっと延長になるだろうなと思っていたら...NHK大河「どうする家康」が始まる直前まで。音楽話はいいなぁ、とあらためて思いました。同時に、ビートルズは恵まれている、とも。みんなで話せてその内容もある程度、それなりの多数にもわかるから。そのむかし取材した時代小説研究者が「ほんとうは○○○○が好きなんだけど司馬遼太郎のときしか呼ばれない」とボヤいていたのを思い出したりして。

そんな仲俣さんの今号への寄稿作は「ホワイト・アルバム」。後期ビートルズの、「これが一番」という人も少なからずいるものの、まあ、まとまりの悪いアナログ盤2枚組のアルバム名(通称)ですが...しかし本作の内容は、仲俣さんの個人的な音楽クロニクル。ご自身にとっての音楽体験、音楽感を象徴するものとして、あの真っ白なジャケットの1作をタイトルにしたのだと推察します。ちなみに私も持っていまして、通しNO.はA088827、どれか1曲と言われたら「Dear Prudence」。

作中、仲俣さんはかなり率直に音楽の好み、もっとはっきり言っちゃうと「好き嫌い」を明言していて、その中には私の好きなグループが「大嫌い」と書かれていたり、その逆もあったり。いや〜、久々にスッキリした音楽話(テキスト)が聞けて(読めて)気分爽快でした。近頃は「いいとこを褒め合う」みたいなのがお利口なコミュニケーション術みたいですが、べつに「好き」「嫌い」を表明した後にだって、相手と楽しく音楽話、できるもの。むしろ、同じ○○○を好きな人と話をしていて、その「好きになりかたの違い」に自分が先に気づいた場合のほうがたいへんだし、それこそ高度なコミュニケーション・スキルが必要になったりして...。

 ビートルズの話をいちばん長く、深くすることができた友だちは、二十歳の頃に同じ編プロでアルバイトをしていた、二歳年長の文学青年Nくんだ。彼は法政の学生で、人生についていろんなことを知っていた。きつい仕事の後(まさにハード・デイズ・ナイト!)に飲む酒もいろいろ教わったし、ガールフレンドと同棲していた成増のアパートにもよくお邪魔をした。
 ソロ活動以後のジョン・レノンの凄さをようやく理解しはじめたのがこの頃で、彼と付き合いがあった数年間は毎年、12月8日には『ジョンの魂』を聴く習慣ができた。私にとってのジョン・レノン至上主義時代のはじまりだった。
 同じ頃、高校時代にはそれほどつきあいのなかった同級生のキムラと卒業後に急速に親しくなり、一緒にバンドをすることになった。私は相変わらずギターが下手だったのですぐにクビになったが、「ヤー・ブルース」なんかをやったと思う。そうそう、たぶんそのために台湾製の安いエピフォン・カジノを買ったのだった。

〜ウィッチンケア第13号掲載「ホワイト・アルバム」より引用〜

仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品:〈父という謎〉(第3号)/〈国破れて〉(第4号)/〈ダイアリーとライブラリーのあいだに〉(第5号)/〈1985年のセンチメンタルジャーニー〉(第6号)/〈夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記〉(第7号)/〈忘れてしまっていたこと〉(第8号)/〈大切な本はいつも、家の外にあった〉(第9号& note版《ウィッチンケア文庫》)/〈最も孤独な長距離走者──橋本治さんへの私的追悼文〉(第10号)/〈テキストにタイムスタンプを押す〉(第11号)/〈青猫〉(第12号)


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