寄稿者&作品紹介32矢野利裕さん
矢野利裕さんとも〝リアル〟ではだいぶご無沙汰しておりまして...そうか、小誌前号での寄稿者&作品紹介で「明日(5/26)の夕方4時から〜」と記した「文化系トークラジオLife トークイベント 武蔵野レアグルーヴ ~いま、〝武蔵野〟を再発見する~」でお目にかかって以来なのか。それでもネット経由で矢野さんのお話を伺ったり、文章に触れる機会は少なくなく、たとえばごく最近だと、今月8日に配信された荒木優太さん、仲俣暁生さんとの鼎談「文芸誌と文芸批評のゆくえ――新人小説月評における削除をきっかけに」だったり、あるいは音楽評論家の柳樂光隆さんや高橋健太郎さんと、Twitterで1980年初頭の「ブリット・ファンク」についてつぶやき合っているのを拝見してたりして(当時貸しレコード屋でバイトしてたので、FreeezとかLevel 42とかがよく稼働していたけれど、なんとなく〝いわゆるフュージョン〟とごっちゃにされてた印象だったので、あれは違うムーヴメントだったよなぁ、と納得したり)。
矢野さんの小誌今号への寄稿作〈資本主義リアリズムとコロナ禍の教育〉は教育現場の実感として、近年の学生/生徒の生活・行動様式の傾向、それに対する学校(教師)の役割などについて論じたものです。4部構成で、[3]以降ではICT教育、コロナ禍による教育環境の変化についても考察。拝読致しまして、〝外野〟から雑な感想を差し挟むのは失礼だと思いつつも、しかし学内で日々「ワイヤレス・イヤフォンとスマホ」を身につけた若者とコミュニケートするのって、ホントにたいへんそう──私が町で見かける(だけの)最近の若者って、総じてこざっぱりしてて物腰柔らかくて、って印象なんですけれども──だな、と。「いずれ優秀な人材となりうるとともに現時点ではすぐれた消費者である、という「個性」のありかたを認めつつ、同時に〈規範意識〉を教えなくてはならない」という[2]の最後にある一節に、いまの教育の難しさを感じとりました。しかも〈規範意識〉のほうも社会の変化とともに揺らぎ続けている、のか...。
「自分の授業においてオンライン授業が順調だったのは、ひとえに、生徒の学力と文化資本が比較的高いからだと考えられる」という、コロナ禍での教育の当事者・矢野さんの言葉が印象的でした。こういう、謙虚かつ包括的に状況を判断してくれる先生の教え子は幸せだなぁ、と。作中には矢野さんがオンラインと併行しておこなった「オフラインでの働きかけ」についても語られています。みなさま、ぜひ小誌を手にとって全容をお確かめください!
このように考えると、教員であるわたしたちが目の当たりにしている光景が、いかに新自由主義以降のものであるか。それは教員側だけでなく、スマホでつねにサービスの消費者として生きている生徒たちにおいても同様だ。だとすれば、登下校における教員と生徒のやりとりひとつとっても、そこにいかにグローバル資本主義が食い込んでいることか。このような状況下においては、教育の崇高な理念を掲げて、資本主義と無縁な領域を想定するのも、正直なかなか難しい。
〜ウィッチンケア第11号〈資本主義リアリズムとコロナ禍の教育〉(P196〜P205)より引用〜
矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品:〈詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)〉(第7号)/〈先生するからだ論〉(第8号)/〈学校ポップスの誕生──アンジェラ・アキ以後を生きるわたしたち〉(第9号)/〈本当に分からなかったです。──発達障害と国語教育をめぐって〉(第10号)
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