かりんとうと虚無

かりんとうが好きだ。黒糖のも、白砂糖のも好きだ。コストに対するカロリーも高い。100円で600kcal前後である。コンビニで手に入る食品の中ではトップクラスのカロリー・コスト・レシオを誇っている。

カロリー・コスト・レシオは1円あたりのカロリー量であり、私はお菓子や菓子パンを購入する際、これが「5」以下の食品は決して買わないようにしている。これはなかなか厳しい基準であり、一般にハイカロリーと見なされるドーナツの類いであっても、クリアできるのは半数に満たない印象だ。私がどれだけストイックにカロリーを追求しているか、わかっていただけると思う。

しかし、私はつねに、かりんとうに対してアンビバレントな思いを抱え続けている。かりんとうは大好きだし、コスパもいい。しかし、実際に購入するのは「とっておきのタイミング」に絞っているのである。

理由は簡単だ。食べ過ぎてしまうからである。脂と糖で脳みそがバグり、「あと一本」が無限に繰り延べられていく「えびせん現象」に毎度悩まされてしまうのだ。結果、ほかの菓子に比べて異様に消費が早い。10分ほどで1袋がなくなっていたりする。なんか損した気分になり、罪悪感に苛まれたりもする。10分で100円を消費するのは、私の経済感覚からすればとてつもない贅沢である。

「あと一本……いやもう一本……」と繰り返しながら、私は自分が一生金持ちにはなれない類いの人間なのだろうな、と虚しくなる。「安く脳をバグらせる方法への依存」は、抜け出せない貧困の形式そのものだ。かりんとうは、罠なのである。ストロング系チューハイと同様、沼なのだ。

人間の脳には、どうしてこんなバグがあるのだろうか。一気にかりんとうを平らげてしまえば、血糖値が上がって頭がぼんやりし、気分も悪くなるものだと、経験からして私は知っているのである。しかし、えびせん現象を止める理性が働かない。ロゴスなどどこにもない。単なる動物である。アリストテレスに泣いて詫びるほかない。

こういう依存を引き起こす類いのバグで、人生をフイにする人がどれだけいるだろう。いやむしろ、こういうバグのせいで何かをフイにしたことのない人はいるのだろうか。なんというか、虚無である。ひとは誰しも虚無を抱えながら生きているのである。

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