ともあれ何かを書かねばならない

ライターを名乗るからには、ともかく何かを書かなければいけない。もちろん、毎日何しらの文章は書いているのだけれども、このところクライアントから原稿料をもらって書くことしかしていない。自己を表明する文章、というと素朴すぎるが、ともあれ自分の思考回路と直結した何かを残しておく必要があるわけだ。

これは別に精神衛生上の話をしているわけではなくて、フリーライターのキャリアアップ(!)を考えてみたときに、原稿料だけでは先がないという話である。1文字いくら、1記事いくら、そういう仕事は当然重要ではあるけれども、収入源をこれに限ってしまうと、おのずと限界が見えてくる。

「月に何文字書いて、何万円稼ぐ」というだけでは、企業の専属ライターをやるのと変わりがない。私は以前、ライティングのノルマを課される制作会社に勤めていたが、考え方としては「月○本以上で○万円」というわけなので、構図としてはほとんど同じなのである(フリーになり、リソースに対する収入は倍増してはいるけれども)。

文章だけでメシを食うというのはなるほど尋常ではない。芥川賞作家だって、文芸誌の原稿料だけでは知れたものだろう。単行本の印税やら、メディアミックスにおける使用料やら、そういうのがないとしんどいわけである。「1回いくら」ではなくて、書いたモノに対して(あるいは書き続けていることに対して)金が入ってくる仕組みがないと、不安定ななか現状維持を目標にすることしかできない。つらたんである。

原稿料以外でライターが稼ぐには、自身で何らかのコンテンツを発信していくよりほかはない。直接コンテンツを売ってもいいし、広告収入の形でもいい。何が正解かは知らない。ともかく、「1回いくら」以外の方法が必要なわけである。

批評的な文章にある程度自信があり、特定の思想的立場に依拠することを厭わないのであれば、たぶん稼ぐのはそう難しくない。日々フェミニズムの揚げ足を取ったりしていればいいわけである。鬱憤の源泉となっている敵対関係を見つけ、どちらかの側につき、相手を斬っていればいい。敵の落ち度を論う手練手管さえあれば、結講ガッポリいけるはずだ。

ライティングのノウハウを情報商材的に売ってみるのもいいかもしれない。世には日々、新人ライターが生まれている。先に「教える側」に回った方が、「アガリ」感がある。しかし、ニーズ的には上記の方法には遠く及ばないだろう。ノウハウもある程度決まっているだろうし、実際に「アガリ」とはいかないのだろう。

そもそも私はライティングのノウハウを信用していないし、書く技術は誰かにボコボコにされることによってしか培われないと信じているので、これはできそうにない。というかまず、定期的にコンテンツを更新することである。偉そうな口を叩いても、これができなければ何もはじまらないのだ。なので毎日何かしらを更新していくことにする。100文字でもいいから更新する。35歳を目前に控えて掲げる目標である。

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