独立国家


「阿津川さん、いますか?」
 アパートの大家が玄関の扉を叩いた。
 ドアを開けると、大家が憮然とした表情で言った。
「今月の家賃、まだなんですけど」
「大家さん、すみませんが、もう家賃は払いません」
「何ですって?」
 大家は目を見開いて、驚いた表示で言った。
「あなた、何を言ってるんですか。ここ、出てもらうことになりますよ?」
「お気づきではないかもしれませんが、先ほど、この部屋は独立国家となりました。日本の法律は適用されません」
「何ですと!」
 大家は、呆れた表情になって、しばらく黙ってしまった。阿津川はスマホの画面を出して言った。
「先ほど、このようにウェブサイトで発表しています。新国家『柔日本』、英語ではNewNippon、の誕生です。この部屋が当面の領土になります。あなたがこの部屋に侵入すると、領土侵犯となり、柔日本の法律で罰せられます」
 大家は、「あなたねぇ」と言ったまま、呆気にとられていた。

 阿津川が立ち上げた新国家、「柔日本」は、ウェブサイトの紹介によると、公用語が日本語、通貨は暫定で日本円、憲法は策定中、政権は選挙によって選ばれるが、国民が4人以下なら話し合いで、それで決着しない場合はじゃんけんで決める、とあった。なお、じゃんけんルールは「最初にグー」を頭に付加すること、という但し書きもあった。また領土は阿津川の住む「コーポ大加戸」の103号室で、今後拡張も予定、とある。

 次の日、NHKが集金に来た。
「あの、テレビを設置されているなら受信料をいただかないといけません」
 集金人は丁寧に説明した。
「ですから、ここは日本ではないのです。あなたは韓国や台湾でも電波が受かれば受信料を取りに行くのですか?」
 阿津川がそう言うと、NHK集金人は困ったな、という顔で、「また来ます」と言って引き上げた。
 さすがに阿津川も電気代、ガス代、水道代は払い続けたので、こちらとのトラブルは起きてなかった。先方も、柔日本であれ何であれ、使用料が振り込まれているうちは、特段問題にすることはなかった。

 数日後、アパートの大家がまた来て、「家賃を払ってくれ」と言ってきた。
「ですから、独立国家なんです。この部屋は。ご覧ください。通信インフラも整備されて、国家全土をカバーするWiFiで、人口カバー率100%を達成しています。道路も整備され、国土のいずれの場所へ行くにも不自由しません。災害用の通信系として、ホラ、この様に糸電話も国家予算で整備しました。ま、今のところ国民が1人なので、その必要には及びませんがね」
 阿津川が笑って言った。
「あなた、いつまでもふざけてないで。そんなに別の国だっていうなら、玄関に国境設置して、あなたがそこから出られないようにしますよ」
 大家が少し怒りモードで言った。
「ほう、それは興味深い。ついに日本も、この国の存在を認めるんですね? 今、国境を設けるとおっしゃった」
 大家は呆れて黙ってしまった。
「まぁ、あなたもいろいろご都合があるでしょうし、柔日本は周辺諸国との外交も大事にしていきたいので、そのうち、家賃という形ではなくても、外交努力でご納得いただける道を探りたいですね。良ければ、おたくの国の外交官を派遣いただいて、話し合いの場を設けてもいいですよ。あ、当然、その場合は、そちらの国の外務省が、柔日本の存在を正式に認めたことになりますので、ウェブサイトで世界に向けて報告させてもらいますけど」
 大家は、また来ます、とだけ言って、去っていった。

 柔日本の独立は、その後、思わぬ展開を見せた。サイトでの告知を見た別の都市に住む若者が、自分も柔日本に参加する、と申し出たのだ。彼は、自分の住む「ハイツ南富岡」の201号室を柔日本にしたい、と言ってきた。阿津川は即日、ハイツ南富岡の201号室を柔日本の飛び地と認定し、住人の若者を2人目の国民として認定した。
 そして、この動きは全国に広がり、その週だけで国内7か所に柔日本の領土が誕生した。さらには自分の持っている山林を柔日本にしたい、という者も現れ、いよいよ本格的になってきた。国民が5人以上となったため、オンラインで会議が開かれ、挙手による投票で、阿津川が初代大統領、全員が国会議員、裁判官は年毎に持ち回りで担当することが決められた。
 やがて、世界中の面白い話題を紹介するウェブメディアが柔日本のムーブメントを紹介し、そのサイトを見た海外のテレビ局まで取り上げるようになった。そして、柔日本の誕生から1ヶ月後、イタリアで「New Italy」が誕生したと発表する者が現れた。阿津川は即座に連絡を取り、相互を「正式な国家」として認める、という覚書を交わした。そして国際調整機関として、新国家間会議、通称CN2(Council of New Nations)を立ち上げ、国連に未加盟の国家へ参加を呼び掛けた。やがて、アメリカで、欧州で、東南アジアで、新しいモノ好きの若者、土地と資産だけ持て余して退屈している者が、独立国家誕生と、CN2への参加を表明した。

 もはや止められない動きとなった、新国家独立ブーム、当然各国政府は公式には認めておらず、それどころか公式の談話すら発表していなかった。それもそうだ。どんな形であれ、独立国の誕生を議論や検討の対象とすること自体が、その国の存在を少なからず意識し、その意図を認識している、とみなすことに繋がりかねないのだ。あくまでネット上のお遊び、というスタンスを崩す国家は無かった。

 そして、柔日本の誕生から半年経った頃、家賃滞納が続く「コーポ大加戸」の大家は、ふと思いついて、103号室の外壁に「柔日本およびCN2発祥の地」という看板を設置し、アパートの敷地内の道路側には「新国家誕生の地」という石碑を立てた。やがて柔日本やCN2のファンになっていた人々が、「聖地巡礼」と称してコーポ大加戸を訪れ、石碑などをSNSに投稿し始めた。これを見た大家は、アパートの敷地内に入る際に入場料を取ることを決め、103号室の両隣の住人が騒動で引っ越した後は、「柔日本と国境を接する部屋」として、102号室と104号室をカフェや土産屋に改修し、その壁を「日本初の国境の壁」として有料でタッチさせることにした。
 ある日、柔日本の初代大統領、阿津川が玄関から顔を出すと、たまたま居合わせた女子高生から「キャー」という悲鳴が飛び出し、それに気づいた大家が外に出てきた。
「おかげさまで、商売繁盛です。家賃は永年無料にさせてもらいますんで、どうか引っ越しだけはご勘弁を」
 と、手を揉みながら阿津川に懇願した。


*この物語はフィクションです。