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【雑文】 現代に生きる幸せ

春が近づいています。
寒いながらも、季節は順調に進んでると思います。

さて、大谷選手と水原元通訳の件は気になりますが、今回の記事を書くきっかけは、大谷選手のこれまでの活躍と、それを見て歓喜するたびに感じたことが関わっています。

私は(そしてこの記事を同時代に読んでいる諸氏は)、偶然この時代に生きています。中には未来から来た、とか、実は前世で希望を出して通った、とか、あの世もゴニョゴニョが通じるから、希望の時代があるなら覚えておくと良い、とか、そういった特殊事情の方もいるかもしれませんが、多くはランダムに生まれてきた、と思います。

幸か不幸か、効果・不効果、高価買取か否か、様々な感想や事情はあるでしょうが、やはり私は(比較対象が過去の情報しかないのですが)、幸せな時代に生きていると思います。

技術が進歩しました。ギジュツ系の私、そして皆さんにとっても、その恩恵とエクセレントなテクノロジーの社会は(それ故の困りごともあるかもしれませんが)お見事、と思うことが多いでしょう。既に幸せです。これまでの進化の過程を見てきたのも幸せです。これからの進化を見られるのも幸せです。

上記と関連しますが、テクノロジーの進歩により、自己表現(このnoteもそうでしょうが)や社会との多様な関わり方ができること、そして無料で素晴らしいコンテンツに会えること、しかも人間の持つ時間からすれば、ほぼ無尽蔵に、無制限にそれらを鑑賞したり、そこから学んだりできること。これは過去の時代と比較すると、恐ろしく幸せな時代です。

医療の進歩も、それでも治せない病気が多々あることは承知していますが、過去の時代と比較すれば、幸せなことでしょう。そしてまだ進歩する希望があることも然りです。

そして冒頭の大谷翔平選手のような、想像すらできなかった活躍をする選手がリアルに登場して、それは野球以外でもそうですが、日本人のスーパースターが続々登場して世界で活躍している姿は、本当に素晴らしく、同じ時代に生きてその活躍をリアルタイムで見られることは(結果を知らないで試合を観戦したりニュースで知ることは)、今を生きている我々だけの特権です。

既に幸せが溢れています。そうです。感じ方や価値観は人それぞれですが、やはりこれだけこの時代に生きていることは、相当恵まれているのではないかと思います。人々が悩み迷いながら、人間味溢れる歴史を刻み進んだ昭和や、それ以前の、古き良き日本の価値観が色濃く残る大正・明治、そらにそれ以前の時代も、それぞれの良さや苦しみがあったのだろうと思いますが、現代に生まれた我々は、現代の幸せを実感して生きなくては、もったいないというものです。

この話は、漠然と、しかし脈々と感じ続けてきたことで、そのうちnoteに書こうかな、と思っておりました。春になり、創作の一休みも兼ねて、ここに記しました。

では!