可哀想という瞳

世の中には、結婚したお相手の両親や義理のきょうだいと仲が悪くなるという話がある。
youtubeのおすすめ動画に、そういったまとめがあって、義母からいじわるされたり、仕返ししたりという世界がある。

元々の他人だから、気が合わないのは当然。

どうやって今後付き合うか、適切な距離をとるかという話題はSNSでも尽きない。

血が繋がっている実の親と、気が合わない、嫌がらせをされるという話をすると、たいていはびっくりした顔をして、瞳がもう可哀想という感情をしているのだ。

「親なんでしょう?どうして?」

そう言う人は大抵は、親との関係に問題がなくて、むしろ仲が良い。

理解されないことは充分わかる。
またこの瞳を見なくちゃいけないのかと、落胆する。

理解して欲しいなんて思わない。でも、そういう家庭があることを、受け入れないだけでなく、自分の経験だけで押し付けてくるのは――正直おぞましさすらある。

「育ててくれたんじゃないの?」

お金だけで心身は健やかに育ちません。

「大学に入れてくれたんじゃないの?」

親が気に入ったご指名の大学ならね。

「――だったら親孝行をしなくちゃ」

私のなかにある無数の傷を、言葉で説明できない痛みを、ただ血が繋がってるだけの関係で虐待をされたとしても、
親孝行という呪いをかけられたくない。

それらが、義実家や義理のきょうだいの話だったら、件のyoutubeにあふれているし、きっと目の前の人だって暇つぶしにみているのだろう。

けれども、私の心のなかを踏み荒らした行為については、
善意としか思っていない。

そんな瞳が、嫌いだ。

私を、ただの私としてみてほしかった。
別に過去を批評しなくていいから。

だから、私は、私自身の話をしにくい。
壁があるとか、仲良くなりたいのに……といわれても、
あの瞳がこわくて、嫌で、口を閉ざす。

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