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焼肉屋における焼野菜の立場

「カルビ4人前」
「ハラミ2人前」
「タン2人前」
「ホルモン2人前」
「レバーとタンが1人前」
「えーと、あと焼野菜が1つ」

焼肉屋でよく聞くオーダーだ。
お前、食い過ぎ。テブ。どれだけ食べるんだ。
と言いたくなるかもしれないが、今回の問題はそこではない。最後のオーダーの部分である。

「えーと、あと焼野菜が1つ」

それ、本当に食べる気あるのか?
お前は何を食べに来たのだ?
小一時間ぐらい問い詰めたくなる。

本来の目的を見失ってはいけない


そもそも、何を食べたくてここに来たのだろう?
焼肉屋に来たのだ。そりゃ、肉を食べに来たのだろう。しかし、焼野菜を頼む自分が居るのだ。
わざわざ、ヘルシー気取りなのだろうか。
それとも、実は野菜が好きだったのだろうか。

答えは宴のあとにある


若者ならまだしも、健康診断の結果がそろそろ怖くなってくる年頃だ。言うほど量も食べられない。
しかし、貧乏性よろしく、頼んた肉はしっかり食べるのだ。肉に限っては。。。

残りし者の後ろ髪にひかれて

めちゃくちゃ肉も食べた!酒飲んだ~!
お姉ちゃんの居る街でも繰り出そうかと、きれいになったテーブルにあったかいお茶が並ぶ頃、彼らはまだ、網の上に居るのである。
フザけんなや!と炭になりつつある元ピーマンと元玉ねぎあたりが言ってるはずである。
しいたけやトウモロコシはまだいい。彼らは焼き野菜の中でも上位カーストなので、案外熱狂的なファンも多く、結構な確率で胃の中に収められる。
コッテコテの口内でカルビとハラミの区別も解らないくせに、無駄に
生醤油ぶっかけて仕上げようとする輩がいる。

なら、素直に焼き野菜の盛り合わせじゃなくて、しいたけとトウモロコシ頼めや!カスが!と言いたくなるが、結局、上位カーストとはいえ、焼き野菜なのである。

結局、肉には勝てない。言わば、独り身が嫌だから仕方なしにキープしておく保険の為の女みたいなもんだ。平時ならどうても良いのである。

本音と建前が日本の文化

日本人は、何事も露骨を嫌う性質があるのだ。
普段の食事の中で肉を食べることがあっても、肉単体で出てくることは、まず、無い。からあげ定食を頼もうと、トンカツ定食を頼もうと、焼肉定食を頼もうと、かならず、サラダとか余計な物がついてくる。
そのおまけが好きか嫌いかは別にして、純粋に目的だけを我欲に任せて突き進んで行くことが恥ずかしいと思う人達なのだ。
餃子の王将で餃子だけをしこたま頼むことなく、麻婆豆腐とかも頼んだりしてみたりする。どこかポップス。パンクロックではないのである。

ポップスの残酷性

ポップスはとっても八方美人だ。誰にでも最大限の愛想を振りまくし、
多くの人に愛される。
しかし、八方美人ほど残酷な物はない。二枚舌も噛むし、嘘八百を綺麗に並べる。我欲を抑える代わりにストレスを溜める。人は本来、動物であり、もっとシンプルなもののはずである。ポップでいることが本来不可能なのである。


焼肉はパンクロック

では、焼肉はどうだろう?「火を囲んで、肉を焼いてたべる」
その行為だけをみれば、多分、縄文時代くらいから普通にやってたことじゃないだろうか。
その行為には、何の装飾もなければ、偽りもない。
日本人が一番苦手なやつだ。

ポップでありたいから

「食事で肉しか食べないなんて!下品!」
みたいな、誰も得しない建前を並べて、焼肉のポップス化が行われるのである。
結局、その被害者が焼野菜であり、その中でも下位カーストに位置するピーマンだったり玉ねぎだったり、人参だったりするのである。
人参なんか特にひどい。素焼きで人参食うこと焼野菜であるのか?
メリットもないだろうとか考えたりする。
そう考えると焼野菜自身も、もう投げやりになってるんじゃないだろうか。
「どうせ、ポップでありたい為の免罪符でしかないのだし・・・」
なんだか、かわいそうになってきた。

全部無理矢理食えとは言わない。
でも、食べる気がないなら、最初から頼むな。
パンクロックでいいじゃないか。好きな焼肉ぐらい好きに食べろ。









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