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信楽焼のたぬきが大活躍する話

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目覚めると枕元に覚えのないメモがある。

信楽しがらき焼のたぬきが大活躍する話」

 夢を見たことも書いたことも覚えていないが自分の文字だ。物書きを長く続けていくと、ネタに困る。面白い夢を忘れないために、いつも紙とペンを用意してある。

 キチンに行くとたぬきがいた。信楽焼のたぬきだが、装備はカーペットに投げ出されている。編笠、徳利、通帖、金袋。

金袋? あれって取り外し可能だったのか。

 ただの狸となったたぬきは、「人をダメにするソファ」で爆睡している。仕事明けの朝、愛用のソファで堕落しながら、コーヒーを啜るのが楽しみだったのに。コーヒーの匂いがする。コーヒーミルが使ったままになっている。いつの間にかコーヒーメーカーがセットされ、ぽとりぽとりと落ちる音が部屋に響く。至福の時を邪魔された怒りはたぬきに向いた。必殺の右足が動く。

イタタタタぁっ! コイツ焼き物だった!

 たぬきが目を開けた。まんまるの黒目がキロリとコチラを見る。

「あらぁクミちゃん、相変わらず冴えないわねぇ」

まさかのオネエ言葉!? いや狸を見かけで判断してはいけない。黒目がちな瞳に気を取られていたが、よく見るとマスカラとアイシャドウがぬられている。ハスキーボイスなのは狸だからか? それともトランスたぬき。取り外しできる金袋ってそういうわけ?

「いやあねえ、まじまじ見ないでよ。私、そんなにキレイ? それに比べてクミちゃんたら、なにそのジャージ」

 痛いところをつかれた。物書きは思いついた時が仕事、疲れたら睡眠。そう言えば、三日ほど着の身着のままだ。
「外出するときは、着替えるもん」

 声が小さくなった。このセリフには覚えがある。小学校時代、学校に行かず家で過ごしていた日々。書きたいだけ書き、読みたいだけ読んだ、というと聞こえはいいが、年齢が二桁を超える頃には自己評価はダダ下がり、中学入学を目前にして本格的に引きこもるようになった。ほとんど口出しをしない父母だったけど、ある日、母がワンピースを買ってきた。子どもっぽいフリフリではなくて、紺のスキッとしたデザイン。格好いい、格好良すぎる。さりげなく長押なげしにかけてあるワンピは、戦国武将の甲冑さながらの死装束に見えた。あの時、母親に言った一言。

「外出するときは、着替えるもん」

 地元の中学じゃなく、オンラインの学校を選んだから、制服を着ることもなかった。

 頭のフキダシを読んだかのように、たぬきの目が瞬いた。

「まあ昔話はいいわよ。今日の要件だけどね、クミちゃん、あなた明日死ぬわよ」

「あ、あなた、ドラ◯もん! 未来の子孫が助けに来たとか」
 使い古された設定が口から出る。だが次の一言で希望は吹き飛んだ。

「あなたの死に様を見にきたに決まっているじゃない。あなたは明日、お風呂に入り、脳梗塞を起こして死ぬの。血糖値上がりすぎ、運動不足。そりゃまあ、哀れな最後よ。発見は翌々日。遺体は膨れ上がり……」

「やめてぇ!」声が裏返る。「なんで、そんなウソ。たぬきの着ぐるみまで用意して」

「着ぐるみじゃないわ。信楽焼のた・ぬ・き。縁起物よん」

「お風呂に入らなきゃいいんでしょ」

 たぬきは人差し指を振って、ノンノンと言った。フランス人のマダム気取りだ。その仕草が誰かを思い出させた。
「『ビリヤードモデル』って知ってる? 時間の流れはそんなに単純じゃない。お風呂に入らなければ、別のルートで死に至る。もしかするともっと酷い死に方で」

 目の奥がカッと熱くなる。
「ふざけんな! 死ぬような思いして上京して、偶然応募して賞をもらって、裕福じゃないけど、なんとか作家と名乗れるようになったの、ほんの一年前なのに、死ぬなんて冗談じゃないよ」

「ホント、お気の毒」

 たぬきは悠然と言い放った。同情の念など微塵もないのが明らかだった。怒りが脳天を突き破った。見ると、右手には刀を握っている。それはかろうじて参加した修学旅行で買った木刀。女子の部屋に押し込められて、ひたすら寝たふりをしていた子どもが、小遣いで買ったたった一つの思い出。

 木刀を振りかぶった。迷わずたぬきを打ち据える。この死神! たった一言で私を学校に来れなくした憎い憎い憎いアイツ!

「クミちゃんて、ほんとは男なんじゃない」

死ね! 死ね! 死ね〜!

 信楽焼はピキ〜ンと音を立てた。たぬきが砕ける。が、中にはひと回り小さい信楽焼のたぬきが。それも潰す。中からはまた信楽焼が。「クミちゃんて」、といいかけるのをまた打ちすえる。何回木刀を振るったことだろう。運動不足と肩こりのはずの身体は、それでも動いた。たぬきはだんだん小さくなり、動きも速くなってくる。憎たらしい顔と声音はそのまま、声は早回しになり、しまいには蚊の羽音になる。「クミチャンテ」「クミチャンテ」「********」もう木刀ではつぶせない。咄嗟につまみ上げ、コーヒーミルに放り込む。ハンドルを回す。ジャリっと音がする。そのままハンドルを回し続ける。なんの音もしなくなるまで、あいつが粉になって砕け散るまで。後には静寂。残された装備の上にコーヒーの香りだけが漂っている。



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