何も持たないという自由
普段より早く起き、シャワーを浴び、少しの小銭と村上春樹の小説を持って、近所のマックに朝食を食べに行った。
テラス席に座り、熱いコーヒーを飲み、小説を開く。
小説の内容はいるかホテルの話だ。
日曜日の朝ということもあり、店の前は人通りがまばらで、すごくゆったりした時間が流れる。
村上春樹独特の文体がこの朝の雰囲気にぴたりと合っている。
そんな時、ふとスマホも時計も財布も持って来ていない自分がすごく自由になれた気がした。
今何時だろうと思いながらも、時間が分からない。
もう一杯コーヒーを飲みたいけれど、小銭が足りない。
だけれども、なぜか自由だと感じた。
普段であれば、腕時計をして、スマホを2台も持ち、PCをリュックに詰めて仕事に行く。
どこにいてもスマホやPCで連絡が取れるし、情報を得ることができる。
いずれもとても便利なものではあるけれど、大人になるにつれ、物を持てば持つほど、生きるのが窮屈になっていく。
自由がなくなっていく。
何も持っていなかった子供の頃はあれほど自由であったのに。
物があふれ過ぎているこの時代、もっとシンプルに生きることが逆に新しいことなのかもしれない。
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