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苦手と苦手意識

最近、様々な場で「向き不向きよりも、前向き」という言葉を聞くのです。力強い言葉だなと思いつつも、たしかに続けることや、経験値を貯めることは大事ですし、夢の生煮え感は乗り越えるべきですけど、前向きだけではなんともできないことも中にはあります。

ふと、先輩との対話の中で、教育者として、親として再確認したことなのですけど。それは「苦手」と「苦手意識」ということなのですよ。これは明確に違うわけですけど、「苦手意識」が「苦手」を誘発することがあり。かつ、「向いていない」のかそもそも「やっていない」「やった回数が少ない」のか。「やり方が間違っている」ということもあり。そもそも「知らない」ことも。それこそ、「マナーが悪い」「口のきき方がなっていない」という若者が実際いるわけですけど、それは単に知らないということもありえるわけですよ。

娘、折り紙に苦手意識があり。実際、保育園の周りの子の方ができるようなのですけど。それがますます苦手意識を高めているのですが。ただ、周りの子たち、小学校のお受験対策で学んでいたり、家で相当、やり方を教えられているのではないか、と。単にやっている絶対量が少ないのではないか、と。

で。私自身の自分語りで言うと、周りにいる人が圧倒的で、そうであるがゆえに、自分はこの分野で明確に劣っていると感じたことがあり。

その原体験は、両親であり、お向かいに住んでいた幼馴染、この前の道新のコラムにも登場した「晃ちゃん」なのですね。2年年上で、とにかく手先が器用で。レゴもプラモデルも上手で。モノが壊れてもすぐなおす、と。いちいち細かく、かつ論理的。

「すごいなあ、晃ちゃん」と叩きのめされたのですが。彼はその後、旭ヶ丘高校から北大の工学部に進み、博士号取得。いまは、国立大で教員をしており。「すごいなあ」と思っていた人が、本当にすごかった、と。

その後の学校、職場でも「すごい」と思っていた人が「本当にすごい」ということはよくあり。そして、その人を基準に「自分は劣っている」と勝手に思い込んでいたことがあり。1流ではなくても、1.5流、上級ではなく、中級くらいまではいけたんじゃないか、と。

なんせ、出向先からリクルートに戻ってきたら、凄まじくデータを活用している後輩がおり。「すごいなあ」「ここまでできないとだめなのか」と思ったわけですが、それが現リクルートホールディングス社長の出木場さんですよ。

別に私立の小中高に行ったわけでもなく、普通に札幌の郊外で育ったわけですけど、強敵(とも)に恵まれた人生に感謝なのですけど。

苦手と苦手意識の切り分け、意識します。

秋の講義が来週から始まります。心を入れ替えて頑張りますね。

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