大人の評価を子どもが覆して最強の子ども向けコンテンツになったアンパンマンから考える
2、3歳くらいの子どもがいる親同士で話すと、決まって「なんで子どもはあんなにアンパンマンが好きなんですかね?」という話になる。
子どもと一緒にいると気づくのだけど、アンパンマンは実は街中の至るところにいる。
「子どもが来るところにはアンパンマンを置いておけば間違いない!」という発想からか、病院やクリーニング屋なんかにもいるし、コンビニとかスーパーなら巧妙に(!)ちょうど子ども目線の棚に置かれているから、毎回「アンパンマン買って〜!買ってよ〜!!」と子どもが泣き叫ぶ、ちょっとした紛争が勃発する(うちは最近いつもそうなる)。
あの吸引力とも言える魅力は、一体なのか――。
これは結構謎めいた問いだ。その問いを企画にしようと、一時期、ある媒体で書くためにアンパンマン関連の本を一気読みしたことがあった。
結論を言えば、人気の理由はわからなかったし、作者のやなせたかしさん自身も著書で「アンパンマンがなんでヒットしたのかは自分でもわからない」と語っている。
結局、企画もボツになってしまい、ただせっかく色々調べたことを忘れてしまうのもな……と思ったから、アンパンマンが人気になった経緯と、それから考えたことを書き残してみる。
■発売から5年間は酷評の嵐
「やなせさんね、こんな馬鹿馬鹿しいものを描いても、読者には喜ばれません。もうちょっとショッキングなもの、そういうものでないと。こんな、生ぬるい話では……」
これはやなせさんが最初にアンパンマンを描いたときに、担当編集者に言われた言葉だという。なかなか辛辣だ。
当初アンパンマンは、マントをつけたハンサムではない小太りのおじさん(人間)だった。
そのおじさんが、お腹がすいた子どもたちにあんぱんを配るという物語で、そして最後は許可なく国境を越えたため撃ち落とされてしまうという(!)、何とも言えないストーリーだった。
その後、1976年に絵本として「あんぱんまん」が出版された。
そこでは、あんパンをおじさんが配るのではなく、パンそのものが飛んでいって自分の顔を食べさせる設定に変わっていた。
それを表現した最初の絵はわりと衝撃的だ。
これは、アンパンマンが「さあ、はやく!」といって自分の顔を食べることをせきたて「ごめんなさい、では、ちょっとだけ」と旅人がアンパンマンの頭にかじりつくシーン。
結局ちょっとではなく、たくさん食べてしまった結果、アンパンマンの顔は半分くらいなってしまった。
さらにその後にも別の人に顔を食べさせて、顔がなくなってしまったアンパンマンが空を飛んでいる場面なんかもある。
この絵本は出版直後から、あらゆる大人から大悪評だった。
幼稚園の先生からは「顔を食べさせるなんて残酷だ」と苦情が来て、絵本の評論家からは「こんなくだらない本は図書館に置くべきではない」と酷評の嵐。
さらに担当編集者からも「やなせさん、もう、こんな本はこれっきりにしてくださいね」と言われる始末だったらしい。
作者であるやなせさん自身もすっかり自信を失い、これはもうダメだと思ったという。
それが、発売から5年が経ったとき、実は幼稚園では子どもたちにアンパンマンの絵本が大人気になっていて、図書館でもずっと貸し出し中ということが発覚する。
その後にテレビ放映されるようになったのも、テレビ局のディレクターが自分の子どもが通う幼稚園に行ったとき、ボロボロになっていたアンパンマンの絵本を見かけたことがきっかけだというエピソードもある。
■「評価」と「人気」は比例しない
これらの話はとても示唆的だと思う。
当初アンパンマンを批判した絵本の評論家も幼稚園の先生も、おそらく担当編集者も、子どもに関することなら一応プロ的な存在だったはずだ。
だけど、そんなプロたちが批判していたアンパンマンは、本来の読者である「子ども」に大受けしたことで、その後、日本最強の子ども向けコンテンツになった。
それは、大人による当初の評価が真っ向から覆されたということだ。
そう考えると、「評価」というのは一体何なんだろうなと思う。
たぶん、本当の意味での読者はコンテンツを「評価」なんてしない。ただただ体験したり消費したりするだけだ。
とくに子どもにとっては、面白いものは面白いし、つまらないものはつまらないという、ただそれだけのことでしかない。
だけど、市場に出せば「評価」を下す人たちがいて、コンテンツは否応なくその評価にさらされる。
とはいえ、評価をするのは、大抵は本来読者ではない第三者とかであることも多く、ちょっと偏った見方をすれば大人の事情にまみれている人たちだったりすることもある。
子ども向けコンテンツに限らず、世の中には、読者からの「人気」と第三者からの「評価」が比例していないケースなんて山ほどある。
僕自身、編集者としてアンパンマン関連の本をいくつか読んでみて、なぜアンパンマンが人気になったかを考えると、何よりやなせさん自身がそうした「評価」を欲していなかったんじゃないか、ということを感じた。
ただ純粋に、自分が表現したいものを表現していたのだと思うし、それは、やなせさん自身のスタンスにもなっていた。
ふつうは「子どもに受けそうなもの」を狙って子どもに最適化したコンテンツをつくろうとしてしまう。
でもやなせさんは、子ども向けだからといって物語を単純化をせず、子どもだまし的なことも徹底的に嫌ったという。
児童書の仕事をするようになってわかったことは、幼児向けの作品は、幼児用だというのでグレードをうんと落とそう、というふうに考えるんですね。そうして文章も非常に短くする。僕もそれを要求されたけど、それは違うんです。不思議なことに、幼児というのは話のホントの部分がなぜかわかってしまう。難しいことばとか、そういうこととは無関係なんです。/やなせたかし著『何のために生まれてきたの?』(2013年、PHP研究所)
子どもの嗜好は複雑ではないけど、大人が狙って受けさせられるほど単純でもない。そう考えると、「狙わない」ということはとても大事だなと思った。
ちなみに、アンパンマンに関するいろんな本を読み漁って初めて知ったのだけど、アンパンマンは意外と哲学的でもある。
そもそも「アンパンマン」はやなせさん自身の戦争体験が大きく影響していて、物語の最大のテーマは「正義」だという。
戦争では、それぞれがそれぞれの正義を掲げて戦う。その正義は立場が逆転すれば変わるもので、戦争において「真の正義」なんてものは存在しない。
それならば立場が変わっても「逆転しない正義」とは一体何なのか――。
それが、お腹を空かせた人たちを救うことであり(やなせさん自身が戦争で最も堪えたのが空腹だったから)、アンパンマンが生まれるきっかけになった。
子どもはもちろん、多くの親にもおそらく知られていない、こうしたアンパンマンの裏側の話はまだまだたくさんある。
アンパンマンは、意外と奥深い。
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