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不倫は「社会問題」か?

この国では、数ヶ月に1回くらいの周期で不倫が社会的なビッグイシューになる。

不倫のニュースほど「消費」という言葉が似合うニュースもないけど、そろそろ不倫をめぐるニュース、というか社会の受け止め方はアップデートされたほうがいいんじゃないかと感じている。

少なくとも必要なのは、消費しつづけるための次の不倫ニュースではなく、不倫というニュースをどう解釈するかという補助線となる情報じゃないか、と不倫報道があるたびに思う。

程度に差はあれど、とにかく不倫がニュースになると、不倫をした人が徹底的にサンドバックにされる。

それはそれで、あるいは不倫すること自体よりも深刻な社会問題とも言える。

不倫は「社会問題」か?という問いは重層的であって、そもそも不倫することは社会で袋叩きにするほどの社会性をもった問題と言えるのか。

個人的にはNOだと思うけど、実際には視聴率が取れて雑誌も売れるのだから、メディアの経済合理性にはかなってしまっている。

ただここではそのことではなく、また個別具体的なケースを擁護するのでも糾弾するのでもなく、「不倫する自体は社会問題なのか?」という視点で考えてみたい。

問題の質が違うけど、この不倫バッシングは、著名人の薬物に関する報道でも同じような構図がある。

薬物報道は、以前は一般人の溜飲を下げるようなバッシング対象として、ただただ格好のサンドバッグだった。

でも、少し前から「薬物を使ってしまうのは依存症であり、実は本人も苦しんでいる」といった解釈の補助線が機能し始め、報道に対する捉え方が変化した。それに伴って社会の風向きも変わった(ように思う)。

それが不倫に関しては、そうした補助線はまだ何も機能していない。

ニュースの受け止め方として、そもそも不倫の問題は、個人の道徳観や意思の強度、あるいはモラルの問題なのかということは、一度立ち止まって考える価値がある問いだと思う。

僕は、どうしようもないくらいに不倫があふれているこの世の中では、個々人の道徳感やモラルで片付けられるほど単純な問題ではないんじゃないかと感じている。

実際に、いけないことだと知りながら、それでも人は、不思議なくらい不倫という名の恋に落ちている。

不倫経験者の多くは、「まさか自分が不倫する(される)とは思っていなかった」と語るというし、僕の周りの不倫経験者も同じことを言っていた。

そこには、男女問わず、生物学的にも心理学的にも社会的にも、人は複数の相手と性交することができ、さらに複数の相手と愛し合うこともできてしまう生き物であるという、残念ながらもれっきとした事実がある。

そうした事実が日本中のいたるところである以上は、不倫はもはや「個人の問題」ではなく「社会の問題」として捉える視点も必要じゃないか。実際に不倫は、さまざまな社会問題を生み出す要因にもなっている。

ひとり親世帯の貧困率が5割を超えているのはその象徴でもあり、子どもの貧困も元をたどってみると、不倫に行き着くケースが決して少なくはない。

そう考えてみても、不倫そのものを一つの社会問題として捉えるのには十分な理由があると思う。

僕自身がこうした考えを持つようになったのは、『はじめての不倫学』という本を読んでからだ。

それまでなんとなくでしか知らない情報をもとに、なんとなくでしか持っていなかった“不倫観”を一変させられた。

この本は、不倫を社会問題として捉え、それが誰にでも起こりうるものならば、「ワクチンが必要だ」と説いている。

そのワクチンの結論を簡潔に言ってしまえば、現行の夫婦関係を維持するためのポジティブ婚外セックスを認めるというものだ。

結論だけを書くと「?」だけど、なぜこれが結論なのか、あるいはこの結論がベストではなくともワーストではないことは、いまの社会に受け入れられるかは別として、この本を読めば理解はできる。

それくらい、不倫という問題はどうようもないことでもあるという解釈もできる。

ただ何より、不倫ワクチンのあり方を考えるこの本自体が、実は一つの不倫ワクチンそのものでもあると感じた。

なんとなくでしか知らない不倫について理解しようとし、自分の頭で不倫を考え、自分の言葉で不倫を語ろうとする。

これだけで、少なくとも自分や自分を取り巻く人たちの不倫を防ぐ一定の効果はあり、不倫報道に対するリテラシーも上がる。

この本が刊行されたのは5年前だけど、当時ちょっとした不倫本ブームが起きた。だけど、いまだに不倫問題に対する社会的な認識はアップデートされていない。

それどころか、不倫を「個人の問題」ではなく「社会の問題」として捉える視点に、いまもなお多くの人が「?」を感じてしまうのではないかと思う。

でもその「?」を解消する、しようとすることにこそ、不倫問題を考える意味が詰まっている。

ということを、『はじめての不倫学』を再読する機会があったから書いてみた。

ちなみに、最近は不倫報道をするメディアが批判されるようにもなったけど、そもそもメディアは社会を映す鏡でもある。

不倫報道がPVを稼ぐことが、この社会を物語っているし、『週刊文春』などのように、不倫報道のPVによる広告収入をもとに新たな社会問題が可視化される調査報道がなされていることを考えたら、メディア側というより受け手側に根差した構造問題でもある。

でもだからこそ、不倫をめぐる言説として必要なのは、これ以上のニュースではなく解釈の補助線となる情報であり、『はじめての不倫学』にはその補助線として考えるヒントがたくさん詰まっている。

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