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妻の仕事の都合でアフリカに引っ越してきたら、子育てがちょっと心地よくなった話。

東京からアフリカのセネガルに引っ越してきて、1ヶ月が経った。

妻のアフリカでの仕事の復職に伴って僕は仕事を辞め、セネガルという未知の土地で主夫をすることになった。

2人の子ども(4歳と1歳)と僕にとっては、はじめての海外生活。アフリカ大陸の最西端に位置するセネガルの首都ダカールは、子どもたちにとって何かあるようで何もない。

大好きだった公園も電車もおかあさんといっしょもアンパンマンチョコレートもマクドナルドもない。まだ幼稚園も決まっていなくて友達もいない。

日本と比べてしまえば、ないものだらけだ。

でもだからといって、ここでの暮らしが悪いかといえば、全然そうじゃない。

そう思えるのは、まだきて1ヶ月なのに、どこか居心地のよさを感じられているからだ。

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今暮らしているのは、セネガルで最も栄えているダカール中心部にある一時滞在のアパート。

この一帯では、毎日狭い道をひっきりなしに車が行き交っている。路駐が当たり前らしく、歩道は車で埋まって歩道じゃなくなっていて、車通りの多い狭い車道の隅を2人子連れで歩かないといけないから、なかなか厄介だ。

下の子(1歳)をベビーカーに入れ、上の子(4歳)は手をひいて歩くのだけど、道はデコボコが多く、ベビーカーがつまずいたり引っかかったり時には転倒したり。

上の子は思うように歩いてくれずに駄々をこねるし、下の子もおとなしくベビーカーに乗ってくれるわけもなく、外を歩くだけでてんやわんやだ。

そんなこんなで、ほぼ毎日心が折れかけそうになっている。

だけど、そのたびにいつもセネガルの人たちの優しさに救われている。

「ボンジュール、サバ?(こんにちは、元気?)」
「ボンジュール、サバ、ビエン!エトワ?(こんにちは、とっても元気!そっちは?)」

こっちでは誰とでも挨拶を交わすらしく、ただすれ違っただけのセネガルの人たちと子どもたちとの間で、そんなやりとりをもう何百回としている。

人見知りのはずの上の子も、まだしゃべれないはずの下の子も、フランス語(セネガルはフランス語が公用語)がわからないなりに、一生懸命コミュニケーションをとろうとしている。

「これ、この子たちにどうぞ」

僕もフランス語がまったくできない(!)から何を言っているのかわからないけど、スーパーやパン屋さんや露店で買い物をすると、仕草からしてそんなふうに言って商品のお菓子をくれたりもする。

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セネガルの人たちは、とにかくやさしい。

道のデコボコに戸惑っていたらベビーカーを一緒に持ち上げてくれ、手持ちの小銭がないと困っていたらなぜか見知らぬおじさんが払ってくれ、長蛇の列は子どもがいるからと一番前に移動させてくれ、子どもが泣いていたらみんなであやしてくれ・・。

一日に何回「メルスィ(ありがとう)」と言っているかわからないくらい、困っていても困っていなくても、いろんな人がいろんな形で手助けをしてくれる。

ただの通りすがりの人が、人助けなんてさも当たり前かのように。

今から3ヶ月前、コロナによって当面先送りになると踏んでいた妻の復職が想像よりもはるかに早く決まり、僕は勤めていた会社を辞めることになった。

入社前の面接時に、そう遠くない将来に妻が復職する予定でその時は家族でアフリカに引っ越すという話をしていたのだけど、転職して1年でその時がきてしまった。

会社では、やりたいことをやらせてもらい、たくさんありがたい経験もさせてもらうなど、すごくいい環境だった。

働き続けたかったから、当初はアフリカからリモートで仕事をさせてもらうことで相談していた。

ただリモート勤務の選択肢は、セネガルでのコロナ感染拡大に伴う妻の勤務先の制約によって消滅。結局、僕は会社を辞めることになった。

妻の仕事の都合で夫が仕事を辞めるのは世間的にはやはり珍しいらしく、「仕事辞めて奥さんの仕事について行くなんて、すごいね」と言ってくれる人が何人もいた。

そんなふうに言われて悪い気はしなかったけど、自分がそれを経験してはじめて、これまで妻が出産と育児で同様の経験をしてきたことにちゃんと気づけた気がする。

これまで僕は当たり前のように働かせてもらっていて、それを当たり前のように感じていたこと自体、自分の中に「育児は母親がするもの」といった古びた価値観が染み付いてしまっていたのだと思う。

だからたぶん、自分の価値観をアップデートする意味でも、主夫生活はとてつもなく貴重な経験だ。長い(はずの)人生、あらゆる経験はあらゆる糧になる。

主夫になって3ヶ月、子育て以外にも、まったくできなかった料理を毎日作ってみたり、掃除や洗濯の他、いわゆる名もなき家事の数々をひたすらこなしたりと、少しずつ自分にとっての新境地を開拓している。

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ただし、それらは全部大人の事情だ。

大人は捉え方次第でどうにでもなっても、子どもたちには計り知れない苦労を強いているんだろうなと思う。

親の勝手な都合で、大好きな幼稚園や仲良しの友達と離れ離れになり、子育て主体もお母さんからお父さんに変わり、見た目も言葉も文化も価値観も何もかも違う国で生活するのは、相当なストレスがかかっているはずだ。

とくに上の子は4歳になって、いろんなことが理解できるようになってきている。来てしばらくは情緒不安定で、いきなり泣き出したり、いつも以上にめちゃくちゃなわがままを言ったりもしていた。

それでも子どもたちは、今の環境のありのままを、ただただ受け入れているように見える。

上の子はフランス語の数字を僕よりも早く覚えていて、「おとうさん、18をフランス語でゆうてごらん?」とマウントしてくる(僕はまだ10までしか言えない)。

心配していた食生活も、俄然お米派だった子どもたちが「セネガルのパンはおいしすぎる〜」とか言いながらフランスパンをほうばり(たしかに美味しい)、ローカル食にも馴染みつつある。

子どもたちの適応は想像以上で、なんだかんだすごく楽しそうに毎日を過ごしている。

やっぱり子どもはすごいな・・と、ただただ感心するしかない。

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これからセネガルで暮らしていく中で、子どもたちは4歳と1歳なりに身に付けてきた常識が覆されたり、日本と比べると不便を感じる機会も数えきれないほどあると思う。

でも日本が世界の当たり前ではないことを身をもって感じてほしいし、欲をいえば、どんな不便も楽しめるようなたくましさを持って育ってほしいなと思う。

誰に聞いたのかは忘れてしまったけど、社会人になりたての頃に聞いて、ずっと拠り所にしてきた言葉がある。

「『面白い仕事』があるんじゃない、目の前の仕事をいかに『面白がれるか』なんだよ」

今の僕にとっては、子育てがその「仕事」だ。その仕事をいかに面白がれるか。それを試されているんだなんて自虐的に言い聞かせながら、当初日本でスタートした主夫生活を日々踏ん張っていた。

でも実際のところ、面白がれる余裕なんて全然なかった。

自分の度量の狭さを痛感させられる毎日を送りながら、子育ては感情をコントロールする訓練というか、今はもはや修行だと思っている。

少し前には、四六時中子どもと一緒にいる日常がこの先ずっと続いていくことに、ゾッとしてしまう自分もいた。

朝から晩まで子どもと一緒に過ごして、「自分の時間」は子どもたちが寝静まった夜だけ、のつもりが、寝かしつけで自分も寝てしまったり、起きれても疲れてすぐ眠くなってしまう。と思ったら、まだ5時台なのに子どもに起こされたりもする。

それまでの仕事しながらの子育て生活は、ただ楽しいと思っていた。だけど、子育て一色の生活から感じる景色ははまったく違った。

それなりに子育てをしているつもりでいたのが、「それなり」だったと気づかされ、今も妻がしてきたことの数々に軽い衝撃を受ける毎日を送っている。

「で、セネガルでの子育てはどう?」

少し前にオンラインでつないで話していた日本の友達にそう聞かれた。うーん、とか言いながら、僕はたしかこんなことを言った気がする。

「不便なことも多いし、日本のほうがいいよ。でもこっちは人がすごくいいから、なんていうか、子育てがちょっと心地よくなったかも」

日本での子育てがやりづらかったとは思わないし、日本のほうが圧倒的に不便じゃない。

でも「心地よさ」という、曖昧な言葉での感覚だと、セネガルはいいなと思う。それはやっぱり「人」に起因する。

東京で子育てをしていて、たとえば電車やバスの優先席とか、駅のエレベーターとかでも、「やさしくないな……」と感じることが少なくなかった。

他人はあくまで他人、という感じで、それはたぶん、一人ひとりのやさしくなさというより、社会としての心のゆとりがなさなんじゃないかと感じていた。

セネガルでは、他人は他人でも、助け合い(こっちは助けられてばかりだけど)が当たり前にある。

セネガルでの「ふつう」は明らかに日本とは違っている。その意味で、何気ない手助けなどを「やさしさ」と表現するも違うのかもしれない。

手助けをすることが社会のデフォルトになっていることは、小さい子どもがいる自分にとって、心理的な安心感を生んでいる。それが、自然と感じる「心地よさ」にもつながっている。

もちろん、僕はセネガルに来てたった1ヶ月で、今感じられていることなんて表層的なことでしかないかもしれないし、これからもっと負の側面も目に触れることになっていくと思う。

それでも、セネガルに引っ越してきて、気持ち的に子育てがちょっと、いやもしかしたらだいぶ心地よくなっているのは間違いない。

1ヶ月も経てば、いろんなことに慣れてきて、新しかったはずのアフリカ生活が新しくなくなりつつある。

感覚が感覚として残っている現在進行形で言葉にすることで、感覚の鮮度を一応は残すことができると思い、こうして書くこともしていきたい。何より書くことは子育てのしんどさを紛らわせてくれる。

僕は社会人の大半を編集者として過ごしてきて、職業柄なのか、この味わい深い生活から自分がどんなことを感じ、考えられるのかにも、すごく興味がある。

これからもっと多くの経験や気づきを得る中で、ただ漠然と感じるのではもったいない。

書いて言葉にする過程で考え、視点の解像度を高めつつ視野を広げていくことが、自分がありたい編集者としての姿勢や態度じゃないかとも思う。

そしてそれらを、またいつかするであろう仕事にも還元できたらな、とおぼろげながらに思っている。

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