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『選べなかった命』という本を読んで

『選べなかった命 ――出生前診断の誤診で生まれた子』という本を読んだ。

ある女性が出生前診断を受けて「異常なし」とされたにもかかわらず、生まれてきた子どもはダウン症であり、その合併症のために苦しみながら生後約3ヵ月で命を終える。そのことで夫妻が医師らを提訴する経緯を描いたノンフィクションだ。

ダウン症という“障害”を取り巻く状況や当事者、その家族をはじめとするさまざまな人たちの声に耳を傾けながら、出生前診断における「選ぶこと」の是非を否応なく読者に問う――。

出生前診断で障害があるとわかった人のうち、9割以上が中絶を選択するという。この本は、そもそも現行の母体保護法では、障害の可能性が事前にわかっただけでは中絶はできず、母体の身体的あるいは経済的理由を建前として、中絶が認められている実態を浮き彫りにしている。

この一年、読もうとするたびに何度も断念していた本でもあった。だけど、自分の子どもの出産を控えた数ヶ月前から、当事者に最も近づける時期にしか感じられないことがあると思い、一気に読んだ。

本に書かれているように、赤ちゃんがお腹にいるとき、誰もが「元気に生まれてくれたらそれでいい」と思う。でもいざ生まれて成長していくにつれ、あれができないとか、これが人と違うといったことについつい悩んでしまう。

そのことに対して、こんなふうに言葉が紡がれている。

「けれども、と立ち止まる。『元気に生まれたら』ということは誰もが願う。そこを満たすことができなかった母親は、どれほどの不安を持つのだろうか」

その不安が、この本の骨子にもなっている。印象的だったのは小学校一年生の年齢なのに体格は2歳半くらい、言葉もまだ話すことができないダウン症の子どもを持つ母親で、こんなふうに話していた。

「選択できなかったからこそ、生まれた命がある。今はこの子がいない人生なんて考えられない。この子がいなかったらと考えると人生終わったと思えるほどです。でも、選択できていたら、この子は生まれていなかったかもしれない。わからない方がいいこともある。悩むことなく生まれてきた方がいいこともある。だからこそ、選ばねばならないお母さんを気の毒に思います」

うちの場合は高齢出産でも出生前診断を受けるつもりはなかった。運命論みたいなものは信じないけど、どんな子が生まれてもそれが自分たちの子どもなんだと思っていた。

でも正直なところ、この本を読み進めるうち、そして出産が迫るにつれて、無意識のうちに生まれてくる子どもの五体満足を願い、「生まれてきてくれたらそれでいい」以上のことを望んでいる自分がいた。

それは親としての当然な心情なのかもしれないと思う一方、その気持ちと正面切って向き合うことができなかった。

差別のない世界は誰にとっても理想なはずだけど、出生前診断を受け、命を選択する人は決して少なくはない。その事実をどう考えるか。出生前診断の存在やそれを受けることを否定はできないと思わされる本でもあった。

そして、「おわりに」にはこんなことが書かれていた。

「出会った人のなかには、我が子に障害があれば子どもを生まないと決意していた人もいた。障害があっても産んで育てている人もいた。障害のある子どもを里親として引き取って愛おしんでいた人もいた。どの人が立派だ、どの人は悪い、と誰が決められるものだろうか。その人それぞれの精一杯のところで出した答えは、唯一の答えだ」

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