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夢を託す、ということ。

「いつか国際協力の仕事がしたい」

10年以上前、そんな夢を持つようになったきっかけがあった。

なかなか就活する気になれず、まったく気乗りせずに行ってみた、はじめての合同企業説明会。

とりあえず、みたいな心持ちで少し興味のあるブースに行って話を聞いたら、「あ、これだ」と直感した。これが自分がやりたかったことだ、と。

「自分は何をやりたいんだろう……」

それまでずーっと考えていたことなのに、その答えを一瞬にして見つけた感覚だった。

机上で考えるよりも行動してはじめて見えてくるものがある、なんて言われるとおり、この時の僕はまさにそれを体験した。

それから、そこではじめて出合った「国際協力」という言葉に興奮しつつ、貪るように本を読む日々が始まった。

国際協力の仕事をするためにはどうやら修士が必要だとわかり、まったく想定していなかった大学院に進学することになった。

当時、大学で専攻していたスポーツビジネスの知識は何ら生きず、ゼロからの猛勉強の日々を送った。

貧困問題の現場を知ろうと、バックパックを担いでアフリカを旅して、いろんな現実を目の当たりにした。

世界が不条理なことは知っていたつもりでも、こんなに不条理なのかと言葉にならないリアルを目に焼きつけた。

そうして「いつか国際協力の仕事がしたい」という思いを、少しずつでも着実に現実にしていくつもりだった。

それから、10年が経った。

大学院で国際協力を学び、アフリカの国々をめぐったけど、国際協力とは関係のない会社に就職して、転職してもまた違う領域の仕事に就き、国際協力とは無縁の社会人生活を送った。

「いつか国際協力の仕事がしたい」

そう強く思い描いていたはずの夢は、自分でも気づかないまま、いつのまにか萎んでしまっていた。

日本で生活する中で、世界の問題以上に日本の中の社会問題に関心が向いたのもあるし、国際協力を志すには語学力はじめ自分の能力では難しかったこともある。

何より日々の仕事に忙殺されるうち、国際協力への関心や思いすら失いかけていた。

それが今、僕はアフリカ大陸の最西端にあるセネガルという国で暮らしている。

妻の仕事のために自分が仕事を辞め、主夫になって子育てをするためだ。

妻の仕事は、アフリカの貧困問題に携わる国際協力ど真ん中の仕事。僕にはできなかったけど、かつて夢にまで見た仕事だ。

「ということは、キミからすれば、奥さんに夢を託した、みたいことなんだね」

セネガルに発つ前、ある人に、自分が国際協力を研究する大学院にいたこと、いつか国際協力の仕事をしたかったことを話したら、そんなふうに言われた。

言われてはじめて、そうかもしれないと思った。

夢を託すなんて、そんなかっこいいものじゃないけど、10年前に思い描いていた夢は自分では叶えられなかった。

でも、同じような夢を描いていた人とたまたま出会って、その人の力になれているのなら、僕にとってそれ以上のことはない。

そして僕は僕で、主夫という新しい役割、アフリカでの子育て生活を全力で楽しんでいる。

アフリカで子育て、なんてイメージからしてそれなりに大変な日々を送るんだろうなと覚悟していたのが、もはや東京で暮らしていた頃より快適な毎日を送っている。

1ヶ月前にどれだけ心地よいかをnoteに書いたけど、もう1ヶ月経った今、その心地よさはさらに爆増中だ。

夢を託す。

それもまた一つの生き方なんだろうし、そんなふうにしてかつて追いかけた夢の近くにいれる自分は、とても幸せだなと思う。

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