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子育てして気づいた「怒る」は楽、「怒らない」は知性。

最近、子育てしていて気づいたのは、怒るのは楽、怒らないのは知性、ということだ。

子育てをしていると、怒らないでいることはとても難しい。とくに自分に余裕がないと、ついつい感情をコントロールできなくなってしまう。

でも後から怒った場面を振り返ってみると、全然大したことじゃなかったな、と思うことが多い。

たとえば、子どもがご飯を壮大にこぼしてしまった時。それがわざとじゃないとわかっていても、床にばら撒かれたご飯やスープなどを見て怒ってしまうことがある。

逆に同じ状況でも、怒らずにいられるときもある。結局、怒るか怒らないのかは自分の状況次第だ。冷静になると、自分の未熟さをいつも反省する。

異国の地で子育てをしていると、いろんな国籍の親のいろんな子育てに触れることができる。

彼女・彼らの子育てを見ていると、ときに怒ってしまう自分は親という立場に甘えているんだなと、つくづく思う。

子どもを大人同様に「一人の人間」として尊重する彼女・彼らは、子どもを怒ることがあっても怒りをそのままぶつけるのではなく、諭すように語りかける。

親という立場を利用して怒ることは楽だ。怒らないことのほうがよっぽど難しい。でも彼女・彼らは、ごく自然にそうしている。

その人自身がどんなふうに育ってきたかや置かれている状況、その時々の心の余裕など、それぞれの背景にもよるだろうし、怒らない人は知性的で、怒る人は知性的でない、と一概に言ってしまうのは違うとは思う。

ただ一つ言えるのは、子育てに「怒り」の感情はネガティヴにはたらき、そもそも怒りを抑えるのは訓練でどうにかできる、ということだ。

そのことを僕は『〈叱る依存〉がとまらない』という本で学んだ。

この本を読んでの気づきを1年近く実践してみたら、「叱ることを我慢できるようになった」というより「気がついたらあまり叱らなくなっていた」という状態になれた。

自分が子どもに対して「こうあるべき」とか「こうあってほしい」と無自覚に思っているのを気づき、子どもなんだから「どうあってもいい」と思えるようになった。

それでも怒りをゼロにできないのが悩ましいけど、以前と比べたら怒ることはずいぶんと減っている。

子育ては学びの連続だ。子どもとのコミュニケーションを客観視してみると、親としても、一人の人間としても自分自身を問われることが多い。

その意味で子育ては修行なのだろうし、2023年はその修行をより一層楽しめる自分でありたいなと思う。

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