感じたことではなく考えたことを書く。
書くことは考えること。
ここ数年、このnoteでは子育てでの気づきや学び、考えたことを中心に書いている。
書いて言葉にすることで「ああ、自分はこんなことを考えていたのか」と思えたりもする。
子どもと一緒にいるときはそれどころではないけど、一人で落ち着いて「書く」という時間を持つことで、改めて子育てと向き合えているように思う。
書くからこそ気づけることや考えられることもある。書くことは、いまや僕にとって子育てという日常の解像度をあげるものになっている。
10年近く編集者をしてきて、いわゆる「優秀」と言われる人ほど、自分の考えを伝わるかたちで言葉にできる人が多かった。
一つの記事を読んで「面白かった」「つまらなかった」で済ますのではなく、なんで「面白い」と感じたのか、なんで「つまらない」と感じたのかを的確かつ端的に言葉にできる。
それはおそらく、ふだんから考えるという思考量が半端ないからだった。思考力の裏には間違いなく思考量があった。
自分ももっと考えることに汗をかかないといけないな、と常々感じていたけど、昔から考えることは苦手だった。ふだんから考え事をする、ということもあまりない。
だから、いつしか書くようになった。僕のようなタイプは、むしろ書かない限りは考えることをしないのかもしれないなと思う。
自分が考えていることを言葉にする。言葉にするための書くという行為はまさに考えることだ。
そうして、書くことで考えを深めたり広げたりすることができるのだと気づいてからは、何かを考えるために書いたりもしている。
感じたことではなく考えたことを書く。
noteを書くときは、「感じたこと」よりも「考えたこと」を書くように努めている。
大した違いはないのかもしれないけど、僕の中では「感じたこと」は直感的な反応で、「考えたこと」は咀嚼した思考だ。
感じたことは、ある程度言葉にしやすい。言葉の巧拙ではなく、感じたことをただ表現すればいいからだ。
一方で、考えたことを言葉にするのはより難しい。目の前の物事を理解し、自分なりに咀嚼した上で表現する必要がある。それなりに頭を使う。
言葉にするのが難しいからこそ、言葉にしようとする営みにも意味が生まれるんじゃないかなと思う。
考えたことを書くのは、時に怖さもある。
SNSなどでは、賢い人たちがこぞって自分の考えを表明している。それらと比べて、自分の浅はかさに恥ずかしさを覚えたりもする。
僕はそもそも考えていないことが多いから、ただ単に「そのことについて、そんなふうに考えられることはすごいなあ」と思うことばかりだ。
だけど、というか、だからこそ、書かない限りは考えないし、書かない限りは自分の浅さに気づけないかもしれないな、とも思う。
考えて書こうとするほどに、自分の無知に気づくこともできる。それなりのことを書こうとすれば、それなりに考える必要がある。
その意味では、書くことは考えることであると同時に、学ぶことでもあるのだと思う。
知識や経験がないから書けない、じゃなくて、知識や経験がないけど(から)、書くプロセスを通じて知識や経験を身に付ける、みたいなことだ。
自分のふだんの生活、とくにこの1年アフリカで子育てをしていると、ノイズというか刺激が多く、無自覚にたくさんのことをインプットしている。それらをどう咀嚼して言葉にしていけるか。
なんとなく感じたことも、ちゃんと自分の中で咀嚼して考えてから言葉にする。その営みは、難しくもとても楽しいものだと思っている。
なんで書き続けるのか。
書くことが子育てのストレス発散になっているとか、今の感覚や思考を記録として残しておきたいとか、書く理由はいろいろある。
ただ端的には楽しいから書いている、ということに尽きる。
だから発信することは目的じゃない。自分で感じたことや考えたことを言葉にして表現する、そのプロセスに意味を見出している。
とはいえ、noteに書くことは発信することでもある。発信する以上は、スキの数や反響もどうしても目に入るけど、極力気にしないようにしている。
何らかの反応を求めたり、それにとらわれると、本当に書きたいことを書けなくなってしまう。
noteがいいのは、発信という感覚があまりないことだ。noteだと、自分が考えたことを言葉にした記事を置いておく、みたいな感覚に近い。
自分が書いたnoteが、仮に誰かのためにもなったらいいけど、それはあくまで結果論でしかない。
そんなことを以前聞いたことがある。たしかにそうだなと思う。僕自身、誰かが書いた文章に大なり小なり影響を受けている。
でもそれ以上に、自分が書いたこと、書き続けていることに影響を受けているのだと思う。それもまた、こうして書き続けている理由でもある。
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なんの目的もなく、1カ月に1回noteを更新して自分の気づきや考えたことを書く、ということを続けて4年以上が経った。
書くことに使った時間よりも、書くこと、書き続けていることで得られたもののほうが圧倒的に多く、大きい。
何より、なんとなく感じていたことを、多少なりとも考えられるようになった気がする。
noteという場で書くことで、もし結果的に誰かのためになったらうれしいなと思うけど、あくまで自分のために、これからも書きたいことを書きたいように書いていきたいなと思う。
読んでいただき、ありがとうございます。もしよろしければ、SNSなどでシェアいただけるとうれしいです。