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「事実」はなぜ人の意見を変えられないのか?

Twitter上では、日々誰かと誰かが言葉を闘わせている。

闘いの種類はいくつかあれど、説得を試みたとして、それに成功している光景を見ることはほぼない。

「事実」をもってしても人の意見は変わらない、変えられないという状況は、Twitter空間だけでなく、日常的に繰り広げられている。

そんな日常風景の違和感そのものをタイトルにした『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』という本がある。

この本によれば、一方が具体的な数字やデータなどのエビデンスという「事実」をいくら突きつけたところで、もう一方はさまざまな角度から反論し、意見を変えることはないという。

とても示唆に富む本だったから、自分なりに気になった部分を抽出してまとめてみたい。

■事実はなぜ人の意見を変えられないのか?

たとえば、誰かと意見が対立したとき、多くの人が自分が正しいことを証明するための事実で裏づけられた論理的な材料を探し、それによって説得を試みようとする。

だけど、事実あるいは論理によって相手が説得されることはほとんどない。同時に、相手の事実を否定しようとするほど反論されることにもなる。

いまやネットにない情報はない。検索すれば、自分の考えを裏づけるデータや証拠をいくらでも見つけ出すことができるし、それによって人は自分の意見にもっと固執するようになっている。

この本を読んでいると、人が情報を得ようとする行為は、態度を変容させるよりも、既存の態度を強化するものだということに改めて気づかされる。

とくに一度自らの立場を決めてしまえば、それに適合した情報ばかりを得がちになり、そうではない情報は避けてしまうようになる。

では、そうした傾向によって深まる分断を埋めるためには、どんな打開策があるのか。

本の中では、子どものワクチン接種の是非が例示されている。

子どもに予防接種を受けさせるかどうかの決断には、ワクチン接種によるネガティブな副作用と、ポジティブな結果の2つの要素が関わってくる。

ワクチン接種を拒否する親は、副作用として自閉症のリスクが増大する可能性があるという強い信念を持っている。

この認識を変えようとしても難しいことから、研究チームはMMRワクチンは自閉症を引き起こさないと説得するのではなく、このワクチンが死に至る可能性のある病気を防ぐという事実を強調することにした。

両親にとっても医者にとっても、最も優先されるのは子どもの健康だ。

意見の食い違いよりも双方が納得する共通点を見出し、ワクチンが子どもたちを麻疹やおたふく風邪、風疹から守ってくれることを疑う理由はないという、ワクチン接種のメリットを提示した。

結果、この策はとても効果的だったという。 MMRワクチンの副作用への不安を払拭しようとするよりも、子どもたちを重病から守るワクチンの力を強調するほうが、予防接種に対する意識に変化が見られた。

凝り固まった信念を払拭するのではなく、まったく新しい考えを植えつける。事実が人の意見を変えられないのならば、別の事実を提示することが一つの解決策になるという。

■人の行動変容を起こすために必要なことは?

事実をもってしても説得することが難しい場合、恐怖や不安を強調して説得するのは逆効果になりやすい、とも指摘されている。

誰かにすぐ行動してほしいなら、罰を与えると脅して苦痛を案じさせるより、ご褒美を約束して喜びを予期させるほうが有効という、行動経済学でもよく言われる話だ。

それを実証した「クラウドファンディング」の実験が面白い。

一枚の画像と短い依頼文を掲載して寄付を呼びかけるこの実験では、2種類のケースが用意されていた。

1つ目の文章には、日差しを浴びて生き生きと輝く幸せそうな若い女性の写真。この女性は重い病気にかかり、高額な治療費を必要としている。

2つ目の依頼文に添えられているのは、病院のベッドにぐったり横たわった男性の写真。身体のあちこちにチューブをつながれ、目には絶望の色が広がっている。男性もまた、重病に犯され高額な治療費を必要としている。

どちらのほうが資金提供を受ける確率が高かったのかを分析した結果によれば、ポジティブな感情を喚起する写真(とくに笑顔の写真)が依頼文に添えられているほうが資金提供を受けやすかったという。

NPOやNGOの寄付募集の広告などでは悲惨な状況や苦渋の表情を写した写真が使われることが多い。それを踏まえると、こうした結果は意外な気がする。

著者は、入院患者の写真に寄付が集まらなかったのは、同情を誘いながらも、それ以上に苦痛から遠ざかり目をつぶっていたいという本能的な反応を引き起こすからだと解説していた。病人のような姿からハッピーエンドを思い描くのは難しいと。

一方、ポジティブな写真を見た人は回復へ向かっていく様子が想像しやすく、助けたいという意欲も湧くことが資金提供の受けやすさにつながったという。

クラファンあるいは寄付においてこれらの汎用性が高いのかどうかはわからないけど、即時の報酬のほうが行動変容を起こしやすいというのは一定の納得感がある。

■1人より2人、2人より1000人の脳、は正しいか?

人はいつだって「少数」より「大多数」を選ぶ。少数の人が好む解決策よりも、大多数の人が好む解決策のほうが耳へのなじみもいい。

「大多数の人が薦める医者」と「少数の人が薦める医者」のどちらかを選ぶなら、ほとんどの人が前者と言うし、Amazonでも当然のごとくレビューが購買行動に大きく影響している。

とはいえ、『ハリー・ポッターと賢者の石』のような例もある。このシリーズが生まれる当初、著者はさまざまな出版社に原稿を持ち込んだものの、12人にも上る編集者に出版を断わられたという。

それでも、たった1人の編集者が出版を決めて世界的な大ヒットにつながった。出版を決めた編集者は、自分が原稿を受け取る以前に経験豊富な12人の編集者たちがこの原稿を突き返してまくっていることを知っていた。

「選択は多人数で行うほど好ましい」という考え方の前提には、そもそも「群衆は賢い」という認識がある。世界の多くの人が原理的に 1人より2人の脳、2人より1000人の脳のほうが賢いという信条を持っている。

集団は賢かもしれない反面、ときに愚かでもある。そして多くの場合、他人の意見を手本にしようとすれば、それぞれの意見が相互依存やバイアスに侵されている可能性を見積もることが必要になる。

直感的につい多数意見に目を向けがちだけど、評価とレビューに満ちあふれたこの世界では、多数意見を集計し、平均化することが最適ではない答えを導くことにもつながりかねない。

ある特定の時代や場所で、一度は大多数の人々に受け入れられたアイデアが、いまでは間違いだったと見なされている例はいくらでもある(本の中では、女性に学歴は必要ない、地球は平らであるといった考え方が例であげられている)。

多数派に従ってしまうのが人間の本能だからこそ、そもそもとして多数の人が支持する意見が正しいとは限らないし、その意見が事実に基づいていない可能性もある。そのことにいかに自覚的になれるかが重要なのだと思う。

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この本を読みながら、編集者として駆け出しだった頃、尊敬するジャーナリストから「原稿は論で書くな。ファクト(事実)で書け」と言われていたことを思い出した。

意訳すれば「お前の意見なんかいらないから、事実をかき集めて、これでもかというくらいの事実を、事実だけを積み重ねながら目一杯詰め込んで書け」ということだった。

だけど、あるときから、そもそもその「事実」とは何なのかという問いにぶち当たるようになった。

「事実」というものを突き詰めようとするほど、一体何が事実だと言えて、あるいは何が事実ではないと言えるのかという葛藤が生じる。

ある事象に対して、視点の置き方によって多様な解釈が生まれうる。自分が提示しようとしていた事実はあくまで自分が認識したり解釈したりした事実であって、それ以上でもそれ以下でもない。

でも、いや、だからこそ、その解釈にオリジナリティが宿るのだと思うし、当時そのジャーナリストが「何を書くか」以上に「どう書くか」が重要だと強調していた意味がいまなら少しわかる気がする。

話を戻すと、この本、『事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学』は、さまざまな研究によって特定された「影響力」のカギとなる事前の信念、感情、インセンティブ、主体性、好奇心、心の状態、他人という7つの項目について構成されている。

ここにメモ的に書いてみたのはそのほんの一部にすぎないから、興味があれば一読することをおすすめしたい。

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