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「不便なはず?」のアフリカで、なぜ「子育てがしやすい」と感じるのか?――セネガルで子育てする日本人10人に聞いてみた。
アフリカで子育てをする――。
字面からすれば、さぞかし不便な生活を送っているんじゃないかと想像するかもしれない。
ところが、アフリカ大陸最西端に位置するセネガルで子育てをする日本人のうち、多くの人が「子育てがしやすい」と口を揃える。
僕自身、セネガルに移り住んでから1ヶ月の時にこんなnoteを書いた。
これを書いてから半年以上が経つ今も「心地よさ」は増している。もう以前のように東京で子育てをするのは難しいかもしれない、と思うくらいに。
僕はもともと東京で編集者をしていた。
今は仕事を辞めて主夫をしているけど、当たり前のようにしていた仕事をしない生活に燻っているのか、たまにいろんな思いや考えが浮かんでくる。
編集者は「世の中に向けて問いを立て、企画にすること」が仕事だ。
アフリカで子育てをするうちに、日々感じている「ここでの子育てはなぜ心地よいのか」という問いがふつふつと湧いてきた。
自分と同じようにセネガルに住んで子育てをしている人たちは、どう感じているのか。どんな日々を過ごし、どんなことが大変で、そもそも「心地よい」と感じているのか。
そこで、ふだんからよく一緒に子どもを遊ばせてもらっているセネガル在住の主婦/主夫を中心とした日本人10人にインタビューをさせてもらうことにした。
全員が全員「子育てがしやすい」と感じているわけではない。
アフリカと言っても「比較的治安のよいセネガルだから」というのも大きい。そのセネガルでさえ、日本では経験しないような苦労は数えきれないほどある。
それでも、不便や大変さを超えた「子育てのしやすさ」を語る人が多かった。
それは一体なぜなのか。探ってみた。
1) そもそもアフリカで生活することとは?
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もともと自分が海外に住むなんてまったく思っていたなかったし、それもアフリカだなんて。アフリカは砂漠とか動物とか貧困とか、テレビで見ていたイメージしかなかった。でも来て生活してみたら意外と不自由はない。子どもにも、親である自分にとっても、すごく良い経験になっている。
今回話を聞いた主婦/主夫の中には、アフリカで子育てしながら、もともとアフリカに縁もゆかりもなかった人は少なくない。
パートナーの仕事で駐在している人が大半で、セネガル在住歴は3ヶ月の人もいれば10年近い人もいる。
子育て以前に、そもそも居住環境としてのセネガルの住み心地はどうなのか。
期待していなかったからハードルが低いのもあるけど、何でも手に入るし、これといって不自由ない生活を送れている。
暑い時期は暑いし、砂ぼこりがすごくて掃除で1日が終わってしまうこともある。だけど、子育てがしやすいのは大きい。
セネガルはアフリカの中ではある程度発展している。ただあくまで「アフリカの中ではある程度」だ。
安全で便利で清潔な上に、手に入らないものはない日本との違いは、決して小さくはない。
住む地域によっては断水や停電が頻繁にあり、大抵どこのトイレもきれいとはほど遠く、車社会ゆえに渋滞は日常茶飯事、とんでもない量の砂嵐が舞うことも珍しくない。
そうした違いから、セネガルでの生活が合わないと感じている人も、わずかだけどいた。
ただ今回インタビューした人の中では、それらの違いをポジティブに捉えている人が多かった。
来たばかりの頃はアフリカがはじめてだったこともあって、カルチャーショックの連続。市場の野菜が腐っていたり、果物にハエがたかっていて。当初は「こんなの食べれない・・・」と思っていたけど、今はもう普通に食べてる。なんやかんや慣れてしまった。住めば都だなと。
2) 子育てに欠かせないはずの公園がない環境
「アフリカで子育てしていて、大変なことはない?」
「アフリカで子育て」のイメージがわきづらいからか、日本で暮らす家族や親戚、友人・知人などから最も聞かれがちなのが「大変なこと」だ。
その質問に何人かが真っ先にあげたのが「公園がないこと」だった。
公園がないから、子どもを外で思いっきり遊ばせられない。それが一番大変で難しいところ。
日本では当たり前のごとく存在し、子育てに欠かせないはずの公園が、ない。
公園がない環境で、どのようにして子どもとの時間を過ごしているのか。
公園がないのは最初はつらかったけど、誰かの家で遊んだり、暑いからプールに行くことも多い。
ないならないで仕方ないし、実際にどうにかなっている。海があるからビーチや磯で遊んだり、家で子どもと一緒にお菓子をつくったり。やろうと思えば、現地の子どもたちのようにサッカーもできる。
うちの子どもたちも、公園がない生活にはすっかり慣れてしまった。日本では毎日遊んでいて大好きだった公園の存在を、もはや忘れてしまったのかもしれない。
海で遊んだり、空き地で走り回ったり、ヤギや羊を追いかけたりと、セネガルならではの遊びに楽しみを見出してくれている。
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現地の子どもたちを見ていても、その辺に野放しにされていて、空き地に行けばサッカーをしていて、浜辺に行けばひたすら海に入って遊んでいる。
子育てに欠かせないはず、と思っていた公園がなくても、意外となんとかなっている。
ここで生活していると、日本では当たり前のように存在するものがないのが普通だし、なくてもどうにかなってしまうことに気づく。もちろんあったら楽だけど、足るを知るというか、子どもたちも今の環境のありのままを受け入れてくれている。
3) 「子どもを社会で育てる」が当たり前にある社会
「セネガルはね、やっぱり人がすごくいい」
インタビューしたほぼ全員が口を揃えたのが、セネガルの人たちの子どもや子育てに対する寛容さだった。
大変とか不便なことは全然ある。あるけど、総じて日本よりも子育てがしやすいなと思うのは、やっぱりセネガルの人たちが子どもに寛容だから。子どもに対して、みんなやさしいし、かわいがってくれる。大声で走ったり騒いだりとか、夜泣きも全然気にしなくていい。日本にいたときみたいに「子どもがいるから」とあきらめることがほとんどない。
日本では、子どもも親も、あるいは子育て自体に「こうでなきゃいけない」という風潮が強くあるように思う。
レストランでも電車でも街のどこでも、子どもだからといって、騒いだり、泣きわめいたり、ぶちまけたりするのはダメ。
子どもが誰かしらに迷惑をかけているのなら親は注意するべきで、それが親の役割で責任だ、というように。
一方で、セネガルでは「こうでなきゃいけない」というのはなく、「どうであってもいい」というのが基本だ。
レストランだろうがバスだろうが街のどこだろうが、子どもなんだから、騒ぐし、泣きわめくし、ぶちまけるのは仕方ない。
仕方ないから気にされないか、あるいは周囲にいる人たちが一緒にどうにかしてくれようとする。
そんな環境にいると、「周りの人に迷惑をかけたくない」という自意識も自然と薄れていく。
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「子どもを社会で育てる」
日本では「理想」として語られることが、「当たり前」に存在する社会がここにはある。
見ず知らずの人が当たり前のごとく、困っていても困っていなくても、いろんなかたちで手助けをしてくれる。
日本との違いで一番感じるのは、やっぱり人同士の関係があたたかいこと。日本だと、小さい子どもを連れているだけで気を遣うし、肩身が狭かった。それがこっちだと、道を歩くだけで話しかけてくれる。そういうのは経験したことがなかったから、すごく新鮮。
4) セネガルで暮らす日本人シングルマザーの話
今回インタビューをする中でとりわけ興味深かったのが、セネガルで暮らす日本人シングルマザーだ。
セネガル人の元夫との間にもうけた2人の子どもを仕事をしながら一人で育てている。ただ実際には「一人で育てている感じはまったくしない」という。
セネガルでいいなと思うのは、みんなで子育てをしていること。その日たまたま会ったような人でも、自分の子どものようにちゃんと叱ってくれるし、やさしくしてくれる。子どもは、みんなのもの、みんなで育てるものというのが根付いているから、こっちも気兼ねなく託せる。
8年近くセネガルで暮らす彼女は、実際にどのようにして「子どもはみんなのもの」を体験しているのか。
たとえば、ブティック(道端によくある売店)の人によくお世話になっていて、私が仕事で幼稚園のお迎えに間に合わない時に代わりに行ってもらったり、買い物に行くのに子どもを置いていかせてもらったり。そういう人たちがいないと、ここで子育てできていないなと思う。
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とはいえ、セネガルという異国の地での子育ては、もちろんいいことばかりではない。
ローカルな場所に住み、公用語のフランス語ではない現地のウォロフ語を話し、この土地に深く溶け込んだ生活を送っているがゆえの苦労も数多くある。
住んでいるアパートの断水が続いて何ヶ月も自分で水を調達する生活をしたり、子どもが現地の医療にかかって危険な思いをしたり・・・。
それでも子育てがしやすいと感じるのは、やはり「子どもはみんなのもの」という認識が当たり前にあるからじゃないか、という。
以前に日本からセネガルに帰ってくるとき、日本→フランス間の飛行機内で隣の席だった日本人に終始嫌な顔をされて最悪だった。うちの子どもたちがうるさかったからだけど。それが、フランス→セネガル間の飛行機に乗り継いだ瞬間の開放感といったら。周りの席のセネガル人に子どもを見てもらえるし、トイレに行きたくなれば子どもを任せて気兼ねなく行ける。そういう国だから、私も一人で子育てしている感がないのだと思う。
5) 多様な関わり合いの中で子どもが育っていくこと
セネガルに来て、日本にいた頃と大きく変わったのは週末の過ごし方、という人が何人かいた。
うちも、日本では家族で過ごすことが多かった週末が、家族だけで過ごすことはほとんどなくなった。
いろんな家族と一緒に週末を過ごす生活が心地いい。こういった関係はなかなか日本では築けなかったし、子どももすごく楽しそう。
ここでは、「セネガルに住んでいる日本人」という共通項だけで、自然と距離が縮まりやすい。仕事の同僚とも、子どもがいたら家族ぐるみの付き合いになることが多い。
日本では子育て主体が家族単位だったのに対して、セネガルに来てからはたくさんの人と一緒に子育てしているような感覚がある。
うちの子どもは友達のお父さんによく懐いているし、釣りや魚の捌き方を教えてくれたり、一緒にサッカーをしてくれたりもする人もいる。
今のセネガルには偶然にも主夫も何人かいて、そうした日本人家族同士のつながりの濃さや深さも、子育てがしやすいと感じる大きな理由だ。
またアフリカでは一般的な、家事のお手伝いさんや子どもの面倒を見てくれるヌーヌーさんの存在も大きい。
お手伝いさんがいるから、私にもある程度自由な時間がある。子どもが幼稚園に行っている平日の午前中は友達とお茶をしたり、趣味のことをしたり、買い物に行ったりと、好きなことに時間を使えるのは精神的にも大きい。
うちも、ドライバーをしてくれているセネガル人がいろんな場面で一緒に子育てをしてくれている。
少し前までは、僕一人で2人の子どもを見ていたのだけど、彼が来て子どもと一緒に遊んでくれることで、だいぶ助かっている。
小さいうちから肌の色や見た目が違う人に囲まれる環境にいるのは、子どもにとっても大きいんじゃないかと思う。そんな環境で育つ将来が、親としてはちょっと楽しみ。
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たくさんの人が関わって子育てするのは、単に親の負担が減るだけでない。
世の中には親や親戚、幼稚園また学校の先生以外にもいろんな大人がいること、そうした人たちと関わることを子どもが自然に思う素養を育んでいる。
それは同時に、子どもにとっての多様性の幅を横にも縦にも拡張させていっているのだと思う。
6) アフリカでの子育てを通じた学びや気づき
アフリカで子育てすることは、日本で子育てする上でのヒントも多く得られるんじゃないか。
いろんな人に話を聞きながら、そんなことを思ったりもした。
子育ては意外とどこででもできるし、ないものはあるものでまかなえるし、捉え方次第でいろんな物事の感じ方が変わるし、周囲の人たちと頼り合える関係をつくるほど子育てがしやすくなっていく、とか。
少し前、どうしてもスタジアムで観戦したいサッカーの試合が平日にあり、子どもたちを連れていくことが難しかったから、仲良くさせてもらっている主夫に子ども2人を預けさせてもらうことがあった。
その試合を観戦できたことで最高の思い出ができたのだけど、東京ではそんなふうに頼れる人はいなかったし、そもそも自分の中で「子どもを誰かに預ける」という発想すらなかった。
仕事でも、頼ったり助けを求めるのはどちらかといえば苦手だった。でもセネガルに来て子育てしてからは、そんな価値観もだいぶ変わった気がする。
人を頼ったほうが圧倒的に子育てはしやすくなる。一方で頼られることにも心地よさを覚えている。
子どもが通う幼稚園では、誰かのお母さんやお父さんが何人かの子どもたちをまとめてお迎えしていて、親同士が助け合っている。
最近、うちにも幼稚園の友達が遊びに来てくれるようになり、毎週一日の午後は6,7人の子どもたちを預かって一緒に遊んでいる。
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そうしていろんな親たちが、少しずつ頼ってくれるようになった。
頼られることや頼ること、そして頼り合える関係をつくることは、子育てにおいてすごく大事なことなんだと実感する。
僕もいつかまた日本で子育てをするなら、自分だけでなんとかするのではなく、頼れる先を一つでも多くつくりたいし、そのためにまず自分から人を頼りたいなと思っている。
7) 不便だけど心地よくもあるアフリカでの子育て
今回、アフリカで子育てする上での良し悪しをあくまでフラットに聞いてみた結果、総じてポジティブな話が多かったのは、少し意外でもあった。
アフリカでの子育てがどれだけ大変か、といった側面にフォーカスすることもできなくはない。日本と比べてしまえば、安全面や利便性、清潔感でも雲泥の差がある。
それでも、話を聞いた人の多くがアフリカならではの生活や子育ての苦労を半ば自虐的に語りながら、それでいて楽しんでいるようだった。
とはいえ、当然ながらこれらはアフリカで子育てする人の総意ではない。セネガルという国ゆえのバイアスは大いにある。
同じくアフリカで子育てをしている人の中には、こんな環境の人もいて、こうした状況では到底「子育てがしやすい」とは思えない気がする。
ブルキナファソの駐在生活は、ほぼ毎日断水・停電、暑い時は46℃で砂塵もひどい。欲しいものは手に入らないし、治安も悪い。おしゃれなカフェやレストランもほとんどない。
— てんやわんやママ🇨🇩コンゴ民主共和国 (@aiko_in_africa) May 15, 2022
治安悪化とコロナで日本人の駐在家族がいなくなって、本当に過酷だった。
今振り返ってみても、よくがんばってたと思う。 pic.twitter.com/g4tCpHcWEI
他方、心地よさを感じられているセネガルでの生活でも、そのすぐそばには目を背けたくなる現実もある。
自分の子どもと同じ歳くらいの子どもから物乞いをされる毎日。小学生くらいの子どもが学校に行けず働き手になっている実態。生きる術として地べたで生活する家がない親子たち・・・。
やはりここはアフリカだ。貧困という問題をまざまざと感じる機会は日本以上に多い。
だから、手放しに「アフリカでの子育ては最高!」とは思えないし、そもそも僕がここで暮らしているのも、妻がセネガルの貧困削減を目的とした仕事をしているからでもある。
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それでも、僕を含む少なくない日本人が、不便なはずのアフリカでの子育てを「やりやすい」とか「心地よい」と感じられている事実があった。
それはもしかしたら「アフリカで子育てをする」というイメージを、少しだけ更新するものなのかもしれないなと思う。
そして個人的には、「アフリカで子育て」のいろんな側面をもっと広く深く知りたくなったし、いずれアフリカ各地にいる主婦/主夫にも話を聞いてみたいなと思ったりしている。
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