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企画とは社会への「問い」だと思う

僕は、編集者は「問い」を立てる仕事なのだと思っている。

「問い」がなければ、「答え」が出るはずがない。「企画」と言われるものは、たぶん実は社会に向けた「問い」なんだと、最近つくづく感じている。

たとえば新書をはじめ、本では問いかける形式のタイトルをよく見かける。それはまさに問いが企画になっているものだし、本に限らず、あらゆるコンテンツの企画の根源には何らかの問いがある。

単に問うことだけを考えると、そのプロフェッショナルとも言えるのが子どもだ。子どもは、あらゆることに疑問を持ち、何でも質問する。自分がわかり、納得するまで問うことをやめない。

そのことに気づかせてくれたのが、最近読んだ『子どもは40000回質問する』という本だ。尊敬するクリエイターの人から勧められて読んだのだけど、これがとても面白かった。

子どもは2〜5歳までの間に、およそ40000回(!)の質問をするらしい。質問を受ける側の親の立場からすれば、途方もない数だ。

本のなかで、ある専門家が子どもが質問することについて、こんなふうに言っていた。

「子どもにとって質問をすることは散発的な行動ではありません。質問することは子どもであることの最大の証と言ってもいいくらい本質的な行動なのです」

子どもがひたすら質問するのは、一見散発的な行動に見えるけど、実は本質的な行動だというのは驚きでもある。

だけど、次第に子どもは問うことをしなくなっていく。延々と続く圧倒的な問いの数々に対して、それに答えるはずの大人がうんざりして疲れ果ててしまうからだという。

学校という場でも、ほめられるのは「覚えたことを答えること」であり、「質問すること」でほめられるケースはほとんどない。いまの日本の教育環境ならば、質問ばかりする子どもは煙たがられてしまうかもしれない。

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編集者が「問い」を立てたり、あるいは子どもが質問をする上で、最も大事なことの一つに「好奇心」がある。

『子どもは40000回質問する』は、好奇心について書かれた本でもあった。この本では、さまざまな角度から「好奇心の正体」を解き明かしているのだけど、これもまた面白かった。

大人は子どもが持つ天性の好奇心を美化しがちだ。同時に、その好奇心が大人によって吹き込まれる知識によって汚されるのを心配したりする。

ところが、「それは誤解だ」と書かれている。どういうことか?

本では好奇心を「情報の空白に対する反応」と表現している。人は知りたいことと、すでに知っていることの間に空白があると知ることで好奇心を持つ。

それは、ある情報についての無知を自覚させられることで、さらに知りたいという好奇心が発動されることを意味する。そして、好奇心に限界がないように、この情報の空白は質問することによってどんどん顕在化していく。

ここで重要なのが、情報が存在していないときに好奇心が生まれるのでなく、すでにある情報についての「空白」がカギになるということだ。

好奇心は「何も知らないこと」に対して湧き起こるもののように思われやすい。だけど、実際は「少し知っていること」に好奇心は反応する。なぜなら、人はまったく知らないことに興味や関心を持ちづらいからだ。

そう考えると、子どもにとっての「問い」も一見自然に生まれるものだと考えられがちだけれど、実際にはそうではないことがわかる。

何かを知っていて、はじめて問うことができる。逆に言えば、何も知らないと何を問うていいのかがわからない。

少し前に観たある映画で、「知らないことはとても怖い、怖いから余計知りたくない」というセリフがあった。またある別の番組では「無知は憎悪を生む」というコメントを聞いた。

こうした言葉からは「まったく知らないこと」に好奇心は反応しづらいどころか、よからぬ方向性に向かってしまいかねない(たとえば差別とか)と考えさせられる。

「何も知らないこと」ではなく「少し知っていること」に好奇心は発動する。だからこそ、子どもの好奇心を育む上で必要なのは実は知識である、というのがこの本の主張だ。

好奇心が知識の獲得の原動力になる以前に、知識が好奇心を育む原動力になる――。

これが真理か……と久しぶりに思わされた気がする。

と同時に、編集者としてさまざまな方向に好奇心を発動させるためにも、浅くても広い知識が必要なのだと痛感させられる本でもあった。

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ピカソはかつて「コンピューターは役に立たない。答えしかくれないからだ」と言ったという。それは逆説的には、人は「問うことができる」と示唆しているともとれる。

また最近は、課題解決よりも課題設定、つまり「問いを立てること」の重要性が強調される時代になりつつある。実際に、問いを考えるのは答えを考えるより難しかったりもする。

そんな時代において、社会に対する「問い」をつくるのが仕事である編集者の役割は、これまで以上に大きくなっているんじゃないかと勝手に感じている。

そして、「問い」はそのまま「企画」になるわけではない。編集者として立てる「問い」をどのように「企画」として昇華させるのか。それもまた、編集者に対する「問い」なのかもしれないなとも思っている。

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雑誌『編集会議』編集者▶︎社会問題専門サブスクメディア記者/編集者▶︎オンライン動画ディレクター。テキストから動画領域に移籍し、新しい「伝え方/伝わり方」を追究中。心のクラブはマンチェスター・ユナイテッド。

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