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読書録#1 『銃・病原菌・鉄』 ジャレド・ダイアモンド著

5〜6年前、当時勤めいていた会社の先輩に薦められ、この名著の存在と、そのテーマーーなぜヨーロッパ人が世界を征服するに至ったかを人類史から読み解くーーだけは知っていた。ただ、なかなか分量も多くて骨太そうだったのと、何よりタイトルがあまりに単純明快なゆえ、「その3つが理由なんでしょ」と結論を分かった気になっていただけに、あまりこれまであまり読む気が起きなかった。

そんなある時、本屋を何気無く歩いていたら、本書の背表紙が目にとまった。そういえばちゃんと読めていなかったなと思い、心機一転買ってみることにした。ここのところ、若干Kindle疲れして紙の本が恋しかった中で、紙で買うのはしっかり向き合う価値のある重厚な作品がいいと感じていたのも理由だった。

早速プロローグを読み進めてみて、驚いた。なんと銃・病原菌・鉄というタイトルは本書の結論ではなかったのだ。本書が解き明かそうとしていたのは、「銃・病原菌・鉄、また文字や技術や政治機構などは、たしかにヨーロッパ人が他の世界を征服できた【直接的な】理由である。しかし、それではなぜヨーロッパにそれらがもたらされ、他の世界ではそうではなかった(または、より少なく、より遅く、よりレベルが低い状態でもたらされた)のだろう?その違いをもたらした【究極的な】理由はなんだろう?」という疑問に対する答えだった。

そしてその究極的な理由とは、つまるところ、「ユーラシア大陸が横長だったから」そして「気候が豊かで、栽培や家畜に適した動植物がたくさん生息していたから」というものだった。ヨーロッパ人(そして入植地たるアメリカ等)に権力と富が偏在することとなったのは、ヨーロッパ人の方が頭が良かったからでも、肉体的に優れていたからでもない。純粋に自然環境に恵まれていたからであり、突き詰めていえば、「たまたま」ということになる。

この結論は好きだ。シンプルで普遍的で強い。

もちろん、このことは、歴史上に現れる傑出した偉人(もしくは悪人)たちによる世の中への影響を否定するものではない。これは著者自身が本書の中でも述べている。そもそも著者のダイアモンド氏もそうした偉人の一人だろう。そういえば、SpaceX社のドキュメンタリー映画『RETURN TO SPACE』でも、イーロン・マスクが「技術は年月とともに自動的に進歩するわけではない。人々の頑張りが技術を進歩させているのだ」と言っていた。しかし、1万年というスケールで人類史を巨視的に捉えれば、ヨーロッパ人が世界を支配するに至る環境要因的な必然性があったということだ。

ただ、疑問もある。ユーラシア大陸が環境に恵まれていたのはわかるが、なぜ最終的に覇権を握ったのがヨーロッパ人で、中国やイスラム世界ではなかったのか?実際に中世の時代は、数学、文字、航海術などあらゆる点でヨーロッパは出遅れていた。

これについて著者はこのように答えている。ヨーロッパはいつの時代も群雄割拠だったのに対し、中国は基本的に統一王朝だった。結果、前者では隣接する社会との競争や模倣による発展が起こりやすかったのに対し、後者では一人もしくは少数の支配者の匙加減一つで国の方針が決まるためイノベーションが起こりにくかった(ヨーロッパよりずっと早くアフリカに到達していた鄭和の南海大遠征がパタリと取り止められてしまったのもこれが理由)。そしてこの違いは、ヨーロッパでは山脈の起伏が激しく、全域の交易をつなぐほどの大規模河川もなかったために国や都市といった社会が多様化しやすかったのに対し、中国地域は比較的土地が平らで、長江や黄河といった広範囲の交易に適した河川があったために統一国家が形成されやすかったことに起因しているという。

しかしまだ完全にはしっくりこない。じゃあイスラムはどうなんだ、という疑問もある。もっとも著者自身も、地理的な影響も相当ある、と述べているだけであって、それが全てだといっているわけでも、傑出した個人による世の中の影響を否定しているわけでもない。個人的には、ユーラシア大陸の民族が世の中の支配者を選抜する「予選」を勝ち抜けたことは、マクロ的な出来事であり、自然環境に依存しているが、ユーラシア大陸内での「決勝」で、ヨーロッパ人がイスラムや中国その他の対戦相手に勝利したのは、ミクロ的な出来事であり、偶然に依存している部分も大きいと思う。もちろん、そのヨーロッパ人が作ったアメリカという国が依然としてイノベーション大国であるように、初めは偶然に依存していた勝利も、歴史と共に積み重ねられていくことでそう簡単には覆せない今日のリードにつながっているのだと思う。

ところで、著者は本書の発刊後数年経った2003年に、「日本人とは何者だろう?」という章を追加している。そこでは日本人という民族の起源や、社会発展ルートの独特さについて語られている。さらに面白いことに、現在日本で発売されている草思社文庫の本書にはいまだにこの章が追加されていない(ちなみにこちらで読めるので興味ある人はぜひ。とても興味深い論考)。一説には、著者の本章での結論部分ーー日本民族と朝鮮民族は近しい始祖を持つ兄弟のような民族だーーが、日本にはウケが悪いからだとされているらしい(本当か?)。個人的な肌感覚でしかないが、日本人とは、島国が形成された頃からこの地に住んでいた縄文人と、朝鮮半島からやってきた弥生人が混ざり合ってできた民族ではないかと思う。全くの主観だが、アジア人は総じて顔が平らだと言われるが、日本人を朝鮮半島の人々と比べると、縄文人的な顔立ちの人の割合がいくらか多いように感じるからだ。その証拠に(?)島国が形成されてから近年まで民族的独立を保ってきたであろうと思われる沖縄と北海道のアイヌの人々はハッキリとした顔立ちな気がする。

つらつら書いてきて、この本を今の自分の生活や仕事に活かすとしたらなんだろう?と考えたが、「ない」というのが結論な気がした。でも、それでいいんだ。当時は、ヨーロッパ人優越主義に対する反論として提示されたようだが、今は(少なくとも世の中の表向きの潮流としては)そういった主義は形を潜めている。また、中には、ビジネスとのアナロジーで、ある民族による征服の成功法則を、企業や商品のマーケティングにも応用できると考える向きもあるようだが、そもそも本書のテーマが自然環境という人間の力を超えた事象なのだから、その法則を経営者が再現しようとすることは矛盾していると個人的には感じる。自分にとって本書は現代社会の起源という人類史の謎やロマンについて、それを何かに役立てるとかではなく、純粋に好奇心を掻き立て、満たしてくれるものだった。

表紙画像:草思社@Amazon

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